第3話 1人じゃない朝


 翌朝、いつも通り満員電車に乗り込んだ。今日はうまくドアに寄りかかれる位置に入り込めたから、電車に揺られながらぼーっと窓の外を眺めていた。駅から離れて田園風景が広がったと思ったらその中に少しずつ建物が出てきて、次の駅が近づいてくる。


 今朝目が覚めたとき、急に昨日の放課後の出来事が夢だったんじゃないかって思えてきて不安になった。昨日の夜のふわふわした気持ちはどこかにいって、なんだか怖かった。一緒にご飯を食べていた3番目の姉、夕凪姉ちゃんに熱を測られるくらいにはぼーっとしていたけど、とにかく学校には行かないとって思って最寄り駅でお友達さんと会うまでの間は一緒に登校する夕凪姉ちゃんに心配されながらもなんとか歩いてきた。駅についても周りがいつも通りすぎて、告白だなんだって言っていたのがウソみたいだ。


 ビルが見えてきたら高校の最寄り駅。人のゆっくりした流れに流されるのは時間の無駄だから、電車がいなくなるまでは流れに乗ったまま黄色い線のすぐ内側を歩く。電車がいなくなったら黄色い線からはみ出して早足で歩き出す。階段の手前で流れに合流したらまたゆっくりな流れに乗って前の人のリュックが突き出してこないかに注意しながら階段を上る。ここで足を踏み外したら大事故になる。エレベーターは必要な人のために大半の人は乗らないし、エスカレーターなんてものはローカル線には存在しない。だから5両編成の電車にぎゅうぎゅう詰めにされた人達の大部分がここに殺到して、誰か1人の不用意な行動が危険につながる。


 階段を上りきると定期券を駅員さんに見せて改札を出る。また人だらけの階段を下って駅構内から出ると、近隣の2つの高校に向かう人たちとは逆に向かうから一気に人が減る。いつも通り高架下のコーヒー屋さんの前を足早に通り過ぎたところで、後ろから駆け足な足音が聞こえてきた。ボクには関係ないとは思いつつ足音を避けるように少しずれた。と、目の前に木が現れた。木があるなあ、と思っていたらどんどん木が近づいてきて、ついに目と鼻の先にまで迫ってきた。



「危ない!」



 急に腕を引かれて視界が反転した。直前に聞こえた聞き覚えのあるボクよりは少し高い声。抱きしめられていた腕が緩められて少し低い位置にある目に顔を覗き込まれた。



「会長さん? あ、おはようございます」


「うん、おはよう」



 朝の光に照らされて青光りしている漆黒の髪から香るはちみつの香りに気持ちが落ち着く。さすがに道のど真ん中にいるのも、ということで手を引かれて歩道の端に誘導された。



「ぼーっとしてたみたいだけど、大丈夫?」



 手を繋がれたままかなり近距離から顔を覗き込まれると、昨日の夢のような言葉を思い出して顔が熱くなっていくのを感じる。



「顔熱いよ。熱でもあるのかな?」



 ひんやりと冷たい手が後頭部に添えられたと思ったら会長さんの漆黒の瞳とすらりと通った鼻筋がドアップに視界に映って、反射的にギュッと目を閉じた。その瞬間おでこにこつんと何かが当たった感覚がしてそっと目を開けた。



「あわわっ、だ、大丈夫です!」



 目の前も目の前、おでこをくっつけたままの状態で上目遣いに俺の見上げられて、ボクの体温はさらに上がった。慌てて距離をとると、会長さんは口の端を上げて意地悪な笑みを浮かべてクスクスと笑った。



「なるほどね。僕に熱くなってくれてたんだ。ぼーっとしていたのも、僕のことを考えていてくれたのならうれしいな」


「ち、ちがっ」


「そう? 残念」



 艶やかに笑った会長さんにドキリと胸が鳴る。その鼓動を誤魔化すように視線を逸らしたボクの頭に大きくて柔らかい手が乗った。



「ごめんごめん。ほら、一緒に学校まで行こう?」


「……はい」



 穏やかに微笑む会長さんに促されて黙って隣を歩き始める。ボクがいつも通りまっすぐスクランブル交差点の方に歩いていこうとすると、不意に隣から会長さんがいなくなった。振り返ると、商店街の中を通る道の前で会長さんが手招きしていた。



「ちょっと坂が急なところがあるけど、こっちの方が近道だよ」


「そうなんですか?」



 運動部で、朝1番に教室ではなく部室に向かう人たちにとってはこっちの方が近道だということを月ちゃんに教えてもらったことはあるけど、部活に入っていないから上履きは昇降口にしかおけないボクには無縁な話だと思っていた。


 会長さんの隣を歩きながらなんの話をしようかと考えを巡らせた。横顔を盗み見たとき、そういえばと思った。



「会長さんと駅で会うのって初めてじゃないですか?」


「そうだね。僕は上り線だから同じ電車に乗ることはあり得ないし」



 そこで言葉を切った会長さんの方を向くと、眉を下げて口を結んでいた。



「会長さん?」


「あー、あのね。僕はいつも、今日みたいに挨拶当番じゃない日は聖夜くんが乗ってくる電車よりも1本遅く駅に着く電車に乗っているんだ。聖夜くんは歩くのが早いから僕も後ろから見つけたことはなかった。でも、挨拶に立つ日に聖夜くんが来る時間から考えるとこの時間の電車かなって予想して、今日は待ち伏せしてた。ごめんね」


「なんで謝るんですか?」


「だって、自分で言うのもなんだけど、気持ち悪くない?」



 普段はキリッとした切れ長な目尻をこれでもかというほどに垂れさせてボクの顔を窺う様子はなんだか可笑しくて、会長さんの可愛らしい一面を垣間見ることができたような気がする。歩きながら背の低いビルに切り取られた青空を見上げて少し考えて、ボクは首を振った。



「ボクは、気持ち悪いとは思いませんよ」



 ボクの言葉が予想外だったのか、目を大きく見開いた会長さんは足を止めた。後ろを歩いていた同じ学校の生徒にぶつかりかけたから、会長さんの手を引いて歩いた。



「今もですけど、会長さんの手、冷たくなってます。衣替えも終わってブレザーを着ているとはいえ、手先は出しっぱなしで冷えますからね。そんな中でも待っていてくれたと思うと、少し嬉しくなります。なんだか、こそばゆいっていうか」



 話しながら照れ臭くなってきて、最後は口籠もってしまった。恥ずかしくて会長さんの顔は見られないけど、隣からふふっと笑い声が聞こえてほっとした。



「そう言ってもらえると気が楽になるな」



 そう呟くように言った会長さんが手にキュッと力を入れてきたことで、自分が会長さんと手を繋ぎっぱなしだったことに気が付いた。慌てて手を離そうとしたけど、会長さんの力が強くて離せない。



「会長さん! 人目もあるし、恥ずかしいです!」



 ボクの抗議に強気な笑みを浮かべた会長さんは、手を離す気配もないまま角を曲がって横断歩道を渡った。そのまま人の流れから外れると急な坂を前に手を握り直した。



「ここなら人通りも少ないから恥ずかしくないでしょ?」


「そういう問題じゃないですよ!」



 そう言ってボクの手を引いて坂を登り始めた会長さん。ボクは何とか手を離してもらえるようにもがいていたんだけど、思っていたより勾配は急だし長いし、途中からはありがたく引っ張ってもらった。



「ほら、あとちょっとだよ」



 そう言われてずっと地面を見ていた視線を上げると、確かに坂のうえはもうすぐそこ。でもそれと同時に駅から高校に向かう半数以上の人が通る道に行き当たって、一気に人通りが増えているのが見えた。



「会長さん、引っ張ってもらってありがとうございましたなんですけど、ここからは人目があるので」



 ボクの言葉に足を止めた会長さんはつまらなそうに口を尖らせたけど、急にニヤッと笑ってボクを引き寄せた。



「これから僕のことを粋って呼んでくれるなら離してあげてもいいよ?」



 耳元でセクシーな声を囁かれてゾクッとする。パッと距離をとったボクに尚も意地悪な笑顔を向ける会長さん。その笑顔にもまたゾクゾクして、顔が熱くなる。



「す、粋……せんぱぃ」


「ふふっ、まあ、及第点かな?」



 いつもの爽やかな笑顔に戻った粋先輩はすぐに手を離して前を歩きだした。あまりにもあっさり離された手に残った粋先輩の温度が冷めて欲しくなくて、手を握りしめる。ボクは何を名残惜しいと思っているんだろう。



「どうしたの? 聖夜」



 急に呼び捨てにされてボクの眉が動く。粋先輩の顔にはまた一瞬意地悪な笑みが浮かんでいて、なんだか悔しい。駆け足で粋先輩の隣に並んで人の流れに乗ると、粋先輩の顔を盗み見た。


 優しい人だと思っていたけど、意外と意地悪だ。


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