2章 揺れの原因

「おい、どうなってやがる」

「どうされました? ……えっ、ひょっとしてもう出たんですか?」

 血相を変えて食ってかかった俺に、土御門は目を丸くした。隣を歩いていた子女からきゃあ、という声が上がった。

「もうてな何だ、もうてな。あの長屋は何なんだ。最初に住んだ日にはどの家も人がいたが今朝はいやしなかった。ひょっとして化け物にでも食われて……」

 そこまで言うと、土御門はプッと吹き出した。

「あはは、それは普通に引っ越してもらったんですよ。山菱やまびし君は存外可愛げがありますね」

 その返答に拍子抜けした。

 引っ越し? 引っ越ししたってんなら、いねぇのは道理だ。馬鹿馬鹿しい。やはりこいつの悪戯か。そう思ったがその言い回しと今朝見た光景が気にかかる。

「引っ越してもらっただ? その割には家具はそのままだったぞ」

「引っ越すと言っても10日ばかりのことですからね。建物の修繕をすると言ってお金を渡してどいてもらったのです。それに山菱君お一人の方が出やすいかと思いまして」

 俺一人の方が、出やすい?

 土御門は観察するように俺を見た。

「まあここではなんですし場所を変えましょう」


 よくわからぬまま土御門についていくと、淡路坂あわじざかをゆるゆる登って神田明神かんだみょうじんに辿り着き、その境内東の甘味処の暖簾をするりとくぐり抜けた。俺といえば甘味処などほとんど入ったことがなく、妙に気が引けた。一方の土御門は勝手知ったるのかそのまま奥の間に抜け、慌てて追いかければ小さな茶室にたどり着く。

「そんな怪訝な顔をしないでくださいよ。ここのご亭主と知り合いなんです。あの長屋の話を持ってきたのもその人でね」

「そうだ。あの長屋はなんなんだ」

「それを調べようというのですよ。それで何が起こりました?」

 心持ちわくわくしたような土御門の声。他人事だと思いやがって。いや、むしろ他人事なのは俺なのか。

 涼しげな心太ところてんと茶が運ばれてくる。女中は亭主からのサービスだという。


 俺は詳細を説明した。とはいっても多分に主観的なもので俺の勘違いかもしれない、と言い置いてから。

 一日目は、何かの気配を感じた。

 二日目は、隣の部屋から何かを揺らす音がした。

 三日目の昨日は、長屋全体が倒壊するかと思うほど揺れたが、外に出た瞬間収まった。

 そこまで話して、やはり俺の気のせいで、化け物などいないのだと思い返した。眩暈がするというその症状は、自律神経というものの不調であると医学部のやつらも言っていたからだ。

「ふむ、家が揺れる、ですか。山菱君のおかげで可能性はいくつかに絞れたように思います」

 気後れする俺とは異なり、土御門はさも当然のように俺の目を真っ直ぐに見て、頷いた。

「信じるのか? 俺の勘違いか、俺の頭がおかしいのかもしれないぞ」

「何かご健康に問題があるのですか」

「いや、特にはないが」

「いかにも健康そうに見えますものね」

 土御門はおもむろに懐から取り出した札入れを開き、俺の目の前にひらり、と一枚の紙幣を置いた。

 拾圓、札。

 緑のインキが鮮やかな。

 ごくりと喉が鳴る。これだけあれば一発逆転……。いやまて。

「報酬は7日目の朝じゃなかったのか?」

「前渡しです。まさかこんなに早く絞れるとは思いませんでしたので。願わくば最後までご協力頂きたいのですが、このペースでは山菱君はきっと7日目の朝までにとても恐ろしい目に遭うでしょう。もし怖気付くのでしたら、ここでやめて頂いても結構ですよ?」

 土御門はそう告げ、妙に挑発的にニヤニヤと口元を動かして俺を見た。

 その下卑た表情への変化にギョっとした。これまでのとりすました表情が突然崩れたのに動揺したのだ。けれども土御門も俺の表情に気付いたのか、失礼と述べて口を手元で隠し、いけませんねぇと唱えると、先程は何かの幻だったのかと思うように元の落ち着いた様子に戻っていた。

「どうかされましたか?」

 どうか?

「い、いや別に」

「どうにもこれは半分私の趣味ですから、地が出てしまって困りますね」

「趣味?」

「そう。私は化け物を集めるのが趣味なのです」

「なんで」

「趣味ですから。実益も兼ねておりますが」

 それ以上は答えるつもりはなさそうだ。

 それにしても趣味と実益?

 先程長屋の話を持ってきたのはここの主人だという。

「ああ、山菱君にはお伝えしておりませんでしたが、私はお祓いで日銭を稼いでいます」

「お祓い?」

「勘違いされているのかも知れませんが、私は山菱君と同じ一介の貧乏学生ですよ。仕送りなんてございません。まぁ手に職がありますので生活に不自由はしておりませんが」


 飄々とした様子にそぐわない突然の金の話に少々困惑する。

 手に職、ねぇ。

 それがお祓いってわけか。お祓いが、手に職?

 奇術師にいい負かされるような、煙に巻かれた気分だ。化け物なんているはずがねぇ。俺は昨日までそう思っていた。心の片隅では今もそう思っている。俺にはお祓いが金になるのかどうかもわからねぇ。

「一体いくらもらってるんだ」

「そうですねぇ、お祓い自体は五十円かな。失せ物が見つけられれば追加で報酬がありますが、対象は築地一体ですから目はないようなものです。五十円はまるまる山菱君に差し上げます。先程の十円は私の手出しです。ああ、他の住人の方の引越し費用は経費として依頼主が支出しておりますので、問題はありません。ほら、そんな不審気な顔はなさらないで頂きたい」

 立板に水とばかりに金の話が続く。

「不審と言われてもな。それじゃあお前に儲けがねえどころか丸損だろう?」

 手に職で日銭を稼ぐという言葉に反するじゃあねぇか。狐につままれた心持ち。

 土御門の口の端はまたニヤニヤとし始め、すぐに元に戻る。

「いけませんねぇ、浮かれてしまって。先ほども申しましたように、私にとっては今回の件は趣味の意味合いも大きいのです。ですから、多少は損が出たってかやましないんです」

「化け物集め? それでなんで俺なんだ」

 土御門はおや、と目を丸くした。そうしてそれを隠すように鉄瓶から茶を俺の湯飲みに注ぐ。さっきから妙に調子が狂う。こいつはこんなに表情豊かな奴だっただろうか?


「ひょっとして気づいてらっしゃらないのですか? 山菱君は化け物を集める体質なのです」

「はぁ? 化け物なんぞ見たこたねぇぞ」

「へぇ、益々興味深い。よほどご先祖や氏神の守りが強いのでしょうかね」

 確かに両親は信心深かった。だが俺はそれほどでもねぇな。寺社を見つけりゃふらっと寄って手を合わせるくらいはするけどよ。

 だがよく考えると、小さい頃から酷い事故やら事件やらに巻き込まれることは多々あった。けれども不思議と大怪我に至ることはなかったように思える。半信半疑で口に出す。

「俺は霊媒とかそういうものなのかい?」

「そんな生優しいものじゃないんですけどねぇ。けれどもそんなわけで、私は山菱君とお仕事をご一緒したかったんですよ。趣味の方の成功率が格段に上がりそうでしたから。それよりまあ、仕事の話に移りましょう。引き続きお受け頂けるということでよろしいんですよね」

「お、おう」

 五十円は大きいのだ。

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