第29話 会いたい


 お風呂上り、慌てて階段を駆け上がって部屋に入る。壁時計を見るとあと2分で10時になるところだった。



「間に合ったぁ」



 髪を雑に拭きながら椅子に座ってPINEを開く。グループPINEの通話機能にはすでに武蔵くんがいた。急いで通話に参加して、しばらく黙って耳を澄ませた。


 紙が擦れる音とペンが走るあの軽快な音が微かに聞こえて、武蔵くんが勉強していることが分かった。邪魔するのも悪いかなと思ったけど、今日の課題は放課後の教室で一緒に終わらせたことを思い出した。



「もしもし」


『もしもし。聖夜、だね」


「うん。お風呂入ってたら遅くなっちゃった」


『お、お風呂!? え、あ、いや、湯冷め……そう! 湯冷めしないようにちゃんと温かくするんだよ? あと、髪はちゃんと乾かした?」



 何やらお母さんみたいなことを早口に言われて思わず笑ってしまう。夜に電話をするようになって気が付いたけど、武蔵くんはいわゆるオカン系男子らしい。


 ボクも家から電話をするとついつい姉ちゃんたちと話している感覚で話してしまうから、粋先輩には普段より子どもっぽいと言われた。可愛いって意味らしいから喜んで頷いておいたけど、武蔵くんにお母さんみたい、なんて言ったら拗ねちゃいそうだから言うなら対面しているときにしたい。



「髪は今タオルでバサバサしてるところ」


『濡れてる間にどんどん痛むんだから、早めに乾かしなよ? せっかく触り心地のいい髪してるんだから、大事にしろ』


「だって、ドライヤー使うの面倒くさい」



 今は冬だからまだいいけど、夏になったら暑くてドライヤーなんて使ってられない。使ってる間に熱中症になっちゃう。



『まったく。将来同棲したら毎日ヘアオイル塗って乾かすところまでやらせて』


「やったぁ。よろしくね」


『おう。任しとけ』



 世話を焼かれるのは好き。その分返せるものは全部返していくつもりだけど、今のところ武蔵くんの役に立てそうなことはパッと浮かばない。


 時間を確認すると10時を5分回っている。そろそろ粋先輩も来るかな。



『会長、そろそろ来るかな』


「え、あ、うん。そうだね」


『どうした?』


「ううん。ちょうど同じこと考えていたからびっくりしたのと、あとちょっと嬉しかっただけ」


『そ、そうか』



 自分で言ったくせに恥ずかしくなって黙り込むと、電話口で武蔵くんが咳払いした音が聞こえた。これは向こうで照れている顔だな。ちょっと見たい。



「テレビ電話とかもいつかしてみたいな」


『そうだな』


「へ?」



 思ったことが口をついて出てしまっていたようで、武蔵くんから返事が聞こえて思わず聞き返してしまった。変な声が出た気がする。恥ずかしい。



『え?』


「ごめん、声に出したつもりじゃなかったからびっくりしただけ」


『そっか。いつもより高い声で可愛かったよ』


「うわぁっ! 恥ずかしいから言わないで!」



 電話の向こうでクツクツと笑い声が聞こえて、ちょっとだけムッとする。だけど可愛いって言われたことは素直に嬉しくて、拗ねきることができない。悶々としていると、武蔵くんがため息を吐いたのが聞こえて肩が跳ねた。



『絶対今可愛い顔してるよなぁ。テレビ電話だったら見れたけどそれはちょっと難しいからなぁ』


『そうなんですか?』


『そうなんだよ。って、会長かよ!』



 ため息が悩ましい方の意味のものだったことが分かってホッとしたのも束の間、ずっと聞きたかった声が聞えて心臓が跳ね上がった。



「粋、先輩」


『聖夜くん……』



 名前を呼ばれるのも久しぶりで、それだけで体温が高くなる。粋先輩は修学旅行中だからかいつもより声のトーンが高い。



『2人の世界やめろ』


『どちら様ですか?』


『おい、誰がPINE見るように促したと思ってんだ』


『その節は大変お世話になりました』



 2人の漫才のようなやり取りを聞きながら、3人で話せていることを実感して涙が零れた。泣いてることは2人に悟られないようにしないと、そう思ってとりあえず持っていたタオルで頬を拭った。



「粋先輩、ずっと連絡見なくてごめんなさい」


『良いですよ。寂しかったですけど、何度も通知が来ていないか見て落ち込むと余計に寂しかったですから。聖夜くんはきっとそれが嫌なんだろうな、って推測して耐えていましたから』


「うぐっ」


『あれ、図星ですか?』



 言い当てられた挙句2人に笑われて、ちょっと恥ずかしい。


 この際だから本当のことを言ってしまおうかと悩むけど、やっぱり恥ずかしいからやめる。



「粋先輩、今本当に電話大丈夫ですか?」


『うん、大丈夫だよ。今日はみんな大部屋に集まって遊んでるから自分たちの部屋からかけてるんだけど、廊下で話すよりも誰かに聞かれる心配もないから話しやすいよ』


「みんなと遊ばないの?」



 邪魔をしたんじゃないかと不安になってしまったボクのことを見透かしたように、粋先輩は静かに穏やかな声を出して笑った。



『良いんですよ。少しだけ向こうにいましたけど、クラスで可愛い子は誰か、とか恋人と最近どんな感じか、とかそんな話しかしない年頃の男子たちしかいませんから。僕は聖夜くんのことしか話せないし、聖夜くんの可愛いところをバラすなんてもったいないことはしませんよ』


『今日電話しておいて良かったな』


『武蔵くん、安心して良いですよ。向こうにいて何か話すとなったら、妥協案で武蔵くんのこと話すつもりでしたし』


『妥協案ってなんだよ』



 やんややんやと揉めている2人の声を聞きながらホッとする。それどころか、粋先輩が同級生との時間よりもボクを選んでくれたこと、大切に思ってくれていることが嬉しい。熱くなる身体を抱きしめて深呼吸を繰り返す。


 声を聞いて会話をして。どんどん欲が湧いてくる。会いたい、笑顔が見たい、触れたい、触れて欲しい。どうしようもない欲望が湧いていることに、自分の中にこんな気持ちがあるのかと驚いた。恥ずかしくて、この気持ちがバレないようにと必死に押し留めるけど、さっき引っ込んだはずの涙がまた溢れそうになる。



『聖夜?』


「ん?」



 武蔵くんに呼ばれて返事をすると、分かりやすく鼻声になっている。バレてしまうと慌てていると、2人がふっと息を吐く音が立て続けに聞こえた。



『聖夜くん、泣くときは1人で声を殺して泣かないで?』


『そうだぞ。ましてや今は俺たちと話してるんだ。我慢する必要なんてないからな』



 2人の優しい宥めるような声に耳を傾けると、涙が溢れて止まらなくなった。我慢しきれなくなって嗚咽が漏れてしまうと、2人が息を吞んだのが分かった。



「ごめんっ、泣いて」


『こっちこそごめんな。隠すなって言っておきながら、何もしてやれなくて』



 武蔵くんの申し訳なさそうな声にボクも苦しくなって、さらに涙が溢れて止まらない。



「2人は、悪くないよっ。ボクが、弱いから」



 つい弱音を漏らすと、粋先輩の少し高い笑い声が聞こえた。



『ふふっ、ごめんなさい。でも、もし聖夜くんが寂しくて泣いているなら、それは嬉しいことですよ』


『会長って、マジでサドっすよね』


『そうですか?』



 武蔵くんの呆れる声を聞きながら、頭の片隅でぼんやりとバカなことを考えてしまう。もし、この寂しい気持ちを重いとかキモいとか思わないでくれるなら、もっとこの身を預けてしまいたい。



「会いたい」



 考え直すこともしないで心のままに呟くと、時間が止まったみたいに2人の声が聞えなくなった。困らせてる、呆れられてる。分かっているけど涙も会いたい気持ちも止まらなくてどうしたら良いか分からない。



「ずっと寂しかった。でも、思い出したら、声を聞いたらもっと寂しくなるって、そう思ったら返信も電話もできなくて、上の空になっちゃうし。もう、我慢できないよぉ」



 情けない。文章構成もまともにできない。ただ溢れた気持ちをそのまま言っただけ。言いたいことを言い切って少し落ち着いてくると、賢者タイムがやってきてもっと落ち込む。



『会長、週末にどこかで会えねぇ?』



 しばらくの無音のあとで武蔵くんが焦った声で粋先輩を呼んだ。武蔵くんとは明日会えるけど、このままだと粋先輩とは月曜日の、しかも朝は会長の挨拶のシフトがあるからお昼まではまともに会えない。



『土曜日の午前中、高校の近くの『mille-feuille』っていうお店で待ち合せましょうか。あそこなら落ち着いて話もできるはずですよ』


『分かった。聖夜、行ける?』


「行く! 会いたい!」



 叫ぶように言うと、2人の温かい息遣いが耳にダイレクトに響いてきた。やっと会える。それだけでようやく気持ちが落ち着いて、不思議と瞼が落ちてきた。



『頑張ったな』


『おやすみ』



 そんな温かい声が聞えた気がして頬が緩む。そのまま机に突っ伏した。



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