第2点 彼女の名は樽


「って、はぁっ!!!!」


 私は勢いよく上半身を跳ね上げた。

 思いがけず絶叫系を体験してしまい、早鐘を打つ胸を押さえてハァハァと荒い息を繰り返す。

 めっちゃ怖かった。めちゃめちゃ怖かった。

 フリーフォールのあのお尻がひゅんってなる感じ、本当苦手なのに!

 あの馬鹿神め!!!


 ひとしきり憤ったら、やっと状況把握が出来るくらいに落ち着いてきた。

 なんか、めっちゃふかふか。

 私のお家の布団は碌に干してないからペラペラなのに……って。

 あれ。

 ここどこ!!!?


 テレビでしか見た事ないような、それはもうバッキンガム然りというような西洋風のお部屋。

 この部屋だけで私のアパートの敷地丸々入るんじゃないかってくらい広い。

 私はその部屋にドデーンと鎮座するベッドに寝ていたようだ。


 何!?

 この状況めっちゃ知ってる!!

 見た事あるもん『カクヨム』で!!

 結構読むのよweb小説!!


 数多ある異世界恋愛ファンタジーの冒頭で見るこのシーン。

 恋愛小説とか乙女ゲームとかそれ系でしょこれ!!!

 画家をイケメン化ってそういうこと!?

 転生したのは悪役令嬢!? それともヒロイン!?

 私は慌ててベッドの斜向かいの壁にかかっている鏡(これまた巨大)の前に移動する。

 鏡の中には、目が覚めるような美しい少女が…………


「居ない! 全然美しくない!! 何なのこの子豚はぁ!!!!?」


 鏡の中には、絶世の美少女……ではなく、丸々と太った子豚のような少女が映っていた。

 恐ろしいほどに突き出たお腹。スイカのようにまん丸な顔。超高級ハムと見間違うほど太い手足。

 目なんか脂肪に埋もれてほんのちょっとしか見えやしない!!

 辛うじて見えるアンバーの瞳と艶やかなミルクティー色の髪は美しいけれど、もう、ね。

 ぽっちゃりとか言うレベルじゃない。

 豚という言葉でもまだ甘い。これは樽だよ樽!!!


 頭を抱えて床を転がる。

 比喩じゃない。

 文字通りころころ転がる。

 よく転がりますなぁ!! フォルムが丸いからねぇ!!


 声にならない声を上げながらころころしていると、ガチャリと音がして誰かが部屋に入ってくる気配がした。


「お嬢様!! お目覚めになったのですか!?」


 その声に目をやると、メイド服の女性が慌てた様子で駆け寄ってきた。

 焦茶色の髪をお団子に引っ詰めて、髪と同じ色の瞳を大きく見開いている。

 この体の子のお付きのメイドさん……侍女ってやつかな?


「もう丸3日意識を失っていらしたのですよ!? どこか痛むのですか!? 今お医者様をお呼びします!」


 侍女の女性は慌てた様子で、部屋を出て行こうとする。


「ストーーップ!!!!」


 私は丸い体を利用して、ゴム毬よろしく侍女さんの前に転がり出て道を塞いだ。


「お、お嬢様!?」

「そう! そのお嬢様! 悪いけれどあなた、ワタクシの名前をおっしゃって?」


 精一杯の知識を総動員して、お嬢様っぽい喋り方で話しかける。

 侍女さんに不審がられたらいけないからね。

 逆に怪しいかもしれない口調になったのは目を瞑っておこう。


「お嬢様の名前……ですか? もしや、頭を打たれた衝撃で記憶喪失に……!?」

「あ、やっぱり頭打って寝込んでたんだ。じゃなくて、そうそう、ちょっと記憶が曖昧っていうか? 一時的な混乱っていうか? そういう奴なのよ!」

「お嬢様……おいたわしや……」


 早速お嬢様言葉が抜けてしまった。難しいな。

 でも何とか誤魔化せそう!

 侍女さんがうるうるとした瞳で私のことを見ている。

 めちゃめちゃ同情されてる様子だ。


「混乱なさっているところ、大変申し訳ありませんでした。私の名前はロッセリ。お嬢様に支える侍女でございます。僭越ながら、私がお嬢様のご尊名をお伝えさせていただきます。お嬢様は『サンドラ・ボッティチェリ』様でございます。ボッティチェリ公爵家の御令嬢にございます」


 は……?

 サンドラ・ボッティチェリ……?


「サンドロ・ボッティチェリでなく?」

「サンドロでは男性名ではございませんか。お嬢様は間違いなく、サンドラ・ボッティチェリ様でございます」


 いやまさか。

 私は思わず、再度鏡を覗き込んだ。


 すると急に目の前に、ゲームのコマンドのような枠が現れた。



————————————————————

|サンドロ・ボッティチェリ

|代表作『ヴィーナス誕生』

|   『春「プリマヴェーラ」』

|初期ルネサンス期を代表する画家の一人。

|本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・

|フィリペーピ。

|サンドロの長兄であるジョヴァンニが

|酷く太っていたことから、

|「小さな樽」を意味するボッティチェリ

|という名で呼ばれるようになった。

|この世界では「サンドラ・ボッティチェリ」

|と呼称する。

—————————————————————


「えーーーーーー!!!!?」


 私がボッティチェリなの!?

 もしかして神が言ってた『プレゼント』ってこれ!!?

 いや確かにボッティチェリは好きだけど、なりたいと思ってた訳じゃないのよ!!

 画家をイケメンにするんじゃなかったの!?

 私も画家じゃん!! ていうか女になってるし美しくもないし!!


 しかもなんで私まで樽体型な訳?

 樽なのは兄なんでしょ!? なのになんで私まで……!!!


 いやそもそもさ。

 確かに説明を付けるって言ってたよ?

 でもこれ、元ネタの人の説明じゃん。

 言ってみればこの世界では関係ないじゃん。

 もっと説明することあるでしょうに!!!


 慌てるロッセリを尻目に、頭を抱えて再度ころころ転がる。

 この現実を受け入れたくない!! 訳がわからないあの馬鹿神ぃ!!

 右に左にころころしていると バンッ! と激しい音がして扉が開いた。


「サンドラ!! 起きたのかい!?」


 いや、兄!!!

 もう紛うことなき、明らかなる血縁関係を感じる樽体型の若い男性! すなわち兄!!


 兄と思しき男性が、扉を開けると同時に転がり入ってきた。

 比喩じゃない。

 まじで三回転くらい転がりながら入ってきた。

 転がりやすい体型なんだな本当に。


「えっと……お兄様……?」

「そうだよお兄様だよォ!! まさかケーキを喉に詰まらせた拍子に転んでテーブルの角に頭をぶつけるなんて……本当に災難だったね……!!」


 そんな理由で倒れてたの!?

 めっちゃ恥ずかしいんですけど。

 私じゃないけど今は私だし私の恥になるじゃない!!


「でも良かった……本当にホッとしたよ。もう、ケーキをあんなにやけ食いするくらいなら、婚約なんて解消すれば良いんだよ。サンドラが傷付くだけじゃないか!」

「え??」


 情報が多いな!

 何か婚約者とトラブルがあって、ストレスでケーキをやけ食いしたってこと?


「坊ちゃま。どうやらお嬢様は頭を打った衝撃で、記憶が混乱していらっしゃるようです」


 ロッセリがやけに深刻そうな顔でジョヴァンニの耳元で囁く。

 その言葉に、ジョヴァンニの瞳がみるみる大きく開かれる。

 いや、脂肪に埋もれてよく見えないんだけどね。


「何ということだ……!!! お兄様のことは分かるかい!!?」

「えっと……見るからにお兄様なのかなとは思うのですけど、実感はなく……。あと私、やっぱり婚約者が居るのですね?」

「なんっっということだっ!!!」


 急に大声出すやん。こわ。

 いやいや、すごいショックを受けてる感じがして申し訳ない。

 記憶喪失っていうか、別人に変わっちゃったから……。


 でも良かった。

 サンドラは性格が悪くて嫌われてるとかではなさそう。

 ロッセリも兄も心配してるみたいだもんね。

 婚約者っていうのは、やっぱり王子とかかな?

 公爵令嬢って言ってたもんね。


「大体あいつは、見舞いにも来ないで。お兄様はあのボンクラ王子は気に入らないな! サンドラはちょっと自分に正直なだけなのに!」


 前言撤回。嫌な予感。

『自分に正直』は良い意味で使うことあんまりなくない?

 やっぱりサンドラって我儘令嬢なんじゃ……。

 我儘すぎて婚約者の王子に嫌われてる!?



「ジョヴァンニやめなさい。不敬だぞ」


 びっくりした。

 急に低音バリトンボイスが聞こえてきたと思ったら、扉の所にシュッとしたイケオジが立っている。

 何あのイケオジ。

 使用人という身なりじゃない。

 とすればもしや……


「お父様!」


 ジョヴァンニが振り向いて言った。

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