第三話

 山田と海野が小田原兵学校に入校してから一月ほど。

 いずれも体力・知力に自信のある生徒たちがその慢心をへし折られた教練初日から、ようやく自信を取り戻して教官連の猛訓練についていけそうな手応えをほんの少しだけ感じていた頃。


 入校以来、はじめての完全休養日となったある日曜に、一期生らは教官から呼び出された。

「完全に私用である、無視してもかまわん」と念押しされていたが、それでもその念押しがまず不気味だった。無視するものは一人もおらず、全員が講堂に集まる。


「よう集まった」

 傷の癒えた田埜守教官――入校式で顔を腫らしていた二人のうち小柄な方――がまず言った。隣の森田教官は黙ったまま。


「今日は貴様らに聞きたいことがあって集まってもらった」

「阿世知」

「はっ!」

 指名された阿世知は鹿児島から選抜されてきた色の黒い男で、これでも地元では白いほうだとバカにされていたのにここでは黒いとバカにされてやれん、とよく愚痴をこぼしている男だ。見た目によらず和歌に通じている。


「貴様は幕府軍と朝廷軍、どちらが強いと考えるか」

「幕府軍だ」「朝廷軍だよな?」」


 田埜守教官の念押しを遮り被せるように森田教官がいう。

 それで、一期生の全員がなぜ呼び出されたのかを悟った。


 三〇人もいれば耳の早い者は一人は居る。田埜守・森田の両教官が入校式初日に顔を腫らしていた理由について、それらしき噂を仕入れてきたのは鷲尾だった。「新発田で河井様の手づから射撃の教練を受けた」と吹聴していたが、誰もその与太を信じてはいない。顔の目鼻の作りは細かいくせに話はいろいろと大げさな男だ。


「戊辰の戦の遺恨らしい」

 と鷲尾は言った。山陰の戦いで田埜守教官は幕府側(佐幕列藩同盟)、森田教官は朝廷側(倒幕雄藩連合)でそれぞれ従軍していたという。

 山陰の戦いはどちらも圧したり退いたりのちまちました小競り合いが続くうちに停戦になってしまったために決着がつかず、そのことが燻り続けて遂に入校式の前日に破裂したそうだ。

 ……というのが、鷲尾の仕入れた噂話だったが、同期の皆は半信半疑だった。海軍の遺恨や関ケ原の恩讐などという話ならまだ納得だが、東軍も西軍もどちらも漫然と戦っていただけのように伝えられる山陰の戦いでそのような激しい対立が生じるのか? というのがまず最初の疑問。

 それに旧幕府であれ、旧倒幕であれ、もしもそうした激しい敵愾心をもったままの人物ならば、はたして小田原兵学校のような中央政府機関に奉職するか? という疑問があった。地方道政府には今も旧幕府・旧倒幕の重臣だったものがそのまま枢要な地位を固めてるところがいくつもある。それぞれそこに奉職すればいいだけのはずだ。


 そうした疑念のほうが強く、山田もあまり真に受けていなかったのだが今この時の二人の教官の様子を見れば分かる。鷲尾の噂話は真実だったのだ。


 答えに詰まる阿世知に森田教官の激が飛ぶ。

「はっきり答えんか! それでも兵学校生徒か!」

「押忍! 阿世知にはわからないであります!」

「わからんとはなんだ!! 貴様は薩摩だったなら――」

「待て森田。答えを強要しては意味がなかろう」


 田埜守教官が阿世知に詰め寄ろうとする森田教官を押し留めた。

「昨日までの訓練は基本的なもので、俺も森田も特に異論のない訓練だった」

 しかし、と田埜守教官はひとつ間をあける。

「明日からはそうはいかん。俺も森田もそれぞれの受けてきたやり方で貴様らを鍛えるつもりだ。しかしまるきり違う内容では生徒が混乱するだろうということでな。

 幕府…もとい東軍と西軍、どちらか強い方のやり方に少しでも寄せようということで、貴様ら生徒の希望を聞いてみようじゃないかということに相成った――」

「築地とちがってここの教官は西洋や幕府上がりで固められてもおらんしな。

 これからの日本を背負って立つ貴様らにどちらの教育がよいか白黒つけねばならん」

 森田教官が後を引き受けて結んだ言葉に一期生は沈黙する。


 希望などと言われても、山田には困惑しかなかった。

 ここで今まで受けた教練といえば、学科を除けばボートを漕ぎ、水泳し、走り、背嚢を背負ってただ歩くだけ。銃にも刀にも触っていない。この先どのような教練があるのかも分かっていない。東だ西だ幕府だ薩長だ以前の話である。


 けっきょく他の生徒も同じだったようで、二人をのぞいて全員が阿世知とおなじく「わからない」と答えた。東軍が強いと答えたのは海野、西軍が強いと答えたのは鷲尾だが、これでは優劣はつかない。


 二人の教官はこの生徒たちの反応が不服だったようで、最後の方の回答者には白黒つけさせようと話しかけてくる。山田の番になるともはや露骨で、山田を挟んで互いの軍を罵倒するかのような勢いであった。

 それでも全員の回答が互角である(わからない)という結果が出ると、しばらく沈黙したあと、二人は肩を落として全員に整列を命じた。

 

 整列の済んだ生徒の傍らに立つと田埜守教官が号令をかける。

 いつの間にか、教官の隣には島村教練監が立っていた。

 入校式の日に森田教官を一喝した髷の教官だ。その時は知らなかったが長州戦争で小倉藩兵を率いていた大物ネームドだった。かつては苛烈な戦ぶりで敵も味方も震撼させたというのを感じさせないほど、普段はやわらかい印象の教官だった。


 教官の監督役ということで生徒らが直接に対話するのはこれがはじめてだった。


「言ったとおりじゃろうが」

 島村教練監はなぜか愉快そうに二人の教官に言った。

「時代が変わったんじゃよ。

 幕府だ尊皇だ騒いでた頃とは違う。見てのとおり、若者どもはどちらにもつかんぞ?」

「しかし島村教練監――」

「だまらっしゃい。強くならんとせんばならんのはこの日本そのものじゃろう。オマエたちは自分たちの思うように指導すれば良い。幕府だ朝廷だ、甲乙つけずとも皆は良いところだけを学び取るわ。…のぅ?」

「「「はいッ!!!」」」


 最後に視線を向けられた生徒たちは声を揃えて返事をする。

 その答えに満足そうにうなずいた島村教練監は、にやり、と笑みを浮かべ眼光を鋭く一閃させた。常にもまして固く直立不動の姿勢となった山田ら生徒たちをひととおり眺めて言う。

 

「生徒諸士はこの日ノ本を第一とする心算は固まっておるようじゃ。

 貴様らのその覚悟、今度は毛唐に見せてやらねばならん」


 何をやらされるのかはわからないが、なにかろくでもないことが起こりそうな気がする。山田はその予感に肩を落としそうになるのをなんとか堪えた。島村教練監が見ている前でそれはヤバいと本能が伝えている。


 それでも、こういう時の予感というのはたいてい当たってしまうもの。

 今回もまたその例に漏れることはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る