ペリドットの寺 2

1を読まないと多分意味が分からないです。


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次の昼、ある僧が寺にやって来た。

「あ!華寿海(かすみ)見て!お坊さんだ!」

袈裟を着て、向こうから歩いてくる。

「あら、なんと!人が居ましたか。ははは、これはこれは」

僧はこんな山奥まで歩いてきたにもかかわらず、汗ひとつかいていない。

「すみません。僕たちこの寺に居させてもらってて…」

「ああ、構いませんよ」

「あ、僕は絵都(えつ)と言います。こっちは華寿海です」

「絵都さん、華寿海さんですね。私は橄欖(かんらん)と言います」

「あ、もしかしてこのお寺の名前と一緒ですか?」

「はい」

「へー!何かすごーい!」

「『何か』って……」

「ははは、構いません。でも納得しました。あなた方が居たからこの場所が分かりづらかったんですね」

「ん?どういうことですか?」

「うーん、お察しでしょうけど、この寺については話すことが多すぎます。出来れば今からでもお話ししてしまいたいのですが」

「分かった」

急ぐ話でもあるのだろうか。


「中に入ってお話ししましょう」

「あの、中が結構崩れて来てて…」

「ええ、そのことについてもお話しします」

寺に入ると、橄欖さんは慣れた様子で持参しただろう茶を淹れ、僕たちは縁側に並んで話を聞くことになった。



「ええ、どこから話したら良いですかね」

静かに風が吹く。


「…俺たちは、もうここを出て行く」

「え、」

「そうですね。その方が宜しいと思います」

「どうしてですか?」

「あなた方は、この寺に歓迎されていないからです。居ても構わないのかもしれませんが、出て行かれた方が良いでしょう」

「そんな…」

「絵都、まずは聞け」


「まずは…、この寺の成り立ちからお話しするのが良いですかね。この寺は浄土信仰の寺院として建てられました。浄土信仰とは、極楽へと往生することを願うものです。『来世こそは極楽で生きられますように』と願うのです。奥座敷にある極楽図は見られましたか?」

「あの壁に彫られているやつですよね?」

「そうです。浄土信仰は、最初は、単純に極楽という美しい世界への欲求が支えていたという側面が強かったのですが、次第に現世という苦しく、穢れた世界から逃れて来世に期待するといった側面が強くなりました。そういった流れの中で、橄欖石を用いてこの寺は作られました」

「橄欖石?もしかしてペリドットのこと?」

「ええ」

「へー、それが寺の名前にもなってるんだね」

「そうですね。私の名前にも…」

橄欖さんは穏やかに微笑んだ。


「橄欖石は昼夜を問わず美しく輝き、また浄化の作用があるということで選ばれました。肉体や感情を浄化し、また色欲などといった欲を抑えるのです。僧侶が修行を行う寺という場にはぴったりでしょう?」

「はい」

「そうして完成した寺では、十二人の僧侶が修行をしておりました。しかし暫くしたのち、僧侶が一人ずつどこかへ消えていったのです。いくら探しても見つからず、また誰も帰ってきませんでした。ある時周囲の人間がこの異変に気付き、寺は閉鎖されて、人々は寄り付かなくなりました」

「え…」


「一旦休憩しましょうか」

「そうだな」

淹れてくれたお茶は温くなっていた。

目の前に広がる林が風で揺れている。



「話を再開しましょう。ここまでで、質問はありますか?」

「橄欖さんは、どうしてそのことを知っているの?」

「私は、その時消えた僧侶の一人です」


「『誰も帰って来なかった』というのは実は誤りです。長い時間をかけて、私たちはこうして帰ってきています」

「……」

「私たちを消したのは、この寺です」


「橄欖石が持つ浄化の力というのは強すぎたのでしょうね。私たちが日々修行を重ねていると、この寺はそれに呼応するように意思を持ち始めました」

「意思?」

「美しさに執着し、人間としての欲や穢れと言ったものを拒絶し始めたのです。私たちは修行中の身でした。どれだけ精神を清めようと、ふとした時に煩悩は生まれてしまいます。それが気に入らなかったのでしょうね、皆消されてしまいました」

「ほとんど怨念だな…」

「ふふふ、そうですね。すっかり取り込まれてしまいました」


「消されたのち、私たちは他のいくつかの世界を渡って、再びこの世界に帰ってきます。お寺の管理もそうですが、いちばんは修行をするためですね。私たちが修行をしながら高めていく来世への強い願望や、それによる輪廻転生こそがこの寺にとってのエネルギーなのです」


「僕たちがこの寺を見つけた時、お坊さんがひとり居たんですけど、次の朝には居なくなってたんです」

「ええ、それも『私たち』ですね。私たちは順番にこの寺に帰ってきます」

「『私たち』?」

「はい。『私たち』は何度も輪廻を繰り返して、もう半分人間では無いのですよ。寺の一部となって時の中を廻っています。私たちには個もありません。その僧侶の名前も橄欖です。その僧も私なのです」


「この寺に帰って来ると、私たちは修行をし、再び他界するのを待ちます。この寺によって次第に欲求は排除され、食べることも寝ることもしなくなります。そうしてまた消えるのですね。消えたらまた次の私がこの世界に生まれ落ち、この寺を探すでしょう。今回の私は、お二人がいたためか探すのに時間がかかってしまいましたが、本当はもっとすぐに見つけられるんですよ」

「……」

「会ってすぐに、お二人にお話をしたいと言ったのも、私がこの瞬間にも寺に染まっていっているからです。きっと、数日もすればこの寺に関する客観的なことは全く話せなくなるでしょう」

「そんな……」



「私からも尋ねて良いですか?」

「はい」

「華寿海さんは、何者でしょうか。先程私は半分人間では無いようなものだとお話ししましたが、そのせいで何となく分かるのです」

「ああ、俺は春の神だ」

「春、」

橄欖さんが目を丸くした。


「ははは、それはこの寺に歓迎されないでしょうね。そして神様ですか。それは寺がこう崩れていく訳ですね」

「華寿海は強い神様なんだって」

「はは、そのようですね」

「でも、歓迎されないというのはどうして?」


「この寺は私たちの輪廻転生をエネルギーとしていると話しましたね?」

「はい」

「輪廻転生も季節の巡りも、どちらも循環です。私たちが死んで生き返るように、冬が終わると春が再びやって来ます。この寺にとってはそれが美しいのですね。私たちが十二人だったというのも、きっと丁度良かったのです」

「十二人って、どういうことですか?」

「お前は知らなくて良い」


「ふふ、ですから春の神様がずっと居られるというのは、この寺にとって美しくなく、都合が悪いことだったのですね。しかし華寿海(かすみ)さんのお力が強いために追い出すことも出来なかった。お二人は、恐らくお食事も睡眠もずっとされていたのですよね?そういった苦しさが重なっていって崩れていったのでしょう。」

「え、それは申し訳ないことをしたなぁ」

「私が帰って来ましたから大丈夫ですよ。私も寺の一部です。私からエネルギーを得て、直っていくはずですよ」



「橄欖さん達の転生は、どのぐらい続いているの?」

「どのぐらいでしょうね。千年ぐらいでしょうか」

「そんなにか」

華寿海が驚いた声を出す。

「ええ、そんなにです」

穏やかな笑顔。


「うーん…、」

「どうした」

「橄欖さん、」

「はい」

「…橄欖さんは辛くない?そんなに長い間…」

「ふふ、ありがとうございます。そうですよね、」

淡々とした口調。


「あなた方からしたら、私はこの寺に苦しめられているのでしょう」


「しかし、私はこの寺なのですよ。これが全く辛くないのです。」


「私が循環の一部になっていること、私たちが何度も何度も、神様に「そんなに」と言われるような時をかけて積み上げてきたものを、心から美しいと思っているのです」



「……」

穏やかに笑う目の奥に、鈍く光る色。


「循環って、そんなに美しいんですか?」




「ふふふ、そうですね。この寺よりも、ずっと」









僕たちは、橄欖さんが消えるまでこの寺に残ることに決めた。

言っていた通り、橄欖さんは次第に話さなくなり、動かなくなっていった。

そしてある夜、橄欖さんは縁側から消えていった。

初めて来た日と同じように、全く眠れなかった。

僕たちは、こんな寺にあっても異質だった。

すっかり綺麗に直った天井で、

緑の光が勝ち誇ったように煌めく。

隣で寝る華寿海を嫌らしく照らす。

気味が悪かった。

橄欖さんの目の色が、忘れられない。


春は太陽と時間、

その美しさを知らない者から死んでいくのだ。

極楽へと行ったところで、

極楽へと行ったところで。




終わり

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