第4話 同居生活のはじまり


そして帰宅後。


「ジーク様ぁ! 『おやつ』の時間ですよっ! これで正々堂々とジーク様の胸に飛び込むことができますね!」


 家に着いた途端、杖を放り出してリーネがジークの胸に飛び込む……つもりだったが、見事に交わされたリーネの前に袖を捲くった逞しい腕が突きつけられる。


「んん? なんですかこれは」

「何も毎回抱き合わなくても良いんじゃないか。触れているだけでいいなら手を握るくらいで十分だろう」

「ええっ! 手だけ! そんな、おやつの時間なのに!?」

「何度も言うが、恋人同士でもない男女が頻繁に抱き合うのは褒められたことではないからな。とりあえずグローブは外すからこれで我慢しろ」

「むぅ〜」


 不満気に口を尖らせながらも、リーネが渋々両手でジークの手を包む。


「うーんやっぱり魔力が少しずつしか流れてこないですねぇ。ちょっと失礼します。えいやっ」

「ばっ! 急に抱きついてくんじゃねぇ! 俺の言ったことを聞いていたのか!?」

「あーやっぱりすごく回復します! 触れてる肌面積が多いほど流れてくる精霊の力が強いし速いですね! あと私の見立てが正しければ」


 ぎゅむぎゅむとジークを両手で抱きしめていたリーネがキラリンと目を光らせる。そして次の瞬間にはジークの上着を止めていたベルトがひとりでに外れ、すかさずリーネが服の下に手を滑り込ませる。


「うわぁぁぁあ!! おい、服の中に手を入れるな!」

「思った通り直肌が一番強く流れてきますね! 要するに、手っ取り早く魔力を回復するには裸で抱き合うのが一番と言うことになります。これはもう運命! やっぱり私と結婚するしかないですねジーク様!」

「話が飛躍しすぎだ! つーか待て、さり気なく服を脱がそうとするな!!!」


 ベルトだけでなくひとりでにプチプチと外れるボタンと体から離れようとするシャツを掴みながらジークが顔を真っ赤にして怒鳴る。いつの間にか杖を手に持っていたリーネが「えー」と唇を尖らせながら魔法を収めると、乱れた服(健全)を直しながらジークが荒く息を吐いた。


「魔力の補給は十分にできただろう。直接触れ合う方が良いのはわかったから、有事の際は善処する」

「本当ですか? ジーク様お優しい! だからお優しいついでにもうちょっとだけ回復させてください〜。はっ! そう言えばもうすぐお休みの時間! 折角なのでこの後一緒に添い寝してくださってもいいんですよ」

「意味がわからん、却下する。それに、寝室は別だって言ったろ」


 そう言ってジークがリーネの額を指で軽く小突く。最後にフワッと流れ込んできた精霊の力を感じ取って、リーネは思わず額に手をやった。


(本当にちょっとだけくれた…)


 寝室に向かう彼の背中が目に映る。なんだかんだと言いながらも優しい彼の後ろ姿を見つめながら、リーネはふわふわとした胸の心地良さを感じていた。




 だが、それとこれとは話が別である。


「ふっふっふ。寝込みを襲うなとは言われていますが、それはあくまで人間の姿でなければ良いということ。バレなければそれは襲っていないと同じことなのです」


 全く筋の通っていない理屈を並べ立ててえっへんと胸を張るリーネは、今は子リスの姿をしている。この姿ならバレないだろうし、敢えて子リスに変身したのは、あまりの愛らしさに絆されるジークがワンチャン見られるかもしれないからだ。

 ウキウキしながらリーネ(リス)は家の外に出て壁をつたい、ジークの寝室の窓枠にぴょんと飛び乗る。カリカリと小さな爪で窓を引っ掻くと、シャツ一枚のラフな姿になったジークがこちらを向いた。


「なんだリスか。こんな夜遅くに珍しいな」

 

 そう言いながらもジークが窓を開けて手を伸ばす。その大きな手にぴょんと飛び乗ると、子リス(リーネ)は愛らしく首を傾げた。そんな子リス(リーネ)を見てジークが目元をやわらげる。


「はは、可愛いな」

(ジーク様が可愛いって言ってくださったーー!)


 正確にはリーネではなく子リスにかけた言葉だが、見えてるものはリーネであれリスであれ一緒だ。自分と一緒にいる時は見せない優しい表情に、リーネは心の中でガッツポーズをする。

 ジークの手のひらに乗って長い指にじゃれていると、彼が少しだけ複雑そうな顔をした気がした。だがすぐにその指で優しく首の根っこを掻いてくれる。あ、なんだかこれ気持ちいい……。

 うっとりしながらされるがままになっていると、ジークの指がゆっくりと離れていく。代わりに差し出されたのは自分の体ほどもある大きな野いちごだった。


「ほれ、やるよ」


 キュイッと返事をして野いちごを受け取りパクリと齧りつく。甘酸っぱい野いちごは程よい酸味でとても美味しい。むぐむぐと口を動かしながらそっと視線をあげると、森の色をした瞳が優しげにこちらを見ていた。塩対応のリリアーネの時と打って変わって穏やかなジークの姿に、段々とリーネも調子に乗り始める。

 ぴょこんと手の上に乗り、トタタタッと肩を駆け上がる。そのままシュルリと首を滑り降りて開いたシャツの胸元に飛び込んだ。モゾモゾと動いてシャツのあわせからピョコッと顔を出すと、ジークが身動ぎする気配がした。


「なんだお前、大胆なやつだな。今日はそこで寝たいのか」

「キュゥ〜キュイッ」

「なら好きにしろ」


 そう言ってジークが寝台の上に横になる。無事正式にお許しをもらったリーネは再びモゾモゾとシャツの中に潜り込んだ。

 

(ジーク様の服の中あったか〜い)


 シャツと素肌の間に包まれて、子リス姿のリーネはご機嫌だった。無駄なく引き締まった体はちょっとでこぼこしていたがほんわかと温かくて気持ちが良い。ジークの匂いは安心するのか、知らず知らずのうちにリーネはトロトロと微睡んでいた。




 



 ハッと目を覚ました時はもう明け方だった。ジークのシャツからピョコリと顔を出すと、長い指が伸びてきて頭を撫でる。


「起きたか。随分と朝寝坊のリスだな」


 低い声が降ってきて、ジークが身を起こす気配がした。リーネも慌てて寝台の上にぴょんと飛び降りて緑の目を真っ直ぐに見る。


(あーんジーク様ったら寝起き姿も素敵)


 少しだけ乱れた髪と気怠げな眼差しがなんとも色っぽい。一晩中接触していたので、魔力も心もツヤツヤピカピカだ。

 本来であればバレないうちにさっさと部屋を出てもとの姿に戻るべきなのだが、リーネはだいぶ調子に乗っていた。

 キュイキュイと甘えて手づからナッツを食べさせてもらい、ナデナデを所望する。ジークもなんだかんだとリスを甘やかしてくれるので、リーネは有頂天だった。


(あーもう私一生子リスとして生きていくのでもいいかもしれません〜)


 お婿さん探しのことは綺麗さっぱり頭から抜け落ち、ガジガジとジークの指を甘噛みしていると、突然ボフンと音がして急に視界が高くなった。


「……ふぁれ?」


 視界に映るのは呆気にとられたジークの顔だった。おまけに口の中には彼の指が突っ込まれたままだ。言い訳のしようがない状況にお互いの時間が束の間停止する。


「てへ♡」

「てへじゃねぇ、何やってんだお前は」

「えへへへへちょっと魔力の供給を……ん? あれ? 私昨日ずっとジーク様にくっついていたのになんでこんなにすぐ魔力切れになっちゃうんだろう。おかしいなあ」

「おかしいなじゃねぇだろ! 寝室は別だと言っただろうがこの変態女!」

「あぁそっか! 魔力は補給できていたけど、私がずっと変身の魔法を使い続けていたからプラマイゼロだったというわけですか。うーんこれは失敗。やはり人間の体同士で触れ合わないと意味がないということですね」

「おい人の話を聞け!!」


 ハァ、と大きくため息をつきながらジークがガシガシと頭を搔く。だけどなんとなく違和感を覚えたリーネは彼の顔をまじまじと見つめた。呆れた表情ではあるものの、そこに驚きの色はない。


「……もしかしてジーク様、昨日から気づいてました?」 

「……そもそもリスは夜行性じゃないからな。夜に出歩いている不良リスなんてお前くらいしかいない。それに」


 シャツの上に上着を羽織りながらジークがちらりとリーネを見る。


「昨日も言ったろ。俺は動物と会話ができる。こちらが話しかけてもお前からは何の声も聞こえてこなかったからな。すぐに本物じゃないとわかった」

「ええええええそんなの反則です!!」


 室内にリーネの悲鳴が響き渡る。さすがのリーネも全てわかった上で文字通り手のひらで転がされていたという事実はちょっと恥ずかしすぎた。

 だが、真っ赤になってジタバタと悶えるリーネとは裏腹に、ジークは穏やかだ。寝室は別という約束を破ったにも関わらずお咎めなしのリーネは、そっと緑の瞳を見上げる。


「あれ、でも、ジーク様。リスの正体が私なのは最初から知っていたんですよね」

「そうだ」

「てことは最初から気づいていたのに一緒に寝るのを許してくれたってことですか……?」

「お前がここでポカをやらかさなければにしておいてやったんだがな」


 呆れた声の中に仄かに優しい色が交じる。ほわんと胸が温かくなったリーネはへへへと笑ってジークの腕にしがみついた。

 

「ジーク様大好き」

「今のも今日の一回目にカウントするからな」

「カウントしちゃうの!?」



 リーネの婿探しの日々は、まだ始まったばかりである。

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