第6話 頬擦り

「見てください、マリ様。私達の街が見えてきましたよ」


 メイド騎士の言葉にマリが揺れる馬車からひょっこりと顔を出す。近くに魔人の気配はない。街という集合体を維持するには守護者と呼ばれる絶対強者が必要不可欠なはずだが、ひょっとすると街とは名前ばかりの小さな共同体に過ぎないのだろうか?


 そんな俺様の考えはすぐに否定される。


 まだ遠目ではあるが、丸太ではなく石造りのかなり立派な建物が密集しているのだ。あれでは竜や魔物にここに餌がいると宣伝しているようなもの。にも関わらず魔人の気配はない。大量の捕食者に襲われても問題ない防衛機能を備えているのだろうか?


「襲撃を受けた様子もなさそうですし、一安心ですな」


 部下の一言に上機嫌だったメイドの顔が渋いものへと変わる。


「たとえ襲撃を受けたとしてもビギニングにはマリーナ様がいらっしゃるのですから、無事なのは当然のことです」

「しかしマリーナ様は……いえ、そうですな。申し訳ない。ロロナ殿の仰る通りだ」


 町の名前はビキニングと言うらしい。大陸中を飛び回った、俺様の記憶にはない名前だ。いや、そもそも俺様は剣となってどれくらい経つのだろうか? 竜神との戦いは熾烈を極め、空間や時間さえ歪んでいたので、感覚と現実の間にかなりの誤差がありそうだ。


「ソードアート家の皆様、よくぞご無事で」


 門番と御者の会話が聞こえてくる。どうやらマリ達御一行はこの街では中々に顔がしられているようだ。そのような推測は街に入ると確信へと変わった。


「ロロナ様、お帰りなさいませ。お怪我はありませんか?」

「おお、皆さん。拠点の方は大丈夫でしたか?」

「マリ様、また勝手に討伐について行かれたんですか? マリーナ様に叱られますよ」


 馬車へと群がる街の者達。しかし、ふむ。誰も彼も着ているものが随分と清潔だ。流石にメイド服のような凝ったものは見当たらないが、誰もが当然のように身につけているその上質さに、俺様の知らない時の流れを感じた。


「……お母さん、怒ってる?」

「あれだけ注意したにも関わらず、また勝手に討伐についてきたんです。それは怒っているでしょうとも」


 幼いマリを同行さていたのはてっきり訓練の一環かと思っていたのだが、どうやらそうではなかったようだ。見かけは人形のように整った小娘だが、どうやらとんだじゃじゃ馬の様子。もっとも、マナを出来るだけ多く集めたい俺様にとっては、そっちの方が都合がいいのだが。


 ジャジャ馬娘は何を思ったのか、唐突に馬車から飛び出した。その思いっきりの良さに周りの者がポカーンとしている中、メイドの腕が伸びた。


「こら。逃げてはダメですよ」


 首根っこを掴まれて、マリの四肢が空中でプラーンと揺れる。そしてそんなマリに握られている俺様も同じように揺れた。


「まったく。本当に油断も隙もない。ちゃんとマリーナ様にごめんなさいしましょうね」

「う~」

 

 マリの小さな頬が不満そうに膨らむ。俺様から見ても中々に愛らしい姿だ。魔術に掛かったかのようにメイドの頰が赤みを帯びた。

 

「ああ、なんて可愛らしいのかしら。大丈夫です。マリーナ様もそんなに怒らないはずです。……多分」


 頬擦りしてくるメイドのいまいち頼りない言葉を聞いても、マリの不満顔はしばらく戻ることはなかった。

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