第42話 譲れないもの


 正直、とても怖かった。

 つむぎはきよに従うことが普通だった。

 それは式町家しか居場所がなかったからだ。

 式町家に認められたい、そう思っていたのだと思う。

 けれど、今は違う。

 つむぎの居場所は式町家ではない。

 愛するリヒトの隣なのだ。

 だから怖くなくなった。


「負けない」


リヒトを守るためなら勇気だって振り絞ってみせる。


「『術式解放』」


つむぎは術を発動させた。

 あたり一面に温かな光が満ちていく。

 きよはその光を疎ましそうに睨みつけた。


『私は一番なのよ。私はあんたなんかに負けちゃだめなんだから!』


きよも必死に抵抗するように黒いモヤを放った。

 そんなきよの様子があまりにも必死で、つむぎは心苦しくなった。なんせその姿はつむぎが式町家に認められようと必死に従っていた頃の姿に似ていたのだから。

 いつの間にきよはこうなってしまったのだろうか、とつむぎは思う。


ーーきっと、私のせいなのでしょうね。


きよをここまで追い詰めてしまったのは自分のせいなのだろう。落ち目の式町家の期待を一心に背負い、その重圧に負けないように必死に勉強している姿をつむぎは見てきた。だからこそきよに憧れた。けれど、つむぎが頑張れば頑張るほど、きよを追い詰めていったのだ。それを考えるとつむぎは罪悪感を覚えた。

 それでもつむぎはここで引くわけにはいかなかった。


「私も譲れません」


つむぎは力いっぱいに術を放った。つむぎにはまだまだ術を操れるだけの技術はない。だからきよがやっているのと同じように思いっきり力を放出させて対抗した。

 きよは衝撃を受けていた。

 つむぎはいつもビクビクしていて、きよに逆らうような人間ではなかった。きよの言うことを守って嫁ぎに行ってくれるほどだ。

 だから今回もつむぎは、つむぎだけはきよの言う通りに動くと思っていた。

 なのにつむぎがきよに対抗してきている。

 きよの心は揺れていた。


『いや……嫌よぉ』


父親もつむぎも言うことを聞いてくれない。誰もきよを受け入れてくれる人なんていない。

 それはきよが弱いからで、力を振るえば受け入れられるはず。きよはそう思い込んでいた。

 なのにその力さえも、つむぎには敵わないかもしれない。

 そう思うときよの力は次第に押されていった。


『私……私……』


つむぎの温かな光が、きよを優しく包み込んだ。力の弱いきよなんて、誰も認めてくれない。受け入れてくれない。

 それが何よりきよは怖かった。

 ただ、ただ。受け入れてほしいだけなのだ。

 そうしてすがるようにつむぎの方を見てみた。するとつむぎは真っ直ぐきよを見つめていた。きよを真っ直ぐ見つめるつむぎの視線が眩しく思う。こんなに真っ直ぐ見てくれていたのに、それから目を逸らしていたのはきよ自身なのだ。

 きよは一粒の涙を流した。


「つむぎ、ごめんなさい」


その声は、つむぎには届かないほど小さかった。


 そうしてきよは意識を失った。


 その場に倒れ込んだきよを見て、つむぎは術を解いた。


「きよ様?」


呼びかけても返事がない。


「まだ警戒を解かないで」

「はい。リヒト様」


つむぎはリヒトに寄り添われながら恐る恐るきよに近付いて行った。しかしきよは動く気配が全くない。つむぎは他の心配が頭をよぎった。


ーーまさか死んでしまったのでしょうか。


怖くなってリヒトの服をぎゅっと握りしめた。


「大丈夫だよ。自我を失ってるだけだと思うから」

「自我を、失う?」

「きよは完全にケカレに飲み込まれていた。今はケカレを払っているけれど、一度ケカレに飲み込まれたら自我を失う。意識はなく、ただ心臓が動いているだけの姿になるんだ」

「そんな」


つむぎがゆっくりときよの顔を覗き込んでも、きよはただただ呆然としていた。その姿はまるで抜け殻のようだった。


「これが成れの果てだ」

「元に戻りますか?」

「ケカレに侵されている期間が短ければ充分戻れる。けどきよは長い事ケカレに犯されていたようだし、当分元に戻ることはないと思う」


虚な目でどこを見るでもなく呆然としているきよを見て、つむぎは胸が締め付けられた。酷いことも苦しいことも沢山されたけれど、つむぎはきよのことをまだ尊敬していた。

 もっと自分に力があれば、きよもここまでではなかったのだろうか、と思う。

 けれどつむぎの力が強くなればなるほど、つむぎが頑張れば頑張るほど、きよは追い詰められていく。


 どうしようもなかったのだ。


 けれどきよは超えてはならない一線を超えてしまった。


 きっとこれは、きよが犯してきた罪に対する罰なのだろう。

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