第2話  どうしよう 職場に適応出来ない!

 私が自分に障害(ADHD)がある事を知ったのは41歳になって間もなくの時だった。        

 当時の私は、仕事を転職してから、もうすぐ一年と半年が過ぎようとしている時で、その転職先の仕事場にずっと適応する事ができずに苦しんでいた。


 就職すると覚える事が多いのは当然の事だが、職場内の物品の把握、スケジュール管理、仕事の準備など覚える事が山ほどある中、過度に与えられる仕事をこなすだけの毎日を過ごし、上司からは『なんでこんな事も出来ないんだ』『覚えられないんだ』と認められない時間が続き、そんな毎日を繰り返していた。


 私は元々物事を慎重に考えて把握した上で行動に移すのが苦手なタイプだった。今まではそうした事をしなくても目の前の仕事を精一杯すれば何とかなってきた人生でもあった。当時もその他の方法を知らない私は目の前の仕事にただ向き合っていた。



 前職は伝統工芸の仙台箪笥を作る老舗で木工職人を目指し働いていた。さほど細かい事に口出しされる事もなく自分のペースで仕事ができ、経営者も寛容に働かせてくれた。


 当時、職場は仕事量の激減と今後の暗い見通しからの不安を全体に抱えていた。私は従業員と経営者の協調を計りながら改善の方法を何度も訴え、話し合った。それでも一向に埋まらない経営者と従業員の溝に限界を感じすべてが燃え尽きた。

家庭を持ち、子供が生まれ苦しい家計状態になる事は分かっていたが夢と希望を捨てられずその時まで過ごしてきた。

妻からは再三にわたって転職の要望を聞かされていた。

今が転職する時だと決意を固めた。

私は早速伝統工芸とは違う現代工芸に明るい知人に相談を持ち掛けると自己のスキルアップに繋がりそうな今働いているの会社を紹介してくれた。


 仕事の内容はお店の内外装とその中に入る什器と言われる家具などの装飾部分デザインと製造を手掛ける会社で仙台でも名の知れた内装業者の所だった。

 入ってみると前職とは全くスピード感が違い最初は何が起きているか理解できないくらいだった。

 その会社は、一人のデザイナーがトップとなり、地元地域だけでなく国内外に影響を与えるようなデザイン性で勢力的に活動している所だった。一般的に分担して行う仕事組織とは違い、会社自体がデザインから施工のほとんどまで行う技術集団で従業員は十名程度で運営していた。


 工場の中で造作物を作る時、工場内にいるスタッフ4人でテキパキと機械を使う。私にはそれが出来なかった。機械の特性を知り効率よく正確に作業を進めていく。

『まだ終わらないの?』『いつまでかかるの?』と言われると余計に焦ってしまいミスに繋がる事、思考が乱れ逆に仕事が遅くなった。


 工場での生産性が認められず二ヶ月が過ぎる頃には現場での造作がメインの仕事になった。現場仕事においてもどうも時間に対する感覚を人に合わせる事が出来ない自分がいた。


 『こうやるんだと』焼肉用のコンロの脇に白い砂利を敷き詰める作業を指示されて時間配分を忘れてしまい黙々とやってしまい先輩に叱られた。『丁寧なのは分かるけどちっとは考えろよ…』入社当時は口調も柔らかかったが仕事の覚えが悪かった私に対して『早くやれ』『おっせーな』と口癖のように言われるようになっていった。

今落ち着いて考えると、苦しくなって改善の見込みが立たない時点でプレッシャーのかからない働き方が出来ないかと上司に伝えられたら違った未来になったかもしれないと思った。


 日々かかるプレッシャーをはねのけられずに落ち着かない思考の中、何度同じ作業をやっても機械の効率と精度の上がる使い方が身に付かなかった。出来ない事ばかりが自分に覆い被さり簡単に出来そうな事や落ち着けば出来る事でさえも出来なくなっていった。


 その結果、上司から叱られ続ける毎日が始まったのだ。


 その状態が半年も続くと私のすべてに自信が持てなくなり焦りと不安から更に失敗を繰り返す負のスパイラルの毎日へと続いていく事になった。


 『お前はどうしてそうなんだ。』『普通さーこうするのが当たり前なんじゃないの?』『お前の頭はどうなってんの、信じられないんだけど』ミスしているのだからこちらにも非がある事は分かっている。


 パワハラって何だろうか良く分からないまま降りかかる言葉を受け入れると『普通じゃないんだ・・・』私の頭はどうなっているんだろうと疑問を持つようになっていった。


 仕事を覚えられない自分がどうしたら人並みに仕事ができるかの答えを考えながら40分ほどバイクで通う日々が続く。毎日遅い帰宅で疲れた体に岡林信康の山谷ブルースの歌詞を重ねながら、自分はまだましだと言い聞かせながら過ごした。


 もうそろそろ一年経つという頃、工場の同僚たちは私の頭の悪さを理解してくれたのかあまりに叱られ続けられる私を見てか『あまり早くしろ』とは言わなくなった。

その頃の私はというと同僚に教えて貰っても直ぐに忘れてしまったり、同じことを何度も聞かなくてはならない自分が情けなくなっていた。

 緊張感から負のスパイラルを生みミスが増えまた先輩に聞く『すみません。もう一回教えてもらえないでしょうか?』『さっき話したじゃん忘れたの?』『打ち合わせの意味ないじゃん』そうしたやり取りが増えてくると申し訳なさから先輩方に遠慮した付き合い方しか出来なくなっていった。

 時にはその回数が3回以上になったり、立て続けになってしまうと聞く事さえも出来なくなっていった。

 一年経っても状況が変わらない日々に先輩から『お前そろそろ考えた方がいいんじゃないの?』と転職を示唆するような言葉が出るようになって来た。就職にあたって知人の紹介という事もあり、人づてで聞いた『三年くらいは頑張ってほしい』との言葉が重くなかなか辞める事も出来ず、何とか雇い続けて貰えるように自分に出来る限りの仕事をした。


 それでも一向に改善されない様子を見ていた同僚から病院の受診を勧められ、私も足し算などの簡単な計算も出来なくなったり、情緒も落ち着かず実務指導の改善が見込めない状況を上司に話し精神科に見て貰う事を承知してもらった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る