STORY 4

[1]

 羽華町はばなちょうの一角に鉛筆のような外観の細長い建物がある。そこは老舗の写真館。名は<ハイカラ>。館内では椅子に座り、姿勢を正して写真撮影をしているひとりの女がいる。主人の黒木吾郎くろきごろうによれば、どうやらパスポート申請のためらしい。そう聞いていた鴨志田勇かもしだいさむは助手となり、ボタンダウンのワイシャツにノータイ、ダブルのスーツ姿で撮影の手伝いをしていた。勇のかけている丸渕の眼鏡に女の姿が映る。その女は十代と二十代の中間といった印象の若さに見え、胸元まで伸びた黒髪のロングヘアに、半袖のブラウスにロングスカートの服装で、愛らしい笑みをカメラに向けて作っていた。

「はい。もういいですよー」

黒木の渋いひと声で撮影は終了した。

「鴨ちゃん。会計任せるから」

「はい」

撮影したばかりの写真をチェックしながら館内の奥へと入った黒木の背中を見て、勇はうなずいて答えた。そこへ、羽華警察署の刑事、杠葉舞ゆずりはまいがリュックを背負って館内に飛び込んできた。相変わらずプリントTシャツの上に、袖をまくったオーバーサイズのテーラードジャケットを羽織り、ブルージーンズとハイカットスニーカーを身に着けている。

「鴨志田さん。殺人事件です」

舞の突然のしらせに、勇は怪訝な顔になった。

「事件?獅央しおうさんから連絡は来てませんでしたよ」

勇の言う獅央誠司せいじは、舞の勤める羽華署の署長であり、勇の元上司である。獅央は私的に、羽華町で起きた事件の捜査協力を勇に申し込んでいる。この事実を知っているのは舞ただひとりである。

「署長が電話しても出ないから、私が直接伝えに来たんですよ。また鴨志田さんに捜査協力をお願いしたいって」

「そうでしたか。今まで“副業”の真っ最中でしたから出られませんでした」

苦笑いをした勇に、撮影を終えた若い女が呟いた。

「鴨志田・・・」

女は勇に近づいた。気配を感じた勇が振り返ると、女はこう訊ねた。

「もしかして、鴨志田勇さんですか?」

なぜか女は好奇心でいっぱいといった輝いた目をしていた。

「は、はい。どこかでお会いしましたっけ?」

勇が記憶を手繰たぐらせながら質問すると、女は笑顔で自己紹介をした。

「私、御手洗愛乃みたらいあいのって言います。鴨志田ってよくある名前じゃないから、そうじゃないかと思いました」

その若い女、愛乃はまたも訊ねた。

「鴨志田さん。もしかして『カクヨム』で小説書いてませんか?『東京少年探偵団』って作品ですよ」

「書いてますけど・・。なぜあなたがそれを?」

やや不信感を抱いている勇に、愛乃がさらに自己を開示する。

「私ですよ。「ノア」です。鴨志田さんのフォロワーです」

そこでようやく勇の不信感が取り除かれた。

「ああ!あなたがノアさん!」

勇は途端に表情を緩めて続ける。

「まさかこんな場所でお会いできるとは思いませんでした」

「私もですー!」

ふたりで勝手に盛り上がっているのを見た舞は、なんだか疎外感を覚えていた。

「あのー・・。お知り合いですか?」

舞が手のひらで愛乃を指して勇に訊いた。

「彼女は僕や、僕が書いた小説をフォローしてくれた唯一の方なんです」

勇は上機嫌に答えた。

「鴨志田さんの小説読んで、もう大ファンになっちゃいました」

快活に言った愛乃に、舞が疑問を投げかける。

「あれ、そんなにおもしろかったですか?」

舞も以前、勇に勧められる形で本人が書いた小説を読んでいたが、時代錯誤もはなはだしい内容に、理解が追いつかないといった感想を持っていた。

「おもしろいですよ!」

高らかに言い切った愛乃が私感を述べる。

「現代劇なのに、どこか昭和のノスタルジックな雰囲気の描写や台詞せりふ。そして冒険漫画のようなストーリー展開に個性的なキャラ。一瞬で魅了されちゃいました」

スラスラと話す愛乃のそばで、勇が教師に褒められた子どものように照れ笑いを浮かべている。

「はあ・・。そういうもんですか・・・」

舞は価値観の違いを思い知らされた。

「で、そちらは?」

今度は愛乃が舞に訊ねた。舞は上着から警察手帳を取り出すと、開いて示した。

「羽華署刑事課の杠葉舞です」

「えっ!?刑事!?」

愛乃は驚きの声を上げた。刑事というよりも、どこかの女子大生のような舞のカジュアルな服装がその声を出させたのかもしれない。と同時に、初めて刑事という職種の人物を見たといった感じにも聞こえた。目を丸くした愛乃の顔に、ちょっと見栄を張った舞だったが、それどころではないことに気づいた。

「ここで話してる暇ないんだった。鴨志田さん、急いで現場に行きましょう」

舞は勇の腕を摑んで強引に連れ出していく。

「おやっさん!急用ができたんで、会計そっちでお願いします!」

勇は奥にいる黒木に向かって叫んだ。

「は?おい!?ちょっと鴨ちゃん!」

すでに勇の姿はなかった。黒木の大きな声だけが響いていたのだった。

「刑事・・・」

愛乃は呟きうつむいた。先ほどの晴れやかな顔がガラリと変わり、浮かない表情になりつつ考え込むのだった。


 舞と勇が覆面パトカーで向かった事件現場は、羽華町のビジネス街にある法律事務所だった。白手袋をはめて室内に入ったふたりの目の前に、警視庁捜査一課の猪瀬勝之いのせかつゆきと羽華署鑑識課の沢渡泰三さわたりたいぞうがいた。

「やっぱ来た」

猪瀬がポツリと言った。だが咎める様子はなく、それどころかうっすらニヤついている。

「え?なに?」

気持ち悪い猪瀬の笑顔を見て、舞は不快を感じて呟いた。勇もチラと見たが、整然と無視を決め込んだ。ふたりが遺体のもとへ向かうと、うつ伏せに倒れているその遺体は、スーツ姿に眼鏡をかけた高年層の男だった。舞は前屈みになり、勇はしゃがんで遺体を眺め回す。そして、後頭部に付いた打撲傷を勇が見つけた。

「舞さんから殺人事件と聞きましたが、撲殺ですか?」

勇は沢渡に訊いた。沢渡はいい顔をしなかったが一応答えた。

「ああ。鈍器による損傷だな。遺体は死後十時間前後。で、その鈍器はこれだ。あのブロンズ像」

沢渡はデスクの後ろにある棚を指し示した。そこには、どこかの女神を思わせる人の形を模したブロンズ製の彫刻像が金属製の台に置いてあった。そばには牛の木彫り像や陶器で出来た大きな招き猫が置かれている。どれも重量感がありそうに見えるが、インテリアのセンスを舞は疑った。デスクの近くには、おそらく被害者か、もしくは事務所内の誰かが趣味を職場に持ち込んでいるのだろう。ゴルフクラブが一本、壁に立てかけてあった。

「これにだけ指紋が一切検出されなかった。犯人が拭き取ったんじゃないかなあ。けど・・・」

ゴーグルをかけて、ブラックライトを手に取った沢渡が、ブロンズ像に光を当てる。

「血液反応が出てんだよ」

沢渡の言うとおり、ブロンズ像の顔部分が蛍光色に光っていた。勇と舞もゴーグルをかけてそれを確認した。

「像は固定されてない。もし誤ってぶつけたんなら、衝撃でこの像も倒れてるはずだ」

「それに像には拭き取られた跡。だから殺人だと、そちらは判断したわけですね」

「ああ。そうだよ」

勇と沢渡のやりとりを聞いて、舞は疑問に思った。

「ならなんで犯人は持って逃げなかったんだろう?そのほうが犯人にとっては都合がいいですよね?」

釈然としない舞に、笑顔から険しい顔に変わっていた猪瀬が、厳しい口調で言った。

「それを調べんのが俺らの仕事だろうが」

「はい。そうでした」

ゴーグルを外した舞は力なく返した。当然のことだが、そんなにきつい言い方しなくてもと、内心穏やかではない舞であった。

「このブロンズ像、ちょっと持ってみてもいいですか?」

勇もゴーグルを外して沢渡に訊いた。

「本当にちょっとだけだぞ。大事な証拠品なんだから」

不本意ながらも沢渡は了承した。

「わかっています」

勇はブロンズ像を持ち上げる。

「重いですね。凶器としては十分です」

想像どおりと感じた勇はブロンズ像を検めるが、特筆すべき点はなかった。次にブロンズ像が置いてあった金属製の台をまじまじと見た勇があることに気づき、急ぎつつも丁寧にブロンズ像を元の位置に戻した。

「舞さん」

勇は舞に小声でなにやら説明している。コソコソなにを話しているのかと猪瀬が気になっていると突然、舞が声を上げた。

「そうか!だから持ち去りたくてもできなかったんだ」

反応した猪瀬が訊ねる。

「どういうことだ?」

舞はその金属製の台を指差した。

「これ、警報装置みたいです」

「警報装置?」

眉間にしわを寄せた猪瀬が近づいて不思議そうに台を見た。沢渡も興味を持ったようで、視線をそちらに向ける。勇が言った。

「盗難防止用の装置のようですねえ。以前、似たような物を海外で見たことがあります」

続けて勇が推定を述べる。

「断言はできませんが、一定時間ブロンズ像が離れた状態でいるとブザーが鳴る仕組みかもしれません」

勇の言葉を舞が引き継ぐ。

「とすると、犯人は犯行当初、凶器を持って逃げようとした。だけどブザーが鳴ってしまった。慌てた犯人は凶器をまたこの台に置いて、仕方なく指紋と血痕を拭き取るだけにして逃げた・・。ってことになるんですか?」

簡潔にまとめた舞に、勇が同調して答えた。

「現時点ではそうでないかと思います」

ふたりの話に、猪瀬が懐疑的な意見を出す。

「この像じゃなくても、別の物置いときゃ済むんじゃねえのか」

その意見に勇は異議を表する。

「これも断言できませんが、ある程度決められた重さでないと、同じくブザーが鳴るのでしょう」

勇は続けて言った。

「関係者に詳しく訊いてみたいですねえ・・。舞さんが訊いてもらえますか?」

「私!?」

舞は自分の顔を指差した。

「捜査協力とはいえ、僕は最近出しゃばり過ぎました。ここは一歩引いて、現役である舞さんが聴取すべきだと思ったもので」

勇は手を後ろに組んで訳を話した。

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