第3話 吸血姫、現状を把握する

「さてさてはいはい、そういうことね」


 気絶したカインを蹴りおこし、怯える村人を無理やり集めて、岩にどっかりと腰を降ろしたラライ。頬杖をついてため息を吐いた。

 それだけで絵画のような美しさと優雅さ。ただしその顔に特大の不機嫌が宿っていなければ。


「偉神教に旧来の腐敗を否定する少数の改革派パプテスタントなるものができて、多数の保守派クラシカルと対立、今まではなんとか教皇が調和主義だったから大きい対立が起こらなかったけれど」


「保守強行派のバーメリギーが新教皇となったらしく、保守派の人間を異端と断じて討伐しはじめた……パプテスタントの牧師がいる村を住民ごと消すという無法でな」


 顔にしかめて語るカイン。村人たち──ほとんどは老人か子供だ──は絶望と混乱の表情のまま二人の会話を眺める。


「はぁ、宗教対立なんていつの時代もあることよ。相変わらずねぇ偉神教ってのは。負け組は勝ち組に容赦なく食い散らかされるものよ。それでよくあんたは『殺すな』なんてお人好しなことを言えたもんねぇ」


「敵といえど、無益に殺されることを捨て置くわけにはいかない……」


「それで無益に殺される側になってたなんて笑い話にもならないんだけど。ねぇ、あんた、牧師っていうの? 神父じゃなくて?」


「神父は司祭者を限定する保守派クラシカルの役職だ。我々パプテスタントは万人司祭の考えの元に人々を導く役目として牧師と……」


「あーはいはいそういう長い説明いいから。さて、しかしまあ見事になんもないわね、この辺は」


「この辺りは誰も近寄らない森の中の広場だった。なんのためにあるのか知るものはいなかったが、まさか吸血鬼なんてものが眠っていたとは……」 


 吸血鬼、古来より伝わる死人の王。正者より血と命を吸い、死者を眷属へ変える邪悪なる存在。人間として死ねなかった者たち。

 それらがいたとされる時代もすでに遠く、吸血鬼などもうめったに出くわすことなどない。しかしカインはそれを理解できた。圧倒的戦闘力と、そして彼女の放つ覇者の圧力プレッシャー、傲岸不遜の権化ともいえる言動はまさに伝説に生きる者だけが持てるもの。


「ここね、多分だけど私の城があったところよ。あっちこっちにある石の柱は基礎部分ね。これだけ根こそぎなにも無いってことは封印されてから百年やそこら以上は経ってるかぁ……なにも残ってないわ。気に入ってた家具とかあったのになぁ……」


「なぜここに眠っていたんだ?」


 ラライに、やや苛立ちが見えた。


「負けて封印されたの。それ以上説明が必要かしら? ねぇ、あなたたち、私のことをなにか聞いたことはないの? 吸血鬼のラライ・ララル・ラディラーンの話を! 『吸血姫』『災厄の乙女』、最も美しき吸血鬼として忌み恐れられたこの私の高名を!」


 立ち上がり叫ぶ。怯えた表情のまま、村人の老人も子供も押し黙ったままだ。

 全く知らないらしい。


「……やれやれ、これは三百年以上は経ってるわね。ちょっと頭が痛くなってきたわ」


 超然とした吸血鬼も、精神的なダメージはあるようだ。


「我々は逃げ出してここに来た。やつらを君が全滅させて助けてくれたが、どのみち時間が経てばまた新しい部隊が来る。それまでに村人達を遠くに逃がしたい」


「逃がす? どこへ? 受け入れてくれる先があると?」


「……中央都より遠い改革派の村を頼るしかない。あてにしていた隣の領地の貴族は、保守派へ宗派を変えた。だが受け入れてもらえるか、その村が無事かはわからない……」


「ははは、ほとんど八方ふさがりね。あの聖騎士もどき共に大人しく殺されてたほうが楽になれたかもよ?」


「……殺されたほうが楽だったなんて、そんなことは言わないでくれ。僕は先生に彼らを託されたんだ。最後まで諦める気はない」


 聖杖を握りしめ、若き牧師見習いが呟く。のしかかる命と、絶望に押しつぶされないために。

 その様を眺めながら、吸血鬼がまたも笑った。


「それは立派なことで微笑ましいわ。それであなた……私に何か礼は無いのかしら?」


「命を助けて貰ったことには深く感謝する。ありがとう」


「できれば言葉以外で欲しいわねぇ。ねえ、私って慈善家じゃなくて吸血鬼なのよ、知ってると思うけれど」


 立ち上がるラライ。ひたりと、カインの横に立つ。吐息と共に、冷たい体を青年にゆっくりと押し付けた。


「……血ならば、僕のものを好きなだけ吸え。全部くれてやってもいい」


「村人のために犠牲になる覚悟かしら? いいわねぇ、涙が出るわぁ。でも、あなたから搾り取るのも今はつまらないわねぇ」


「他に差し出せる財産などもってはいないぞ」


 ラライの細い指が、青年の心臓の真上をなぞる。わずかに震える青年の反応を楽しみながら、彼女は言葉を続けた。


「そんなの知ってるわぁ。そうね、あなたは選ぶだけでいいわ。村人から一人、私の贄になる人間を選びなさいな」


 そっと、青年の耳元へ囁いた。蜂蜜よりも甘く、絹よりも柔らかく、そしてどこまでも残酷に。


「僕は」


「あなたじゃないわ。あなたがこの中から選ぶのよ。さあ、誰がいらないのかを」


 愉悦を楽しむ声。相手が最も苦しむ行動を、ラライは理解して仕掛けていく。これこそがラライを凶悪な吸血鬼へと引き上げた資質。あらゆる戦乱をくぐり抜けられた能力。


「僕は選ばない」


「……は?」


「僕だけしか選ばせない。ラライ、君は僕だけを選んでくれ」


 ラライの手を、カインが握りしめていた。強く、自らの胸に彼女の指を押し当てる。

 熱情で潤う瞳が、補食獣のように輝く。


「……ふ、ふふ、どうやら立場ってものがわかってないようね牧師君? なんならこの場で全員吸い尽くしてやっても」


「や、やめてくだせぇ!」


 割ってはいる声。杖をついた老人が叫んだ。


「ワシが犠牲になります、カインさんから血を取らないでくだせぇ!」


「私ら年寄りから血を取ってくださればええがね、カインさんはやめてあげて下さい! カインさんがいなくなったらどうすればええんだ!」


 老人たちが次々に声を出す。我先にと腕を突き出した。


「あ、あのねぇ、そんな下らない茶番に私が」


「カイン先生から吸わないで! 吸血鬼さん、お腹が空いてるなら私も血をあげるから!」


 カインの脚にしがみつく人影。小柄な赤毛の少女が泣いていた。数人の子供たちも集まってくる。


「リリベル、近寄っちゃだめだ……僕はいいから、みんな離れて!」


 それでもリリベルと呼ばれた少女は手を離さない。ラライを囲む老人達も、一人として動かなかった。


「やめろ、いいんだ、これは僕とラライとの問題だ!」


「ああ、うるさいわね! 少しからかえば大騒ぎして、こんな茶番なんて見てられないわアホらしい!」


 カインの手を振り払い、ラライが歩き出す。再び岩の上に座り直した。


「まあこんな百人もいない老いぼれかガキの群れを吸っても大したものにはならないわね。それよりあんたらにはもっといい使い道を思いついたわ。それに使うから吸うのは勘弁してあげましょう」


「……なんだ? 一体彼らを何に利用するつもりだ!?」


 更なる不安にかられ、カインが問う。この邪悪は、なにを企むのか。


「──生き餌よ。私の空腹を満たす血を集めるためのね」


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