第23話 さくらちゃんは覚えてる?

「それじゃあ、今日は本当にごめんね。それから……ありがとう」

「気にしないで。こちらこそ急に押しかけたのに晩御飯までご馳走になっちゃってごめんね。ご馳走様とありがとうございますって伝えておいて貰えるかな?」


 さくらちゃん宅の玄関先。

 時刻はもう19時を回ってすっかり外は暗くなっている。

 さくらちゃんの家の中からガラス越しに漏れる薄明かりの中、見送りに出てくれたさくらちゃんと見つめ合う。


「うん。伝えておくね」

「それじゃあ」

「あ、待って蒼井くん」

「うん?」


 別れを告げて、立ち去ろうとしたところに声を掛けられて振り返る。


「今日のデート楽しかったです」

「……僕もだよ」

「それじゃあ、また明日ね」

「うん。また明日」


 薄明かりの中でも照れてはにかんださくらちゃんの表情がよく分かるのは、さくらちゃんがひとつの壁を乗り越える努力をしたからだ。


 今度こそ、僕らは手を振って別れて僕は自宅への道をゆっくりと歩く。




 結果から言ってしまえば、あのあとさくらちゃんと僕はさくらちゃんのお母さんから謝罪の意味も込めて夕食に誘われて、色々な話をした。


 さくらちゃんのご両親には改めて、さくらちゃんと一緒に普段学校でどんな風に過ごしているかを話し、僕の仕事の話もした。

 たとえば、さくらちゃんママの言っていた昨年に出たテレビCMなんかで言えば、あれの主役はプロのスポーツ選手で、僕は端役として出ていただけとか、さくらちゃんパパが着ていたスウェットの広告にも出てましたよ、とかそんな話。


 その後、僕は改めて今日の出来事を振り返り、できる限りさくらちゃんのご両親の不安が払拭されるように努めた。


 さくらちゃんが語り始めたのは、僕のその話がひと段落し、ご両親も安堵の表情を浮かべたときだった。


「ずっとお母さんとお父さんに言えなかったことがあるの」


 そんな言葉から始まったのは、さくらちゃんが学校や、家の外に出ること、家族以外の人や、特に男性が苦手になってしまった経緯について。


 なんとなく僕は察していたけれど、こうして直接話を聞くことになるとは思っていなかった。

 ご両親も多分そうなのだろう。

 娘の様子が変わったことには気づいていても、触れてしまうことが正しいことかわからずに、見守ることを選んでしまった。


 そうして、一人で悩み続けて、傷ついて、迷って、それでも前を向くための変化を求めたさくらちゃんの辿り着いた場所が、音海坂への転校であり、僕やクラスメイトとの出会いだった。


「私が我慢していれば心配は掛けないと思っていたの。けど、音海坂に通うようになって、蒼井くんたちと出会って、もっと色んんことをみんなと経験していきたいって思ったの。だけど、私ひとりの力じゃまだまだ力不足で、結局今日みたいに蒼井くんや、お父さんとお母さんに迷惑を掛けちゃうんだなってわかった。本当にごめんなさい」


 さくらちゃんは食卓で再び涙を流して俯いた。


「そんなことはないよ。さくらは何も悪いことなんてしていないじゃない。ちゃんと話を聞いてあげなくて、学校のことに口を出していいのかわからなくて……何もしてあげられなかったお母さんが悪いのよ」

「父さんも……さくらが大きくなっていく間に奥手になっていってるのは気づいてたんだ。年頃だし、父さんには言いたくないこともあるだろうって、父さんからさくらに寄り添おうとしなかったんだ。悪いのは父さんたちの方だ。さくらは何も悪くない。悪いのは――」

「ううん。いいの、お父さん。誰も悪くなんかないよ。あ、やっぱりそれは嘘かも。嫌なことした人のことはやっぱり嫌いかも。だけど、二人は絶対に悪くない。だって、私が音海坂に転校したいって言ったとき、何も聞かないでお金を出してくれたでしょう? 聞かないでいてくれたことが、その時は逆に助かったもの。それに、一番辛いときだって……声を掛けて貰えていたら乗り越えられたかって言えば……それもわからないし。昔のことなんて、どうすれば良かったのかなんて私にもわかんないよ。だから、これからは心配を掛けないように……頑張るから。お父さんとお母さんには、また私が暗い気持ちに負けちゃいそうになってるなって思ったときには、応援して欲しい」


 それは家族の間に知らないうちにできてしまっていた溝を埋めていくような優しい会話で。

 とても少し前までお互いに何が不安なのかもわからずに言い合いをして泣いてしまっていたとは思えない程に、揃って優しい涙を流していて。


 正直、ちょっと気まずかった。


「蒼井くん、いつも私が怖くてできないことを助けてくれてありがとう。不安でどこにも行けない私を、連れ出してくれてありがとう」


 不意打ちで、それまで両親に向かって話していたさくらちゃんが僕の方を向いて、眦に溜まった涙を服の袖口で拭いながら笑った。


「どんなに足下が暗くても悪くても、どこへでも連れていくよ」


 なにせ僕の前世は、どんな化け物が潜んでいるかもわからない真っ暗な闇の底にだって宝物を見つけるために冒険に出る迷宮探索者だ。


「ふふっ。なんだかそれ前に見た不思議な夢の話みたい」




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