麻酔科医__知られざるその日常__

神楽堂

第1話 私は麻酔科医

これから手術を受ける患者さんに、私は話しかける。


何を話したところで患者さんの緊張が取れる訳では無いが、

それでも私はおしゃべりを続ける。そして、患者さんの話に耳を傾ける。

やがて、私は宣告した。


「今から麻酔ますいをかけますね」


10秒後、私は患者さんに話しかけた。

反応はない。


この、麻酔をかける前の患者さんとのおしゃべりが、実はとても大事。

会話できていた人がしゃべらなくなる、という事実を確認する必要があるからだ。

患者さんに、

「聞こえますか? 返事をしてください」

と問いかけても、わざと無視をしている可能性もありえる。

あと、症状的に声を出せない患者さんもいる。

だから、麻酔がかかる前の患者さんとの会話はとても大切。

そうすることで、患者さんが麻酔にかかったかどうかの確認が、より確実になるのだ。


* * * * * *


お察しの通り、私は麻酔科医。

最近はテレビドラマなどの影響で、麻酔科医の存在も少しずつ社会的に認知されてきたが、それでもまだまだマイナーなイメージのある科だ。


若い頃、当直医のアルバイトをしていた時、看護師さんに、

「先生、薬の処方、できるんですか?」

と真顔で聞かれたことがある。


はじめは、あんたなんかに正しい薬の処方ができるの? という意味の嫌味を言われたのかと思っていたのだが、どうもそういうわけではなかった。

そもそも私に薬を処方する資格があるのか、という意味の質問だったのだ。

つまり、その看護師は、私を医師だとは思っておらず、技師のような人だと思っていたとのこと。

現場の看護師でさえ、麻酔科医に対する正しい理解がない人がいるということに驚いた。


と言っている私自身も、実を言うと、初めから麻酔科医になりたくて医学部に入ったわけではなかった。

臨床実習ポリクリをしていく中で、女性でも働きやすい科としておすすめされたことから、私は麻酔科に興味をもった。


麻酔科の医局に入った私は、教授から次のように口頭試問された。


「麻酔科医の仕事を一言で言うと何だ?」


「はい。手術のときに麻酔をかけることです」


私がそう答えると、教授はひどく落胆してしまった。


「……キミは何を学んできたのかね……」


しまった……

確かに、この答えではまずかった……


私はすぐに言い直した。


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