第6話 満ちる悪意

ケネスに仕える事を許されたジーナは、嬉しさのあまりとにかくケネスの世話を焼こうとした。


だが、ケネスからことごとく拒否されてしまう。着替えの手伝いをしようとしたが、自分で出来ると部屋を追い出されてしまった。


部屋から追い出されて落ち込んでいたジーナは、見知らぬ侍女に話しかけられた。


「あなた、新しいメイド?」


「はい、ケネス殿下のお世話を申し付けられました。ジーナと申します。よろしくお願いします」


『王太子殿下から、わたくしが伯爵令嬢である事は内密にと言われているから……家名は名乗らないようにしないと』


メイドは、ほとんどが平民だ。平民は家名を持たないので、ジーナは名前だけを名乗る事にした。侍女はマナー等を予め知っている方が都合が良いという理由で貴族の子女が多い。城の使用人は実力主義で、メイドとして雇われた平民が実力を認められて王妃の侍女のリーダーをしていたりもする。だが、プライドのある貴族は侍女の方が偉いと考える者も多い。侍女が優遇されている訳ではなく、業務内容や能力で給金が決められているので侍女よりも給金の高いメイドも多数居る。それが許せない侍女は、全てのメイドを虐げる事で自身のプライドを保とうとする。


ジーナに話しかけた侍女は、日常的にメイドを虐げていた。クビになったケネスのメイドは、彼女の配下となりメイドの情報を流す事で虐めを逃れていたので、新しく来たジーナを利用しようと偵察にきていた。


「そ、あのメイド、ついにクビになったんだ。ってか、生きてんのかな? 処刑されたとは聞かなかったけど……」


「前任の方をご存知なのですか?」


「ええ、よーく知ってるわ。だから、貴女もわたくしの言う事を聞きなさい。あの駄目王子に仕えるなんて大変だものね。仕事を教えてあげる」


「……ケネス殿下は素晴らしい方ですわ。ですが、わたくしは昨日雇われたばかりです。仕事をご教授下さいませ」


『悪意がある言い方ですわね。許せません。だけど、今は情報を集める必要があります。なんとか上手くやりませんと』


ジーナは怒りを必死で抑えて、震える声で名前を名乗らない侍女に話しかけた。


「まず、貴女の給金は幾ら?」


「え……?」


『いきなり給金を聞きますか?! え……ど、どうしましょう。正直に給金はないと答えればよろしいのでしょうか。いや……それは怪しまれますわよね。でも、城のメイドの給金など知りませんわ! 高過ぎても怪しまれるし、安過ぎたら安く雇ったと殿下達が批判されても困ります。ああもう! 初対面でいきなり給金を聞いてくるとは思いませんでしたわ!!!』


「何よ、言えないの? 言えないくらい高いの? そういえばアンタ、言葉も身なりも綺麗だものね。どっかの商会のお嬢様かしら? さぞ高給で雇われたんでしょうね。だからあんな駄目王子すら褒めるの?」


「いえ……わたくしは商会の娘ではありません。給金は……その、まだお聞きしておりませんでしたので……」


「ふーん、普通は給金を提示されて仕事を決めるものではないの。どこのお嬢様よ」


「いえ……わたくしはお嬢様などでは……城ではこのような言葉遣いをしろと……言われました」


『なんなのこの人! 面倒過ぎるわ! どうしよう、わたくしこの人……苦手だわ。ニコラ、助けてっ!』


社交の得意な妹を呼びたい衝動に駆られたが、あいにくここには誰も居ないし、逃げる事も出来ない。


彼女を否定して、王族への不敬を訴えるのは簡単だ。だが、彼女1人を排除しても第二、第三の彼女が居る事は明確だから、情報収集の為にも彼女に気に入られる方が良い。


ジーナは、必死で頭を働かせた。


『わたくしはニコラにはなれない。でも、この方を上手くかわして、気に入られないと情報が得られないわ。彼女が求めているのはわたくしの給金を知る事……どうして、給金が知りたいの? 商会の娘じゃないかとか……何故、そんな事を聞くの?』


侍女は甲高い声でジーナに怒鳴りつける。不快な音に、ジーナの思考は中断されてしまう。


「アンタ、家名は?」


「わたくしはただのジーナです」


ジーナが平民だと思った侍女は、急に嬉しそうに笑う。その笑みは意地悪で、心根を表しているようだった。


「ふぅん。そうよね。貴族ならわたくしと同じ、侍女の筈だもの」


「あの……貴女様はお貴族様なのですか? わたくし、目が悪くて……あまりお顔が見えておりませんの。美しいお顔を近くで拝見してもよろしいですか?」


「そうよ、わたくしは男爵令嬢なの。ふふん、平民は貴族に会わないものね。いいわ。わたくしの美しさにひれ伏せば良いわ」


「男爵令嬢だなんて凄いですわ。まぁなんて美しいお顔なんでしょう」


とにかく顔を覚えたい。その一心でジーナが放った言葉に侍女は嬉しそうに微笑んだ。ジーナは、必死で侍女の顔を覚えた。


「そうよ! わたくしは美しいし、貴族だから凄いの! それなのに、平民のメイドの方が高い給金だなんて許せないわ!」


「……あの、男爵令嬢様の給金は……」


「何よ!! イヤミ?! たったの月50ゴルドよ!!」


『多っ! うちの新人メイドは月30ゴルド程度なのに……! この方は、もしかしてわたくしの知らないスキルをお持ちなのかしら……』


「とても多いですね」


思わず出てしまった感想に、侍女はキョトンとした顔をする。


「え……?!」


侍女の間の向けた顔と、散々ケネスを馬鹿にされた怒りから、ジーナの声は刺々しさを増し、言葉は毒を含んでいく。


「お給金が少ないと気にされる割に、多いなと思いまして。とても優秀なのですね。どのようなお仕事をなさっているのですか? どなたの侍女ですか? ケネス殿下はあり得ませんよね。あんなに批判なさっておられたのですから」


「はぁ?! 馬鹿にしてんの?! 平民のくせに! 私は男爵令嬢よ! アンタなんかと違うの!」


『しまった……ついやってしまったわ……。せめて彼女の名前が分かれば……』


「わたくしには家名なんでご立派なものありませんわ。それだけ威張っておきながら、家名も名乗らないなんて、男爵令嬢というのも嘘ではありませんの?!」


「ふざけるな! あたしは、エレノア・オブ・ベケット! れっきとした男爵令嬢よ!!!」


『それって……ケネス殿下が仰っていた侍女の名前だわ。ケネス殿下には侍女が付いている筈なのに、身の回りの事は全てご自分でなさっている。王太子殿下も何も仰らなかった。じゃあこの人は、何もせず毎月お給金を頂いているの?! 信じられない!!! ケネス殿下は侍女の事を聞いても、何も仰らないし口籠るだけ。何か事情があると察して言わなかったけど、こんな人が付けられていたなんて!!! 後で王太子殿下に確認しなくては……!』


怒りがピークに達したジーナは、丁寧な口調で毒を吐き始めた。


「エレノア様と仰るのですね。男爵令嬢であり、侍女のお仕事までなさっている素晴らしい方に失礼致しました。わたくしの給金は聞いておりませんが、エレノア様より多いとは思えませんわ。月50ゴルドも頂ける程、わたくしのスキルは高くありませんもの。エレノア様はとても優秀なのですね。それに、お優しいですわ。新人のわたくしにお言葉をかけて頂けるなんて。わたくし、まだ雇われたばかりで皆様にご挨拶しておりませんの。お給金を聞くのがマナーだと教えて頂いてありがとうございます。ご挨拶の際、エレノア様から教えて頂いた事を実践致しますわね。もちろん、わたくしに教えて下さったのがエレノア様だときちんとお伝えしますわ」


「……ふん! 給金を聞くなんて恥ずかしいからやめな! アタシから教えられたなんて、言うんじゃないよ!」


「承知致しました。では、ご挨拶に行って参ります。それとも、先にお仕事を伺った方が宜しいでしょうか」


「アンタに教える事なんてない! さっさとアタシの前から消えろ!」


「かしこまりました。ケネス殿下の侍女を努めておられる、エレノア様」


「大事で名前を呼ぶな!!!」


エレノアは、大きな足音を立てて走り去った。直後に怒鳴り声を聞いてジーナを心配したケネスがドアを開けた。


『……彼女の名前を聞けたのは大きいわね。あれだけ長い時間ケネス殿下の前に姿を見せなかったのだから、きっと侍女の仕事をしていないのではないかしら。顔は覚えた。名前も聞いた。偽名を名乗ったかもしれないけど、あの怒りようならきっと本名ね。お兄様や王太子殿下に確認しましょう。それにしても、ケネス殿下の侍女なのに馬鹿にするなんて……絶対に……許さない。まずは、お兄様とニコラに連絡を取ってベケット男爵と繋がりのある高位貴族を調べましょう。男爵令嬢が王子を馬鹿にするなんておかしい。絶対、もっと高位の貴族が絡んでるはず。似顔絵も描いて、王太子殿下に顔を確認しましょう。そもそも、あんな侍女を雇ったのは誰なのかしら?』


「ジーナ! 大丈夫?」


「大丈夫ですわ。まあ! 殿下、素敵です!」 

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