File1:S高の幽霊『どうして?』



「『次はもっと上手にやるから』って言って、その後のことは……覚えていません」


 つっかえつっかえながら佐々木彩花    あやかは話し終えた。時間にすれば十分も経っていないが、もう数時間も喋り続けたような疲労感が全身に絡みついている。彩花は俯いて深く息を吐き出した。

 すると、対面で聞き役に徹していた黒髪の男がおもむろに口を開いた。


「藤井先生に声をかけられたんじゃないですか? ですよね、村田校長」


 と言って彩花の右隣に座るS高の校長を見やる。彩花は顔を上げてテーブルを挟んで正面に座る男を改めてまじまじと見つめた。

 『なばり』と名乗った男の入校証には『隠』と書いてある。今まで見たことのない名字だ。名前かもしれないが。どちらにしても珍しい。


「え、ええ。そう聞いています。三階を見上げたまま動かない佐々木さんに藤井先生が何度も声をかけて、ようやく返事をしてくれたけれどもひどく気が動転していたので保健室に連れて行ったと」


 人の良さそうな、意地の悪い言い方をすると騙されやすそうな校長が額をハンカチで拭いながら隠に答える。

 すると隠は深い紫色の目を細めた。名前だけでなく目の色も日本人にしては珍しい。外国の血が入っているのかもしれない。

 そして今は裸眼だが、校長室に入ってきたときにはフレームの大きな丸眼鏡を掛けていた。何故か挨拶を交わす直前に外してしまったのだけれど。


「……だ、そうですが。思い出しました?」

「…………うっすらとは」


 自信がないから答える声も小さくなる。実際あの後のことは朧げにしか思い出せない。

 藤井先生に声をかけられたのも返事をしたのも覚えていないけれど、保健室のベッドで親が迎えに来るまで蹲っていたのは覚えている。理絵がどうなったのか養護教諭に訊くこともしないで。

 やや前かがみになって彩花の話を聞いていた隠が背もたれに寄りかかるように体勢を変えた。


「まぁ、目の前であんなことがあったんですから覚えていなくても無理はない。今日もよくこうして会ってくれました。本当に助かりましたよ」


 ゆったりと喋りながら彩花に笑いかける。穏やかな声音と左耳にいくつも飾られた銀色のピアスの輝きがアンバランスだ。

 褐色がかった肌にやや癖のある髪をうなじの辺りで大雑把に括り、細身のジャケットに襟の立っていないシャツを合わせて着ている。ここが校内で一番お堅い校長室でなければそれほど浮いていなかったかもしれない。


「……でも、役には立てません」


 隠の動きが止まる。内ポケットから小さなメモ帳を取り出してページを捲っていたところだった。

 数拍を置いてからメモ帳に付属していたちゃちなペンを左右に揺らし始める。


「どうして?」


 責めるような口調ではなかった。しかしどうにも隠には軽薄な雰囲気が付きまとう。笑っていてもいなくても同じだ。端的に言うと胡散臭かった。人相の悪さと銀縁の丸眼鏡がそれを強固なものにしている。

 こんな人を校内に入れて本当に大丈夫なんだろうか、とストレートに失礼な考えが彩花の頭を過ぎった。この期に及んで現実逃避をしようとしているのかもしれない。

 これ以上余計なことを考えてしまう前に終わらせないといけない。急いた心が彩花を饒舌にさせた。


「だって私以外にアレを見た人はいないんですよ。理絵を助けに来た人たちも藤井先生も誰も何も見なかったって……あの階段には私しかいなかったって言ってるんです。私が何かを見間違えたか……幻を見ただけです。事故には何の関係もありません」


 室内が静まり返る。校長は不安げに隠の様子を窺っていた。当の隠は微笑を浮かべたまま彩花から目を逸らさなかった。


「佐々木さんはあの一件を事故だと考えているんですか? 安藤さんが階段で足を踏み外して転落しただけだと?」


 やはり責め立てるでも嘲るでもない落ち着いた口調だった。

 けれど冷淡に彩花の思考を紐解こうとしているようにも聞こえてしまった。反射的に隠を睨め付ける。


「そうじゃなかったら何なんですか。事件? あなたも私が理絵を突き落としたって思ってるんですか?」


 校長の肩が跳ね上がる。激しい瞬きと共に何故その風説を知っているのかと言いたげに彩花を見た。

 それを横目にして彩花の口元が歪む。分からないわけがない。面と向かって言ってくる人はいなくても向けられる視線が、隠しきれない囁きが、教室に充満する好奇心と悪意が存分に皆にとっての真実を語っていた。

 これで少しは隠も動揺しただろうか。彩花が正面に意識を戻すと、笑みを深くした隠と目が合った。

 

「違いますよ。おれはね、佐々木さんの視た幻……幽霊が関わってると思ってるんです」


 は? と間抜けな声を出さなかっただけ褒めてもらいたい。幻聴かもしれない。いや幻聴であれと願いながら彩花は訊き返す。


「幽霊? 本気で言ってるんですか?」


 更に言葉を続けようとして、ふと疑問が浮かぶ。

 そもそも彩花は隠が何のために、何の役割を持ってここへ来た人なのかを知らない。校長が連れてきたのだから怪しい人ではないだろうと思い込んでいた。校長の人選だというのならむしろ警戒した方がいいのではないか。


「あの、隠……さんって警察の人じゃないですよね」


 隠は小首を傾げた。


「あれ? 言ってませんでしたっけ。おれは心霊アドバイザーです。除霊師と名乗ることもありますけど。まぁとにかくそういう心霊案件に首を突っ込むのが仕事なんですよ」

「校長先生……」


 怪しいにも程がある。彩花は唖然としながら校長を見つめた。

 騙されてるんじゃないですか。後で大金を要求されるんじゃないですか。何なら怪しい集まりに連れて行かれるんじゃないですか。言いたいことは沢山あったが、隠の手前口には出せない。

 彩花の無言の訴えが届いたのだろうか。校長が説明のような弁明なようなものをし始める。額どころか顔も首元も汗で湿ってきているがハンカチは手に持ったままだ。


「ここのところ、幽霊を見たと言って怯えている生徒たちがいたでしょう。中には登校を拒否する生徒もいて……更にはこんなことまで起きてしまった。それに私も……いえ、幽霊の存在を完全に信じているわけではありませんが……可能性があるのなら一度専門家の力を借りてみるべきだと思ったのです。そうして信頼の置ける方を探しているときに隠さんを紹介していただきましてね」


 話せば話すほど嘘臭くなるとこの場にいた全員が思っていたに違いない。そう、隠さえも。だからにこやかに校長へ助勢してみせた。


「不安に付け込んでやたら高額な塩だの数珠だのを売りつけたりはしませんから」

「……はぁ……」


 まったくフォローになっていない。けれど彩花は言葉を濁すしかなかった。詐欺師だと告発できるような証拠はもちろんないし、全面的に信頼できる根拠もまったくないのだから。

 よりにもよってこんなときに茶番に付き合わされるなんて。彩花は心底うんざりしていた。もう帰りたい。帰ったって居場所はどこにもないけれど。どこにいたって何をしていたってあの日の理絵の笑顔が頭にこびり付いて離れてくれない。

 

「そうだ。村田校長の仰った幽霊について佐々木さんは何かご存知ですか?」 

「私ですか? 校長先生の方が詳しいんじゃ……」

「生徒の間で広がっているリアルな話は佐々木さんからじゃないと聞けませんから」

「そうは言っても……私もそんな詳しくないですけど」


 事態が良からぬ方向へ進みつつある。

 渋る彩花に対して隠は居住まいを正した。凪いだ瞳が真正面から彩花を射抜く。


「それでもいいです。知っていることを教えてください」


 嫌です。その一言が言えない自分が情けなかった。


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