カモミールの滝 4

少なくとも3を読んでからでないと、多分意味が分からないと思います。


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「おはよう、華寿海(かすみ)」

「おはよう」

爽やかな香りと共に、朝日が洞窟に差し込む。

「寝れなかったのか?」

「いや、寝たよ」

「…そうか」



その昼、僕は池に潜ってみることにした。

僕は魚を獲るために膝ぐらいの水位までしか行ったことがない。そこでも池の中ではまだまだ浅瀬で、池はもっと広く、滝に近くなるにつれどんどん深くなっている。せっかく透明度の高い池なのだ、泳いで探索してみたかった。

そんな好奇心を大義名分にしたその裏で、もしかしたら里禹馬さんが帰ってきているかも、などと期待した訳ではない。しかし、こうでもしないと心の中の靄が晴れそうになかった。


爽やかな香りはいつものように風に乗り、崖の上から運ばれてくる。いつも水浴びをする浅瀬では、水に浸けた足の爪も水底の砂利も、鮮明に映った。

滝が生み出す波紋に逆らって歩いていく。脚にかかる重さが次第に大きくなっていった。

「滝には近づくなよ。死ぬぞ」

「気を付ける。溺れてたら助けてねー」

「おい…」

あるところで一気に水底が低くなり、水位が腰まで届いた。

大きく息を吸うと、カモミールの香りが肺いっぱいに回る。

太陽の光で煌めく水面に、頭から入っていった。



水中でも滝の音は大きい。

先の方に太い泡の柱が見えた。

波打つ光が、底の丸い石を照らす。

水の抵抗は想像よりも弱かった。

それでも、気を付けながら慎重に泳ぐ。

水草は、目では分からないほどゆっくりと揺れる。

周りを泳ぐ魚には大きいものもいるが、どれも主ではない。

長く生きているものは、見当たらなかった。


一度水面から顔を出し、自分の位置を確認する。

気が付けば、僕の背丈よりも深いところまで来ていた。

「絵都、気をつけろ。滝の方にはもう近づくな」

「分かった!」


初めて来た時から不思議だった。

華寿海の声は水音に掻き消されず、どうしてかよく通る。

きっと、水の流れが声を伝えているのだ。

昨夜、それがやっと分かった。

これは冴仁衣さんのためだ。

花を流さずとも、水が声を伝えている。

本人が思っている以上に、この滝は冴仁衣さんの影響を受けている。

本人が思っている以上に。


進路を変えて、横の方に展開していった。

池の淵を目指していくと、進む先に濃い魚影がある。目を凝らすと水草がよく生えた岩があった。

その水草の森を棲家としているのだろうか。大小様々な魚が群がっている。

近づくにつれて、鮮明に見えてくる。



あまりに大きいから気が付かなかった。


それは、岩ではなく骨だった。



口から泡が逃げていく。

急いで浮上して、またすぐに潜る。

そして近づいていく。

ゆったりと揺れる水草、自由に泳ぐ魚たちの隙間から、

太い背骨、大きな頭蓋骨。

開いた口の形に見覚えがあった。



(鯉だ…)


手で水草を避けると、全体が現れる。

——ここからでも泳いでいるのが見えましたよ。


その骨は、紛れもなく里禹馬(りうま)さんだった。



その姿は清々しいのか、激しいのか

自分の感情が分からない


確かめるように、手を伸ばした


その瞬間、溶けるような眠気

ゆっくりと、瞼を閉じた


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