第22話 不完全


 俺が聖夜に見惚れていると、会長はコトリとスマホをテーブルに置いた。



「あの、4泊5日のうち、夜の10時から11時までの間なら自由時間なんです。その時間に電話しませんか?」



 こことか、と画像の日程表を指し示す会長。聖夜は嬉しそうに笑ったけど、ハッとした様子でブンブン首を振った。



「ダメですよ、修学旅行の夜の自由時間といえば、同級生と積る話もありますよね?」



 俺からしたら聞いた話でしかないけど、聖夜にはそういう経験があるのかもしれない。ろくに友達はいなかったとは言ってたし、裏切られる前の記憶を思い出すのが辛いとも言ってたけど。


 会長は聖夜のまっすぐな視線を受けて目尻を下げて笑った。



「うーん。まあそうかもしれませんね。ですが、4泊5日も武蔵くんに独り占めさせるのも気に障ります」


「気に障るって、ひどくね? いいじゃん、1週間ぐらい俺に独占させてくれても」


「それ、今度やり返してあげましょうか」


「すみませんでした」



 確かに、逆の立場だと考えるとイライラするな。同じ学年だからクラスは違くても近くにいられたり、行事中にもその姿を見ることはできる。会長にはそれもできないんだなと思うと、少しだけ同情する気持ちになってくる。



「聖夜、1日くらい電話してやったら?」


「ええ」



 めちゃくちゃ遠慮してるのかと思ったけど、顔が本当に嫌そう。


 会長と顔を見合わせると、会長は寂しそうながらも笑っていた。会長の寂しい気持ちは分かるし何とかしてやりたいとは思う。だけど聖夜が嫌がってるのに無理やりというのも気が引ける。


 考え込む俺の頭に手のひらが乗っかった。俺よりは小さい手だけどがっしりしていて頼もしい。



「会長?」



 顔を上げると会長が俺の頭に手を置いたまま目を細めて笑っていた。



「ありがとう」



 何もしていないのに。どうしてお礼を言われているのか分からずに首を傾げると、会長は俺の頭から手を離した。



「あの?」


「ふふっ。気にしなくて良いですからね。確かに同級生との時間も大事ですし。あと1年ちょっとでみんなともお別れですから、大切にしないと」



 聖夜の髪を優しく撫でつけながら顔を俺の方に向けたと思ったら、いたずらっぽい顔でウインクをした。俺に向けてハートを飛ばす必要はないだろうに。



「高校を卒業して大人になったら、聖夜くんとは4泊5日どころじゃなくて、毎日一緒に夜を過ごすことになりますからね」


「ほえっ!」



 変な声を出した聖夜は勢い余って机を勢いよく叩いた。少し赤くなった手を払うように何度か振る、その顔はどんどん赤くなっていく。



「聖夜、何想像してんの?」


「もしかして、僕と武蔵くんの間に挟まれてあんなことや、こんなことを?」


「は、はいっ? そ、そんな、破廉恥な!」



 あわあわしている聖夜はすっかりいつもの調子。会長はそんな聖夜を見ながらいつも通り大人びた目で笑っている、ように見える。



「僕はべつに2人の間でご飯を食べたり、テレビを見たり、ね?」


「あ、ああ。そう、だな」



 聖夜と同じようなことを想像したとは口が裂けても言えない。



「と、言いますか。同棲決定なんですね」


「ん? ああ、安心して良いですよ。僕は医者にはなりませんけど、会社経営者にはなる予定で計画していますから。生活費も頑張って稼ぎますからね」


「会社?」



 聞いたことがない話につい口を挟んでしまうと、会長はキョトンとして首を傾げた。



「あれ、そう言えば言ってませんでしたっけ? 僕は高校卒業を待たずに起業する予定なんです。今はそのための準備とかをしている段階ですかね」


「てっきり家業を継ぐのかと思ってました」



 同じことを思っていたらしい聖夜に会長は苦笑いを浮かべた。どこか悲しそうにも見えるけど、諦めているようなそんな顔。起業すると言ったときの希望に満ちた様子は微塵も感じられなくて不安になる。



「ほら、僕には優秀な兄と弟がいますし、頭脳的な問題もありますし」



 取り繕ったような言い訳に眉を顰めると、会長は俺に視線を送ってしーっと人差し指を唇に当てた。聖夜は納得したように目を閉じて頷いているから気が付いていないけど、そんなにはぐらかしたいことなんだろうか。ちょっと気持ち悪い。



「確かに、粋先輩の今の学力で医学部は厳しいっすね」


「こらこら、本当のことを言わないでくださいよ」



 無性に感じる気持ち悪さを振り切るように口を開いた。会長がほっとしたような顔で言い返してくるから気持ち悪さが増していく。ツッコミの切れもいつもと全然違って生ぬるい。



「いや、今から毎日死ぬ気で、というより三途の川の途中まで行くつもりで勉強すれば何とかなるかもっすよ」


「殺す気じゃないですか!」


「渡り切る前に休めば大丈夫っすよ」



 多少本気で言うと、それを感じ取ったのか会長は身体を抱きしめて身震いした。


 今は追及しないでおくけど、会長が苦しくなるようなら無理やりにでも吐かせる。理由は心配だからとか、そんなんじゃない。会長は聖夜を一緒に支えていく人だ。勝手に壊れられて、勝手にこのレールから離脱されたくない。それだけ。



「まあ、会長が3人分の生活費を稼いでくれれば聖夜が専業主夫、俺は家でひたすら聖夜を可愛がって暮らす。なんてこともできそうですね」


「聖夜くんが専業主夫になってくれれば僕としても嬉しいけど。武蔵くんの分まで生活費を稼ぐつもりはないからね」



 じとーっと生ぬるい視線を俺に向けた会長は聖夜の肩に腕を回した。会長がふわふわしている聖夜の髪にすり寄ると、聖夜は擽ったそうにくしゃりと笑った。


 聖夜は会長に甘えられるといつも嬉しそうだ。自分だけに見せる顔が嬉しい、という方が正しいのかもしれない。その母性に溢れた顔を見られることは嬉しいけど、俺には向けられることのない顔だという事実には胸が苦しくなる。



「ボクも働きますよ。具体的にはどうするか決まってないですけど、自分の生活費くらいは」


「武蔵くんよりも聖夜くんの方がしっかりしていますね」


「んなもん知っとるわ」


「はいはい、拗ねない拗ねない」



 全く。あんなの冗談に決まってるだろうに。


 ニヤニヤ笑っている会長にそっぽを向いた。



「あ、そろそろ時間ですね」



 会長が腕時計を見て呟くと、その直後にチャイムが校内中に鳴り響いた。



『最終下校時刻15分前となりました。校内に残っている生徒は速やかに下校を始めてください』



 放送の声を聞いてルンルンと笑っている会長に聖夜が首を傾げた。



「何に笑ってるんですか?」


「ん? ああ、いやちょっと。放送を読んでいるのが友達だったから楽しくなってしまいまして」



 会長の言葉に俺も聖夜も首を捻る。俺たちには友達が関わるような話に対して経験がないからイマイチ、ピンと来ない。聖夜に至っては遠くを見るような目をしている。



「なんでしょうね、知り合いがやっているというだけで不思議な気分になるんですよ。そうですね、兄弟が城殿チャンネルに映っていたら見ませんか?」



 城殿チャンネルはテレビの地方放送局で、城殿市周辺の情報を毎日放映している。地域内にある学校の入学式や卒業式、文化祭なんかの学校行事に撮影スタッフがやってきて、その模様は地域内の誰でもテレビで見ることができるチャンネルだ。


 我が家も妹と弟、もちろん俺も映っているときは欠かさずに録画されている。両親は自分の子どもが可愛くて堪らない人たちだから、行事のたびに仕事を休む。当然毎回学校に来てカメラを回しまくってるけど、俺たちが映っているなら迷うことなく録画してブルーレイに焼いて保管している。


 俺も自分のは見たくないけど妹たちの分は見たいから、2人がいないときにこっそり見たりする。2人ともかなりツンデレだから一緒にいるときに見るとかなり嫌がられる。どうして見たいかと考えれば、あの不思議な高揚感があるからだ。嬉しいような誇らしいような、そんな感覚。



「分かったかも」


「ボクも気持ちは分かります」



 儚く微笑んで小首を傾げた聖夜に会長の視線が釘付けになった。その視線の前で手をひらひらと振ると、会長はハッとしてリュックを背負った。



「ほら、帰りましょうか」



 ちょっと慌てているのが隠せていない会長のあとを追っていく聖夜が置き忘れて行ったリュックと自分のリュックを両手に持って教室を出た。



「鍵かけるから待ってね」


「分かってるよ」



 リュックを背負っていないことにはまだ気が付いていないらしい聖夜が教室のドアの鍵をかけるのを見守ってから、2人のあとを追って階段を下りた。



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