第10話 さくらちゃんは知らされない

 数カ月ぶりに後輩のぴあと仕事をして、その翌日は男性向け雑誌の撮影。

 そうして仕事漬けの土日が終わって僕にとっての平安な日常、平日がやってくる。


「おはよう。さくらちゃん」

「おはよう。あおいくん」


 この週末でほぼずっと連絡を取り合っていたこともあり、話題のひとつとして「通学路が同じだし、月曜は一緒に登校しない?」と提案してみた結果こうなった。


「もしかして待たせた?」

「ううん。今きたとこ」


 西吉鷹の駅の前で待ち合わせをしていたのだけど、さくらちゃんの方が先についていた。

 僕も一応待ち合わせ時間より早く到着したはずなのだけれど。


 そう考えていた僕のことをどう思ったのか。


「ほ、本当だよ? 緊張して眠れなかったから早く来ちゃったとかじゃないから」


 どうやらそういうことらしい。


「ちょっと失礼」

「あっ」

「めっちゃ目に隈できてますよ」

「お化粧失敗しちゃったの」

「うちの学校はお化粧禁止だけど」

「もう、いじわるやめてぇ」


 さくらちゃんの長い前髪をちょっとどかしてみると、普段はすっきりした涙袋のない両目の下がぷっくりと。


 それにしてもいつもならカーテン芸を披露してくるだろうと思って手を伸ばしたのだけれど、拒否されることもなく、照れてはいるけれど顔を隠そうとしないんだ。


「とりあえずちょっと早いけど行こうか」

「うん」


 西吉鷹は駅前が栄えていることもあるけれど、新宿や御茶ノ水、東京方面へと通勤通学のために利用する人が多い。

 みんな速足で人の隙間を縫うようにして歩いていくので気を抜いていると体がぶつかってしまうくらいには窮屈だったりする。


 多分、僕らが普段通学するのには使わない通勤向けの快速とか特快とかその辺の時間帯に当たってしまったのかも。


「一本違うだけで大分混んでるね。大丈夫?」


 後ろを振り向いたらさくらちゃんが消えた。

 振り返った僕と目があったのは通りすがりのサラリーマンのおじさんで相手の人も困っているような顔を一瞬浮かべて去って行く。

 恥ずかしい。


「さくらちゃーんおるかー」

「ここっ! ここにおるー!」


 通りすがる会社員の方々の隙間から細い手がぴんと伸びているのを発見して捕まえる。


「迷子になるかと思った……」

「いや、毎日使ってる駅で迷子にはならないでしょ」


 はぐれたとしても一人で電車乗れるでしょ。

 というか、はぐれても見つけるし。


「私あんまり背おっきくないから埋もれちゃうよ」

「そう? 身長なんかはクラスの子たちとあんまり変わらなくない?」

「私猫背だから……」

「じゃあ背中押しといてあげようか?」

「ただでさえ恥ずかしいのに勘弁してください」

「?」


 ただでさえとは何だろう、と思っていたら右手の手のひらから何かがするりと抜け出していく。


 ああ、手を掴まえたままだったか。


「よし、さくらちゃんを見失わないように僕が後ろ側を歩こう。お先にどうぞ」

「なんか子供扱い~」

「レディファーストだよ」


 エスカレーターを昇るときだけのレディーファースト。


 そうやってなんとか駅のホームに辿り着き、音海坂を通過していく快速を見送ったあと、いつも通りの時間の電車に乗る。


 各駅停車とはいえ、混み具合はその時の運で、座れることもあれば座れないこともある。


 今日は座れそうになかったので二人で立ったまま。


「蒼井くんは棒の方掴むんだ?」

「棒? あ、吊革のね」

「うん。私は吊革掴むので精いっぱい」


 僕の体はこちらの世界でも前世と同様に発達していっているので、同世代に比べるとそこそこ身長がある方だ。


 吊革よりも吊革を通している棒の方がぐらつかずに掴まっていられるので自然とそっちを掴むようになった。


 さくらちゃんは吊革に指を三本引っ掛けるようにして、電車が揺れるのに合わせて小さく体が揺れている。


 あんよを覚えたばかりの赤ちゃんってこういう感じなんだろうか、となんだか癒されるシーンである。


 微笑ましく眺めて居たら、カーブに突入したところで大きくよちよちと横に膨らむように離れていったさくらちゃんが遠心力を乗せて突っ込んできた。


「さくらちゃんひとりのときいつもこうなの?」


 さくらちゃんの体を受け止めつつ尋ねてみる。


「ひとりのときは座ってるかドアの横で壁に貼り付いてる」

「背中預けてると揺れても平気だもんね」


 今日は僕が一緒だったからドアの横はやめたのか。

 ドア横に二人並ぶのはさすがにマナー悪いもんね。


「じゃあ僕のベルト掴まえてていいよ」

「ベルト?」

「鞄のね」

「あ……うん。そうだよね、ありがとう」


 物の呼び方って個人の認識が違うときってあるよね。

 ショルダーベルトのつもりだったけれど、違うところのベルトだと思われてたらおかしい人だと思われそうだったので早めに補足しておく。


「蒼井くんに掴まってると揺れても全然平気だね」

「鍛えていますから」

「そうなの? 何かスポーツとかしてるの?」

「何もしてない」

「適当なこと言ってー」


 部活はたまにクラスメイトや友人に頼まれて臨時で参加することはある程度。

 ピッチングマシーン代わりに打撃投手をやったり、バレー部のレシーブの練習の為にサーブを打ったり、その他もろもろ。


 僕は前世から引き継いだこの体のおかげでこの世界ではありえないことができてしまうので、本格的に何かひとつスポーツをするというのは諦めた。


 またスーパー小学生とか言われてメディアに踊らされる形で注目を集めて家族に迷惑を掛けるのは嫌なので。


 陰でこっそり友達の部活の手伝いをして交友を深めるくらいが僕にはちょうどいい。


 どの道、僕は仕事によっては稀に平日に休むこともあるので部活はやれないし……そういえば。


「さくらちゃんは部活とかはどうするの? 転入生でも部活は入れるでしょ?」

「どうしようかなぁ。いままで部活とかやってこなかったし、途中から参加なんて余計ハードル高いし……帰宅部かなぁ」

「じゃあ僕と一緒だね」

「蒼井くんこそ勿体ないと思うけどなぁ。色んな子から蒼井くんは勉強も運動も学校で一番って聞いたよ?」

「僕は仕事で休むことがあるから部活は入らないんだよ」

「なるほど。土日も仕事だって言ってたもんね?」


 僕が部活に入らない理由の大半は隠して、全て仕事に擦り付ける。


「そうだよー。ていってもどっちも何度もお世話になってるところだったから大変でもなかったけどね」

「私と同じ学年なのに働いてて偉いなぁ。私も何かアルバイトしたいけど……蒼井くん、私ってバイト向いてると思う?」


 うーん。

 ここ数日でさくらちゃんについて感じたことは、多分僕の知らない過去……例えば前の学校か、それより前の学校でか。

 多分何かしら辛い想いをして、ちょっと奥手というか臆病になってしまっているんじゃないかと思うところはある。


 けれど、それとは別に……特に今日なんかは、顔を隠したりもしないし、話していてつかえてしまうことも大分減ってきたし、こうして自分から働くことに興味を持って相談をしてきてくれている。


 多分、さくらちゃんは今、新しい自分に変わっていこうとしている最中で、努力をしているところなんだと思う。


 現状で言えば、やっぱりまだ苦手なことは多いだろうし、僕や澪瑠以外のクラスメイトの前だと結構緊張してるところもある。


 そういうの全体的に考えると。


「さくらちゃんに向いているバイトを見つければいいんじゃないかな。バイトなんていっぱいあるし、急いでお金が必要とかじゃなければ、求人誌見て、お店系のバイトなら実際にお店にお客さんとして行って雰囲気見てみるのもいいし。ここならできることありそう! って思えたところを見つけるところからでいいと思うけど」

「でも私スーパーと薬局とコンビニ以外ひとりで入れないよ……あ、あと本屋さんには入れる」


 はじめてのお使いのフルコースみたいな候補に幼児味がすごい。


「それじゃあ放課後にちょっと色んなお店行ってみない?」

「高いところじゃなければ……」

「土日に仕事してたせいでどこにも遊びに行けなかったから僕が行きたいところがあるんだよ。だから付き合って貰う分は悪いからこっちで出すから安心して」

「だ、だってそれって――――パパ活みたい」

「変な間を開けて変なことを言うのはやめてください」


 同級生相手にパパ活て。

 でもまあ、これでうまいことさくらちゃんを連れ回せるようになってくれればについても目途が立つ。


 せいぜいパパ活だと思って何も知らずについてくるが良い……さくらちゃんよ……。

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