04 図書室の騒動


「お前、何してんだそんな所で」

 中の一人が祐太郎の目の前にずいと立ち塞がって言った。


 柔道部あるいは相撲部といっても十分通用しそうなガタイをしていて、背丈も胸回りも祐太郎より一回り大きい。ニキビ面を歪めてニヤニヤと笑っている。

 制服の胸元がだらしなく外れていて、祐太郎は思わず手が出てしまった。


「外れていますよ」

 上級生の胸元に手をやってボタンを留めはじめたのだ。男は驚いた顔をして、それから首をブンブンと横に振って喚いた。


「うるせえっ!! 何するんだ!!」

「何するんだって……」

 祐太郎が首を傾げる。惹き込まれそうな黒い瞳が真直ぐに男を見上げている。上級生はカッと頬を染めて祐太郎の胸座をつかんで引き寄せた。


「キサマ、人をおちょくってやがると……」

 その途端、祐太郎の手からグリム童話集が滑り落ちた。

 ドサッ!!

 分厚い本はその上級生の足を直撃した。

「ってえ!!」

 上級生は足を押さえて蹲った。

「おまっ!!」

「やる気かっ!!」


 他の二人が祐太郎に向かって来る。祐太郎は思わず引き下がって本棚に手を付いた。どうした弾みか本棚の本がドサドサッと落ちた。


「ぎゃ!!」

 一冊が他の上級生に当たって悲鳴を上げ、他の一人も怯んだ。

「わわっ」

「ああ、すみません!!」

 祐太郎は落ちた本を避けて、その本棚の隅から走り出た。

「キサマ、逃げる気か!!」

「違います。図書委員さんを呼んできます」


 男達が後を追いかけたが祐太郎の足は速かった。広い館内を駆け抜け、あっという間に貸し出しカウンターに辿り着いた。カウンターには一人の生徒がいた。


「すみません。本を落としてしまって」

 祐太郎がそう言うと目を丸くして首を傾げた。ふっくらしたその顔はどこかで見た顔だった。


「あれ、生徒会の…?」

「会計の小宮です。図書委員も兼任しています。本がどうしたんですか?」

「棚から落としてしまって。すみません、一緒に見て頂けますか?」


 小宮は更に驚いたような顔をして祐太郎を見た。図書室の奥の方から先程の上級生達がバツの悪そうな顔をして出て来る。図書室にいた他の生徒達が驚いたようにその様子を見ている。上級生達はそのまま図書室を逃げ出した。


「申し訳ありません」

「ああ、いいよ。秋元君だったね」

 小宮がカウンターから出た時、教師が入って来た。細い眼鏡と短い黒髪の背の高い男。祐太郎のクラスの担任の龍造寺だった。


「何かあったのか?」と祐太郎と小宮を等分に見比べた。

「あ、すみません。本を落としてしまって」

 祐太郎がさっさと謝った。

 龍造寺は「早く片付けなさい」と手を振った。

「はい」


 祐太郎に案内されて小宮は図書室の奥に行った。高い本棚の間の床に、本が十冊ばかり散らばっている。酷く破れている本は無いようで、弁償とか言われたらどうしようと思っていた祐太郎はホッとした。


 小宮は本を調べていた手を止めて祐太郎を見た。何か考える風情で、言葉を押し出すように低く早口で何事か言いかけた。

「君…、君なら──」

 その時「小宮君」と龍造寺が呼んだ。小宮は口を噤んでそのまま行ってしまった。


 祐太郎が本を片付けて図書室の奥から出ると、貸し出しカウンターには別の生徒が座っていた。あの三人の上級生はもう図書室に来ないようだ。祐太郎はとっとと図書館を出た。



 その日の夜「図書室で何かあったのか?」と、同室の佐野が聞いてきた。机は背中合わせに並んでいて、祐太郎は机に向かっていた顔を起こして振り向いた。


「何で知っているんです?」

「俺、顔が広いんだ」

 佐野は机に向かったまま背中で答えた。祐太郎は背中を向けた佐野に向かって言う。


「上級生にカツアゲされそうになったんです。僕の家はごく普通の一般家庭なので何も、ほら、無い袖は振れぬって言うでしょう」

「随分と慣れているようだな」

「小さい頃からよく苛められたので、父が心配して色々習わせてくれました」


 祐太郎は机に飾ってある父の写真に手を合わせた。父親がそれを見たら、オイ、まだ殺すなと文句が出そうである。


「色々って?」

 佐野が興味を持ったように振り向いた。

「古武術です。空手やら棒術なんか」

「そうか成る程な。それを入学願書に書いたか?」

「いえ、自己流ですので」そう言って祐太郎は立ち上がる。


「僕、佐野さんほどじゃないけどちゃんと筋肉がありますよ。見ますか」

 佐野の目の前で服を脱いでもろ肌になろうとした。佐野はギョッと椅子から立ち上がって、慌てて祐太郎を引き止めた。

「いい、またその内にな」


「そうですか」

 黒い瞳が残念そうに佐野を見る。残念なのは佐野の方だった。チラリと見えた鎖骨の辺りの白くて滑らかな肌。しかし、手を出してまた投げ飛ばされるのは本意ではない。プライドは高いのだった。

「用を思い出した」と佐野は部屋から逃げ出した。



 カツアゲしようとした上級生は後で三年生二人と二年生一人だと知れたが、石橋を叩いても渡らない性格であるので祐太郎から近付くことはなかった。


 慎重だがクソ真面目な性格であるので、押し付けられたクラス委員を黙々とこなす。副委員長は内部進学生の井桁というのっぺりとした顔の少年で、いつも同じ内部進学生の仲間と一緒にいて、あまり祐太郎に協力的ではなかった。


「井桁君。この前のホームルームの議決項目をノートに書いてくれた?」

「まだ」

「井桁君、掃除道具の点検をしたプリントを提出してくれた?」

「まだ…」

 井桁とつるんでいた他の生徒が言う。

「急いでいるんならあんたがやれよ、委員長」

 井桁は仲間内に逃げた。祐太郎は首を傾けて井桁を見る。


「じゃあ、君の査定はマイナスでいいのかな」

「査定って、何だよ」

 不安そうな顔をして井桁が言った。突っ張ってはいるが気は小さいようで、小さな目がおどおどしている。


「君の評価だよ。生徒会とか役員とかすると評価されるんだけど、仕事をちゃんとやらないとマイナス評価になるんだよ。成績に響くんじゃないかな。僕は融通がきかない方なんだ。ごめんね」


 祐太郎は黒い瞳で井桁を見て、心底済まなそうにそう言った。そして「じゃ、僕がやるからノートを」と手を出した。

 井桁はその手と祐太郎の顔を何度も見た。周りで井桁の仲間達がウソ言ってんじゃねーよとか、外部生のクセにとか言っている。

 しかし、井桁は耐えられないように首を横に振った。


「い、い、いいよ。俺、もうやってあるんだ」

 そう叫んで、デイバッグの中からプリントとノートを取り出した。

「今から持って行くから」

 祐太郎にノートを渡すとプリントを持って走って教室を飛び出した。チェッとぶつくさ言っている他の生徒は相手にせず、祐太郎は受け取ったノートを手にとっとと自分の席に戻った。



 そうこうする内に水曜日がやって来た。

 佐野に教えてもらって行った生徒会室は、一階校舎で職員室のある棟と対極の位置にあった。ドアを開けると眩い光が飛び込んできた。


 レースのカーテン。どっしりしたレザーの応接セット。テーブルと広いデスクとその後ろに並んだ書棚はマホガニーか。豪華なシャンデリアがないのが不思議なくらいだ。


(学生の身分でなんという贅沢……)

 祐太郎はしばらく生徒会室の入り口で立ち止まって、呆然と部屋を見回した。


「どうしたの? 入ったら」

 生徒会室の中から小宮が覗いて声をかけた。

「あ、はい」

 祐太郎の電卓がやっと動き出した。


(この備品の費用はどこから出ているのか。毎月払う設備充実費か、入学金の他に払わされた特別協力金とかいう寄付金からだろうか)


 忙しく頭の中で電卓を弾く祐太郎の前にコトンと紅茶のティーカップが置かれた。ふくよかな香りが溢れる。

「ありがとう」と見上げるとにっこりと笑った。

 えくぼの浮かぶふっくらした頬が心持ち削げて見える。あの日言いかけて止めた小宮の言葉が気になった。


「あの──」

 祐太郎が聞こうとしたらちょうど会長の那須が生徒会室に入って来た。那須は一人ではなかった。ラプンツェルの一人、鳴海智紀という少年と一緒だった。那須の手が鳴海の真直ぐの茶色いサラサラの髪を撫でた。鳴海がくすぐったそうにする。祐太郎の心の中をもやもやとしたものが広がっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る