7.お茶会裁判

7-1

 王宮に到着すると、ヴィクトリアとダンテは宮廷内のティールームへと通された。

 中庭を臨む明るい室内に置かれた長いテーブルは、糊の効いた真っ白のクロスが掛けられ、花と共にセッティングがされている。


 奥の席には王太子のための空席。その王太子に近い場所に、ヴィクトリアの席が用意されていた。


 そして、その向かいの席には当然のようにセオフィラス・キャロルが座っている。

 つまらなそうに頬杖をついていたセオフィラスは、ヴィクトリアを目にした瞬間花開く様な鮮やかな笑顔を見せた。


「やあヴィクトリア!」


「こんにちは、セオフィラス」


「ぼくも王太子殿下にお茶に呼ばれたんだ。ご一緒してもいいかな?」


「もちろんです」


 偶然だ、と言わんばかりに笑顔を振り撒くセオフィラスの隣には、身を縮こませ額に大量の脂汗を滲ませるマクミラン商会副社長の姿があった。


 今日も仕立ての良い上等な服に身を包んでいる。その晴れない表情と尋常ではない発汗さえどうにかすれば、この宮廷において貴族と並んでもなんら遜色はないと言えるだろう。


 その副社長の表情は疑問符を大量に連ねたものに見える。何故自分がここにいるのかはよくわかっていないのかもしれない。

 わからないなりにあまり良い予感は抱いてなさそうな表情が、ヴィクトリアを見て強張った。今まさに、その予感は悪い方へ大きく傾いたのだろう。


 ヴィクトリアの視線に気付いたセオフィラスは、ちらりと隣を見て、ふふと意味ありげに笑った。


「彼はただの付き添いだから気にしなくていいよ。疲れのせいか、最近よく足元がふらつくものでね。杖代りについて来てくれたんだ」


「それはそれは。見上げた忠誠心ですね」


 ふふふふふ、と一見穏やかに微笑み合うセオフィラスの隣で副社長はどんどん顔色を悪くし、ヴィクトリアの隣ではダンテが顔を引き攣らせた。


 ヴィクトリアが席に着いたところで、腹の上で手を組んだセオフィラスが首を傾げる。


「ところで、調子はどうかな?」


「おかげさまで」


 ヴィクトリアが無難に応えれば、セオフィラスはいつものように胡散臭い笑みを深めた。


「ここ数日海が荒れているようでね。帝国からの船が足止めされているみたいなので、心配していたんだ」


「ご心配には及びません」


 地続きの帝国だが、最速で国境を渡るなら海路を行くのが良い。長雨によって海が荒れていることはヴィクトリアも承知している。

 セオフィラスは、未だ戻らないヴィクトリアの従者について言っているのだろう。情報収集能力を讃えるべきは、マクミラン商会、あるいはキャロル侯爵家、またはセオフィラス個人のどれだろうか。


 それはよかった、と応じたセオフィラスは、次にヴィクトリアの隣に座ったダンテに視線をやった。


「で、従弟殿は何をしに?」


 問われたダンテが言葉に詰まり、代わりにヴィクトリアが口を開く。


「私も最近よく足元がふらつくので、杖代りに来てくださいました。場合によってはこの後このまま教会へ行きますけど」


「えっ……」


 薄く微笑んで答えれば、ダンテが驚いた声を上げた。セオフィラスは大仰にわざとらしく、その秀麗な眉を顰める。


「よりによって? ものすごくつまらない人選じゃないかな。それに、彼の騎士道精神は君にとって心地良いものではないと思っていたけど?」


「……誠実な方です」


 一瞬言葉に詰まってしまったのはヴィクトリアの落ち度である。ちょっと傷付いた風のダンテが、ものすごく何かを言いたそうにヴィクトリアを見た。後でフォローすることにして、とりあえず今は気付かなかったことにする。


 王太子はまだだろうか、そう思ったところで扉が開きリチャード・テニエルが部屋に入ってきた。


「堅苦しい挨拶はいい。楽にしろ」


 一部の隙もない出で立ちはひと月前と同じく堂々たる威厳に溢れ、怜悧な美貌に冷たい華を添えている。

 立ち上がりかけた面々に片手を上げ控えるよう告げて、王太子はさっさと席に着いた。


 それと同時に五人の前に琥珀色の紅茶を満たしたカップが置かれ、ジャムとクリームを添えたスコーンと共に、ビスケットや一口サイズのケーキが並ぶ皿が置かれていく。

 その間に視線で室内をひと撫でした王太子が、ダンテを見て薄い笑みを浮かべた。


「セオフィラスがとうとうふられたか」


 王太子のそんな軽口に、セオフィラスが軽く眉を顰める。


「誤解があるようだねリチャード、ぼくはふられてない」


「呆れた執念深さだな。お前のような人でなしに執着されるヴィクトリア嬢に、同情を禁じ得ない」


「あまり酷いことを言わないでおくれよ。それに、執着なんて言葉、ぼくは好きじゃないな。情熱的だと言って欲しいね」


 それは、彼らにとっては何気ない、日常的に有り得るやり取りなのだろう。

 だが、目の当たりにした副社長の顔色がビスケットにかけられたアイシング並みに白くなった。


 リチャード・テニエルとセオフィラス・キャロルが従兄弟同士であることは知っていただろうが、どの程度の親交があるかについては今初めて知ったのかもしれない。

 副社長にとって、今このティールームがどういう意味を持つのか。この瞬間までは計りかねていたのかもしれない予感が、今ヴィクトリアの目の前で確信に近い予感へと変わっていく。


 王太子を呼び捨てにした最高顧問は、ただの商人ではない。

 王太子とファーストネームで呼び合うことを許されているごく一握りの人間で、貴族である。その貴族の中でもほとんどの者が口にすることさえ許されない尊い名を、セオフィラスは堂々と口にする。


 セオフィラスが持つその影響力を、副社長は本当の意味では理解していなかったのだろう。

 自らが裏切ろうと画策していた最高顧問、セオフィラス・キャロルの貴族社会における立ち位置を。彼は、ただの偉ぶった御曹司などではない。


 副社長は片時も忘れるべきではないことを失念していた。

 この国は貴族によって動かされている。

 どれだけの財力や権力を持とうとも、この国で王位に次いで優遇されるのは爵位だ。


 人は平等ではない。

 忘れてはならない。この国に生まれた以上、生まれた瞬間から、人は立場に縛られているのだということを。


 立場に胡坐をかくのであればなおのこと。

 それが真実どういうものであるのかを、彼は知っているべきだった。

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