第31話 きよとの再会

『それでは。こちらでお待ちしております』

「ありがとうございます」


まだつむぎの顔を覚えている者は少なく、すれ違う術師達はつむぎなんて気にも止めていなかった。けれど誰かが覚えているかもしれない。そう思うとつむぎは気を抜けなかった。

 しかしここでは一人である。お手洗いに入ってようやく息をつくことが出来た気がした。


「つむぎ」


しかしそれは、ほんの一瞬の休息でしかなかった。


「っ」


それは二度と聞きたく無かった声だった。何度も怒鳴られ罵倒されてきた。その声を聞くだけで背筋が凍る。

 そして今一番会いたくない人。

 なんせその人に会ってしまったら幸せが崩れてしまうのだから。

 つむぎはゆっくりと声のする方を向いた。


ーー嗚呼、やっぱり。


 可愛らしい容姿をしているのに威圧的な少女。

 彼女はつむぎがよく知る人物だった。


「きよ……様」


きよは口元は笑っているのに、目が全く笑っていなかった。つむぎの着ているドレスを値踏みするように見て眉間に皺を寄せた。


「随分と良い暮らしをしているようね?そのドレスも素敵だわ」


つむぎは何も言えなかった。


「私、噂を鵜呑みにして勘違いしてたわね。リヒト様って、素敵な方じゃない。全然ブサイクじゃないわ。あれで純血なら言う事ないのにね。口惜しいわ」


そう言ってクスクスと笑っていた。きよが金城家との結婚を拒んだ一番の理由は、金城家が純血の一族ではないからだった。純血ではないリヒトが嫌で、きよがつむぎを身代わりにした。

 本来ならこの結婚はきよが受けるはずだった。

 けれどきよと金城家の結婚は、式町家の当主が仕組んだものだった。なので金城家としては何も問題がないのだが、つむぎはその事を知らない。

 きよはつむぎが勘違いしている事をいい事にクスリと笑った。


「でもね私、あの方なら純血じゃなくてもいいと思ってしまうわ」

「え!?」


綺麗なドレスに美しい夫、裕福な暮らしをして、周囲から羨望の眼差しを受けるつむぎが、きよは妬ましくて仕方なかった。

 リヒトを初めて見たきよは、一目で心を奪われた。まるでそういう術に掛ったかのように恋に落ちてしまったのだ。あれほど純血主義だったきよが、今や恋する乙女のようにうっとりした表情をしている。

 つむぎは目を疑った。

 つむぎが知るきよからは想像もつかない。

 そして、何よりも恐ろしいと感じた。

 ずっとずっと、つむぎは怖かったのだ。

 きよがリヒトを好きになってしまったら、自分はどうなるのだろうと。それを考えるだけで怖かった。


「ねえつむぎ」


きよは甘えたような声を出した。つむぎは耳を塞ぎたくて仕方なかった。

 その先を聞きたくない。

 その先を聞いてしまったら、つむぎが恐れていた事が現実になってしまう。

 だがきよは優しく甘えた声のまま、つむぎが恐れていた言葉を発した。


「元に戻りましょう」


 つむぎの胸が大きく脈打った。

 手足が震え、その場に立っているのもやっとだった。

 その言葉は聞きたくなかった。

 つむぎはきよに逆らえない。

 しかし元に戻ってしまったらつむぎがようやく手に入れた居場所を奪われてしまう。

 それは嫌だ。

 けれどそれさえも声にならない。


「ねえったら」


きよに急かされて、つむぎは声を震わせながら答えた。


「で、でも旦那様はあやかしの血だけでなく、外国の方の血も流れています」


きよはつむぎが素直に頷かなかった事に苛立ちを感じた。しかしつむぎの話にきよは引っかかる物を感じた。


「あらそうなの。本当に残念」


純血第一主義者のきよは、他国の文明もなかなか受け入れがたい思いがあった。ドレスを可愛いと思うが、着たいとは思っていない。食べ物も和食以外は受け付けない。流行り物は気になるが、どうにも食べる気にはなれない。

 そういう保守的な人間だった。

 だからこそあやかしの血も他国の血も流れているリヒトのことを、きよが気にいるはずがないと考えたのだ。

 そしてその通りきよは少し迷いを見せた。


「でもあの美しさの前ではそれもどうでもいいわ」


しかしそれも恋する乙女の前では無力なようである。まさかきよがここまでリヒトに恋するなんて、つむぎは想像もしていなかった。

 どうしたら上手く納得してくれるだろうか。

 どうしたらきよは諦めてくれるだろうか。

 つむぎは必死に考えた。


「ねえ何で頷かないの!」

「っ!」


しかしきよは待ちきれずに怒鳴りつけた。久しぶりのキンキン声につむぎは体を震わせた。


『金城家の奥様。大丈夫ですか?』


外で待っていてくれた猫面の子どもが声をかけてくれた。きよの怒鳴り声が漏れ聞こえたので、心配してくれたのだろう。

 きよは忌々しそうに顔を歪めた。


『奥様?』


しかし他に人がいては強く出るわけにもいかない。


「ふん。まあいいわ」


きよは逃げるようにお手洗いから出て行った。

 きよの姿が見えなくなり、つむぎはほっと胸を撫で下ろした。手は汗でびっしょり濡れているし、まだ足がガクガクと震えている。


『奥様、入りますよ?』

「い、いえ!大丈夫です!ご心配いりません」


そして慌てて返事をした。


ーーきよ様がこのまま引き下がるとは思えません。


つむぎの不安は募るばかりだった。

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