第十四集:城

 初夏の香りが近づいてきた頃。

 およそ一ヶ月にわたる行軍の末、燕国の紅劉こうりゅう軍との合流地点までやってきた。

 雅黄がおう軍と悠青ゆうせいの軍は少し急いで来てしまったようで、紅劉軍の先鋒によると、本陣は明日到着するという。

「どうだった? 久しぶりの行軍は」

「師匠との旅で慣れているつもりでしたが、やはり、全員の健康状態を考えながらの旅は大変ですね」

 馬から降り、身体を伸ばしながら青空を見上げた。

 少し橙色が混ざり始めている。

 兵士たちが野営の準備を開始した。

「本来ならお前はそんなことしなくていいのだが……。すまないな。杏憂きょうゆう先生も桂甜けいてんも、相当働かせてしまった」

「あの二人は大丈夫です。それが仕事ですから」

 悠青ゆうせいは後ろの方でかいがいしく働く自身の分身を見ながらほっと息を吐いた。

 最初のころは、分身は黙って座っておくくらいしかできなかったが、今は集中すれば意識的に行動させることが出来るようになっていた。

 桂甜けいてんの目に映っているものが悠青ゆうせいの脳内に流れる。

 逆もまた然りで、桂甜けいてん変幻へんげんしているときは、悠青ゆうせいの目に映っているものが脳内に流れる。

 戦闘などの複雑な身体の動きは無理だが、問診や薬の調合、手当などは自分ともう一人の自分を分けて行うことが出来る。

(お腹の調子が悪い兵士が何人かいるけれど、おおむね健康。傷からの感染症もほとんどなく、罹患した人も自分で歩けるまでに回復してる。馬も一日三交代で乗り換えてるから大きな不調はない。うん、大丈夫そうだな)

 夕方になると、歩兵の最後列も到着し、全員で夕食をとることが出来た。

 明朝未明、まだ陽が昇らない時間に紅劉軍の本陣が到着。

「劉大将軍、久しぶりだな」

黄睿こうえい様、お久しぶりございます。陛下から、力の限り協力するようにと仰せつかっております」

 お互い、包拳礼で挨拶を交わす二人。

 眼球の遠近が狂っているのかと思うほど、劉大将軍はとにかく身体が大きい。

 二分米200cmはあるのではないだろうか。

 甲冑の上からでもわかるほどに盛り上がった筋肉が、余計にその身体を大きく見せているのかもしれない。

 ただ、可愛らしい、少し童顔な顔が人当たりの良さをうかがわせる。

「そうか。劉大将軍が全力を出してしまったら、私の出番がなくなりそうだ」

「ご謙遜を。……そちらの方が悠青ゆうせい様ですか?」

「ああ、そうだ。ほら、悠青ゆうせい。自己紹介といこう」

 悠青ゆうせいは包拳礼の形を取り、まっすぐと劉大将軍を見つめた。

「はい叔父上。お初にお目にかかります。わたしはしょう 悠青ゆうせいと申します。瓏国親王ではありますが、鳳琅閣ほうろうかくで修業をし、現在は薬術師としてその役目に従事しております。以後、お見知りおきくださいませ」

 悠青ゆうせいのまっすぐな視線、柔和な笑顔、凛とした姿勢。

 劉大将軍は、その姿にある人物を重ねた。

「おお……。陛下がおっしゃっていた通りですな。悠青ゆうせい様は本当に、あの方に似ていらっしゃいます」

「……靖睿せいえい陛下のことでしょうか」

「ええ、そうです。わたしも陛下がまだ皇太子だった頃、陛下の軍で将として仕えておりました。そのときに、何度も靖睿せいえい様を目にし、その武勇を心に焼き付けたものです。……また会いたいと願う数少ない偉人です」

「そうなんですね……」

 悠青ゆうせいはかつての自分を思い描き、哀しいような、苦しいような、それでもどこかあたたかい、複雑な気持ちになった。

(みんな、わたしのことを美化していないだろうか。わたしはあまりに心が弱く、統治者としてふがいなかったのに……)

 心の中で桂甜けいてんが怒っている。

――悠青ゆうせい、お前は弱くない。強さを認める自信がないだけだ。お前の長所である「優しさ」が、非情になることへの罪悪感を助長し、その心を傷つけている。お前は自分で自分を苦しめ過ぎだ。

 桂甜けいてんの言葉が胸に突き刺さる。

 言っていることはわかるし、事実なのだと思う。

 それでも、一歩踏み出す勇気がないのは、やはり弱い。

(ありがとう桂甜けいてん。君はわたしの「強さ」そのものだよ)

 お礼を言ったつもりだったのだが、桂甜けいてんは拗ねてしまったようだ。

「さぁ、揃ったことだし、さっそく作戦でも話し合うか」

「そうですね。私は元気なのですが……。わが軍の兵たちは少し休ませます。私の我儘で夜道を走らせてしまったので、ヘトヘトでしょうから」

「あ、では、わたしの師匠と兄弟子が問診しましょうか?」

「いいのですか?」

「もちろんです」

杏憂きょうゆう先生と桂甜けいてん様の噂は燕国中にも轟いております。お言葉に甘えて、兵たちの健康の確認をお願いしたく存じます」

「おまかせください。では、伝えてきますね」

 悠青ゆうせいは一度その場を離れ、杏憂きょうゆうたちが眠る天幕へと向かった。

「師匠、お元気ですか?」

 天幕に入り開口一番、まだうとうととしている杏憂きょうゆうに元気に声をかけた。

「……その訊ね方はあれだな。『これからちょっと大変な仕事を任せたいので、一応体調を気にしておきますね。元気ですか?』ってことだろ」

 杏憂きょうゆうは布団から顔を出し、視線と手だけで抗議の意を示している。

「さすがは師匠。よくわかっていらっしゃる」

 悠青ゆうせいのさわやかな笑みに根負けした杏憂きょうゆうは、上半身を起こし、悠青ゆうせいを見た。

「くっ……。まずは朝の挨拶を要求する。というか、まだ正式には朝ですらない」

「そうですね。おはようございます、師匠。さぁ、身支度を整えたら紅劉軍のみなさんの問診をお願いします」

「なっ! ぜ、全員か?」

「自己申告で体調のすぐれない方々だけで大丈夫ですよ。ただ、夜中駆けてきた方々なので……」

「……わかった、わかったよ。足元が悪い中走って来たということは、何を踏んでいるかわからない。それによって怪我の具合が違う。しっかり問診してこよう。桂甜けいてんを出しておいてくれ」

「わかりました。よいしょっと」

 悠青ゆうせい桂甜けいてん用の寝台の枕元にある革の鞄から木人形を取り出すと、仙術を使い、それを桂甜けいてんに変化させた。

 動きを確認し、視界を同期させる。

「うん、大丈夫みたいです」

「君はこれから作戦会議か? 寝ていないだろうに」

「少し寝ましたよ。それに、行動は早い方が良いですから。すでに大規模な行軍で国にはこちらの動きを知られています。守りを固められているのは良いとして、あの厄介な魔薬酒で狂暴化した兵士を送り込まれないうちに片をつけに行かないと」

「それもそうか」

 杏憂きょうゆうは寝台から出ると、靴を履き、近くに置いてある甕から水を空中に巻き上げ、顔を洗った。

「今回の目的は魔薬酒の廃棄と、その製造所の破壊。製法を知っている者の……、殺害です」

「仕方ないな。そこは割り切っていけ」

 水をぱっと霧散させると、柔らかな布で顔を拭きながら「まぁ、割り切るのも簡単じゃないけどな」と、とても小さな声でつぶやいた。

「もちろんです」

「製造所はいくつかあるのか?」

「いえ。まだ国の大河沿いにあるごう城の地下に大規模な製造所があるだけだそうです。作り方を広めすぎて他国に漏れないようにしているのかもしれませんね」

 悠青ゆうせいの話を聞きながら、くうから次々に服を取り出し、浮かせながら着替えていく。

 まるで布が踊っているようだ。

「ほう。そこまでよく調べたなぁ」

祁陽きようは目の当たりにしていますからね。酒で変化したあの異様な兵士の姿を。ずっと調べていたんでしょう」

「なにはともあれ、今回は劉大将軍もいるし、香王殿下もいるし、君もいる。私は高みの見物でもさせてもらうとするかな」

 最後に顔にかかる部分の髪を後頭部できゅっと結い、さらりと肩にかけた。

「いやいや、いざとなったら参戦してくださいよ」

「えええ、鉄の剣怖いんだもん」

「え、今更かわい子ぶっても無駄ですよ? わたしには十年以上師匠の側にいたことによる知識がありますからね」

「……わかったよ。はいはい。製造所を潰すときに一緒に行ってほしいんだろ?」

「その通りです」

「はあ……。弟子がどんどん可愛くなくなっていく……」

 杏憂きょうゆうは大袈裟に溜息をつき、「では、問診に行ってくる」と、悠青ゆうせいの頭を撫で、桂甜けいてんを伴って天幕をあとにした。

 悠青ゆうせいも続いて天幕を出ると、空には赤みが差し始めていた。





 まだ太陽の恩恵がなく、季節外れの冷たい風が吹いているごう城壁内にある宮城きゅうじょうでは、城主が真っ青な顔をして抗議していた。

「め、メルガル卿! これはいったいどういうことなのですか!」

 叫び声にも似た悲痛な訴えの先にいるのは、臙脂えんじ色の燕尾服を身にまとった美麗な紳士。

「どうって言われましても……、瓏国と燕国が仲良く手を繋いで攻めてきたのでは?」

「なぜ! なぜ我ら葵国の研究成果が露見したのです!」

「ううん、中原の国々はお互いにスパイ……、おっと、間者を送り込んでいるのでは?」

 アンリの言葉が耳に痛かったのか、剛城城主は苦虫をかみつぶしたような顔で視線を逸らした。

「そ、それはそうですが……。この魔薬酒の完成は極秘だったのですよ⁉」

 先ほどまで青かった顔が、見る見るうちに怒りで赤く染まっていく。

「残念でしたねぇ」

「くっ……。いったい、どうすれば……」

「倒してしまえばいいではありませんか。地の利は十分あるでしょう」

「そんな簡単に言わないでください! 燕国最強の紅劉軍と、不遇な扱いを受けながらも武功は瓏国でも一二を争う雅黄軍が相手なのですよ⁉ それこそ、我が城のみならず、国全体にも大きな被害が……」

 大袈裟に腕を大きく振りながら話す城主を見ながらこっそり溜息をつくと、アンリはさも何も問題などないような口ぶりで言った。

「十分な量の魔薬酒があるでしょう」

「それでも! 勝ったとしても被害の大きさは計り知れません! 今まで何度燕国と瓏国から国土を削られてきたか……。ここ、剛城を奪われたら、事実上、首都まで二軍を大きく遮る戦力は望めません……」

「いいではないですか、勝てるのなら心配ないでしょう。ここであの二つの軍を潰せれば、この先中原で大きな顔をできますよ?」

「ぐっ……」

 簡単に言ってのけるアンリに苛々としながらも、言っていることは間違っていないため、城主は言葉に詰まってしまった。

「あ、そうそう。瓏国の恵王殿下は絶対に殺さないでくださいね? 私のクライアント……、えっと、依頼人の大事な宝物なので」

 突然瓏国の皇子の話を出され、城主は困惑した。

「は、はあ? そんなの、戦場でどうしろと……」

 アンリは急に黙り、貼り付けたような満面の笑みを作ると、にじりよった。

「恵王殿下を殺したら、私が葵国を滅ぼして差し上げます。何年かかろうとも、そして、どんな手を使っても、ね」

 アンリの瞳が紫や黄色に光った。

 魔法使いであるということは知っているが、こんなにも禍々しい表情をしているのを初めて見た城主は、その恐ろしさに後ずさった。

「……ぜ、善処」

 アンリは城主の唇に人差し指を優しく押し当て、言葉を遮った。

「いえ、絶対に殺さないでください。傷つけるのもダメです。五体満足健康な状態で差し出してください。他の者たちはどんなむごい殺し方をしてもかまいませんので」

 周囲に武器など一つもないのに、城主は首に刃物を複数押し付けられているような、そんな命の危機を感じ、ゆっくり頷いた。

「……わ、わかりました、メルガル卿」

「よろしい! では、頑張ってくださいね。私はおいとまいたします」

 そう言うと、アンリは黒い煙となって消えていってしまった。

 城主は緊張感から解放され、床にぺたりと座り込んだ。

「くそ……。間違いだったのか? 私はもしや、虚衣きょいたぐいと取引してしまったのだろうか……」

 人間の魂魄を狙う蚩怨しえんの中でも、知恵を持ち、人の形をした虚衣きょい

 その存在は穢れており、やることなすこと醜悪で凶悪。

 中でも知性が高いものは、人をだまし、操ることもあるという。

「だが、この乱世を生き抜くには必要悪……。ここで燕と瓏、両国の大きな柱をへし折ってくれるわ!」

 剛城城主は床を殴り、立ち上がった。

「籠城戦は止めだ。こちらから蹂躙してやる!」

 城主は部屋から出ると、外に立っていた衛兵に「将軍たちを全員呼べ!」と命令した。





「作戦は以上だ。桂甜けいてんの出番だな」

 黄睿こうえいは、剛城に通わせていた間者から手に入れた城内図を見ながら、嬉しそうに声を弾ませた。

桂甜けいてん様はそのようなことも出来るのですね」

 劉大将軍は頷きながら感嘆している。

 腰かけている椅子が異様に小さく見えた。

「あ、兄弟子は江湖で過酷な訓練を受けながら育ったので……」

 劉大将軍になんと説明すればいいか考えておらず、悠青ゆうせいは少し冷えてしまったお茶を啜りつつ、とりあえず誤魔化しておいた。

「注意をひくのはまかせろ。悠青ゆうせいたちは遊軍として敵を背後から刺す。あまり深く中に入りすぎるなよ」

「はい。わかっています」

「紅劉軍と我ら雅黄軍は化物どもの相手をする。そのためにこの有名な二軍で来たのだ」

「突破力の高い我ら相手に籠城は得策とは言えませんからね。それに、ここで紅劉と雅黄という強大な軍をほふれば、国にとっては朗報。十中八九、打って出て来るでしょう」

桂甜けいてんと江湖のあの若い二人の部隊で剛城内へ侵入。内側から城門を開けてくれれば、あとはなだれ込むだけだ」

「入れ違いに開発者たちを逃がさないよう、開けるのは東の門だけ、ですよね」

「ああ、そうだ。桂甜けいてんに伝えておいてくれ。先に捕えて柱に結んでおいてもいいぞ、ってな」

 黄睿こうえい悠青ゆうせいを見つめながら、にやりと笑って見せた。

「伝えておきます」

 悠青ゆうせいは困ったように笑いながら頷いた。

「城内にいる非武装の民たちは、他の城へ安全に逃げられるように配慮しましょう」

「可能なら、城を落とした後に一度保護して、食料を分けてから見送りたいですね」

「そうだな。今回の目的は侵略ではないからな。一般市民を巻き込まないように気を配るとしよう。ただ、城は燃やす」

「それは仕方がないですね……」

「可能な限り、再起不能にしていきましょう」

 三人は頷き合うと、作戦会議を一度お開きとし、それぞれ自軍の兵たちと朝食をとることにした。

 すでに太陽は昇り、鳥たちのさえずりが空に響いている。

 天気も良く、今夜は満月。

 攻めも守りも、し易く、し難い。

 時折吹く風が運んでくる花の香りを忘れないよう、悠青ゆうせいは大きく吸いこんだ。

 これから嗅ぐのは、血と炎のにおいになるだろうから。

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