第十七集:悪魔
「
「どこへ行ったかは
「やっぱり……」
「魔法使いと皇后と共に出発したんだな。さて、どこに行ったか……」
「
「瓏国を救う時が来た、と。この
「はっ!」
「
二人は音もなく飛び立つと、そのまま空の彼方へと消えていった。
「いいのか。瓏国が戦場になるぞ」
「覚悟の上です。ただ、ここではない場所が主戦場になると思われます」
「それはなぜだ」
「
「居場所がわかるのか!」
「皇族の避暑地です。よく川で遊びました……。もうそのころのわたしたちは存在しませんが」
もうすでに、自分が
「避暑に行くにはまだ時期的に早いな。ということは、被害は最小限で済ませられるということか」
「はい。
「せめてもの幸運だな」
「そうなるといいですが……。幸運ではなく、現実にしなければ」
皇宮守護の要であるはずの禁軍の大部分が信じられない今、董
御林軍が従うのは皇帝と皇后のみ。
そのどちらもがいない今、彼らは
おそらく、
兵符があれば、瓏国内にあるすべての兵を動かすことが出来る。
そうなれば……。
「戦争は避けられません。護るための戦いが、殺戮に変わらないよう、素早く動きましょう」
「正体を明かす覚悟はあるか」
「ええ。もう隠す理由もないですし」
「……それならば、付き合おうじゃないか」
「で、でも、師匠はこの先も薬術師として……」
「いいじゃないか。有名な
「……ありがとうございます」
熱い。
胸が、心が、勇気で満たされていく。
「飛んでいこう。その方が三倍近く速く着く」
「はい!」
二人は杖を羽衣に変えると、姿を消すことなくそのまま空へと飛びあがった。
「
下から声がした。
「我々はあなたを信じます!」
賢妃に仕えている太監たちが息も絶え絶えに走りながら空を見上げ、叫んでいる。
「たとえお姿が変わろうと、それにどんな理由があろうと、行きつく先の未来は明るいのだと、思わせてくださるから!」
そこへ太医たちも加わり、涙を流しながら手を振っている。
「お気をつけて!」
「行ってきます!」
「愛されているな、
「みんな、心が広いのです」
涙が出た。
皇太子になることから逃げ、信じてくれている人たちからも逃げてしまった。
落胆させてしまっただろう、呆れさせてしまっただろう、そう思っていた。
でも、それは
過去も、今も、そして、未来も。
「戦う理由しかないな」
「はい。わたしの手が血に染まることで国を、民を救えるのなら、いくらでも
陽が落ち始めた。
「ふふ。こうして飛んでいると、君は
「
「
「それは褒めているんですか?」
「そう受け取って置け」
「ふふ。そうします」
風に夏の香りが混ざる。
それは雨のにおいとも似ていて、切なさがこみ上げる。
これから行くのは、幸せな思い出がたくさんある場所。
それを、実の弟ごと、引き裂きに行くのだから。
空に白い月が目立ち始め、気づけば夜。
追いつけたようだ。
眼下にはちょうど皇太子専用の馬車が避暑用の宮殿下に着いたところだった。
怯える皇后の肩を支えながら、
「皇后陛下がまだ生きていてホッとしたが……、
「わかりません。でも、これから殺そうとしていることには変わりないでしょうから、わたしたちも宮殿へ入りましょう」
三人が宮殿に入ったのを確認すると、二人は地上へ降り立ち、すぐにその後を追った。
「こっちですね」
声のする方へ走っていく。
「きゃああ!
皇后の悲鳴がこだました。
「やめろ!
「ようこそ、兄上」
その少し後ろで、魔法使いは
「た、助けて……」
「母上、少し兄上と話をしたいので、黙っていてくださいね」
皇后は口に絹の布を二重に巻かれてしまい、声が出せなくなってしまった。
「やめるんだ、
「どうして? 母上を殺せば、私は兄上と対等な存在に成れるのですよ?」
「そんなの、わたしは望んでいない!」
「兄上が何を望もうと望まないと関係ないのです。私は、もう決めたのですから」
「何を……」
「私は魔王になります。そうすれば、兄上はきっとその永い一生で私のことを忘れられなくなるでしょう? 思い浮かべない日がなくなるでしょう? 私はこの中原を統べ、兄上を愛し、永遠に憎み合いたいのです!」
何を言っても反論されるだけ。
「もしその手を少しでも動かしたら、わたしがお前を殺す」
「ああ、兄上! その美しい戦火のような髪色に冷たい満月のような眼……。ずっとずっと、美しく優しい私の兄上……。永遠に、私のものになってください!」
手を伸ばし、飛び出したが、間に合わなかった。
「ふふ、あははははは! おい、アンリ! これでいいのだろう! ああ、ずっと考えていたのです! 母上は必ず兄上の目の前で殺そうと!」
アンリは喜色満面で
「
「
もうここで、殺しておくしかないのか。
「な!」
球状の何かに弾かれ、火花が散った。
「おお、アンリが言っていた通りだ。どうやら、これは一種の〈繭〉だそうですよ、兄上。私は生まれ変わるのです。崇高なる邪悪の化身、悪魔へと」
「うあっ!」
「師匠!」
「くそ、駄目だ。あの魔法使いは二重音声使いだ」
「二重音声ってことは……」
「
「そんな……」
アンリは嬉しそうに顔を歪ませ
「
「さぁ、
「おい、
「すぐに終わらせて、必ず助けます」
「舞え、
「……くっ!」
兜の下から現れたのは、焼けただれたような、豚の鼻と
「どうですかわたしの作品は! 豚を混ぜたのは正解でした。雑食なので、何でも食べてすぐに成長するんです。そう、人間もあますことなく、です! プロングホーンはその脚力のみならず、美しい角を持っています。刺されたらひとたまりもないでしょうねぇ。そして極めつけは
(人間に、人間を食べさせたのか……)
背中に強く鈍い痛みの後、身体が吹き飛ばされた。
「ぐっ……」
鋼鉄の
でも、さすがは
骨にヒビすら入らない。
ただ、服と皮膚は裂け、血煙が背後から立ち昇った。
「余所見している暇はあるのか? 魔法使い」
さらに、斬り上げ、アンリの左腕を空中へ跳ね上げた。
「くっ! お前はいったい、何者なんです!
「あいにく、魔法使いには何も教えないことにしてるんでね」
しかし、アンリの高音域の声は呪文を唱え続けている。
アンリは斬り落とされた左腕からあふれる血を首元のスカーフを引き抜いて結び、止血しながら避け続ける。
一瞬の隙。
「うあああああ!」
すると、アンリから黒い霧が立ち昇り始め、姿が変化し始めた。
「魔法使い……、君、完全な存在ではないんだな」
目は黄色く、瞳は円ではなく横に伸びている。
短い角が頭から伸び、足には蹄が現れた。
「悪魔と
「うるさいぞ! くそ! こんな醜い姿……。くそ! くそ! くそおおおお!」
「さぞ苦労したんだろうなぁ。悪魔たちからも、神族からも疎まれただろう? 望まれぬ子だものな」
「あの女は女神などではない! 悪魔相手に股を開くただの娼婦だ!」
アンリは姿を人型に戻しながら、右手に黄金のサーベルを構えた。
「すべてはあの女が恋などと言う不毛な
アンリが仕掛けてくる。
それを
互いに間合いを見極めんと見つめ合う。
「女は自分を棄てた
アンリはサーベルに出血を引き起こす
「私は女が望んだとおり、その男神を殺してやったさ。そのあとどうなったと思う?」
剣がぶつかり、黒い火花が散る。
アンリは腹を抑えながら数歩後ずさり、口からあふれる血を吐き捨てた。
「ぐっ……。あはははは! 流石は
「で? どうなったって?」
アンリは怒りで血管が浮かび上がり、眉が痙攣したようにぴくぴくと動いた。
「『こんな気味の悪い子供、もう要らない』と、人間界に突き落とされたんだよ!」
アンリは魔法で水流を作ると、
「だから人間を自分と同じ目に合わせようと悪魔に変えているのか?」
「その通り。楽しいぞ? 壊れていく国や街、人々を見るのは爽快だ。心が
二人はほぼ同時に飛び上がると、戦場を空へと移した。
「ほう?
「地形が変わると、勝った後の処理が大変だからね」
「大口をたたくな
「はぁ……。まずは一体」
目の端に映る
ぞわぞわと鳥肌が立つ感覚。
そしてそれは現実となって目の前に現れた。
繭がふわりと花のように咲いたのだ。
中心には漆黒の艶やかな翼に包まれた
頭に生えた純白の角に、黄金の眼。
唇は生き血を啜ったかのように赤黒い。
「ただいま、兄上」
頬を何かがかすめた。
振り返ると、もう一体の鉄装甲巨兵の頭がもがれていた。
「ああ、力が湧いてくる。すごい……、これが悪魔か」
「兄上を傷つけて良いのは私だけだから」
滴り落ちる血。
「それならば、わたしはお前を殺そう。もう二度と、出会わないように」
「ああ、嬉しい。兄上、愛しているよ」
二人の間に一陣の風が吹いた。
悲しき物語の、終焉へ向かって。
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