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 王妹殿下の降嫁については、政治的な駆け引きとは無縁の、もう少し情に寄った話だったりする。

 つまるところ、侯爵家の次男と王女のごく個人的な関係の末の、恋愛結婚だったのである。少なくとも、そうであるとされている。


 ヴィクトリアにとっても、一応は伯母に当たる。元王族のセオフィラスの母。

 もちろん面識はあるが、まあなんというか、いかにもセオフィラスの母親、という人物である。恋心などという不確かなもので、自身の行く末を定めるような人には見えない、というのが飾り気を排除したヴィクトリアの所感ではある。

 しかし生まれる以前の話であり、そういった機微に疎いヴィクトリアでは実際のところはよくわからない。


 とにかくドッドソン侯爵家の次男には、王女の降嫁に伴う箔付けのためにキャロル侯爵領が与えられた。

 さらに継いでいた家業であるマクミラン商会の事業拡大にあたって、王家の支援があった。こちらについては、公然の秘密である。


 長男であるドッドソン侯爵よりも、より多くのものを得た。そう見る者は少なくない。

 ドッドソン侯爵にとってはどれもこれもが面白くない話だったことだろう。


 そして現在、マクミラン商会を事実上牛耳っているのは、キャロル侯爵の長男で最高顧問であるセオフィラス・キャロル。

 ドッドソン侯爵にとっての甥は、可愛げとは無縁の鼻持ちならない若造である。想像を巡らせるまでもなく、さぞ不愉快なことだろう。


 ドッドソン侯爵は、弟が継いだとはいえ理事としてマクミラン商会に名を残している。本来であれば経営に口を挟むことができる立場ではあったのだ。

 ただし、セオフィラスが現在の立場に収まるまでの話。


「キャロル侯爵が相続した後の、その尽力と功績は大きいものです。けれど元を正せばドッドソン侯爵家の家業であり、ドッドソン侯爵はその家の長男。以前は商会の運営についてある程度の発言力があったと聞いています。ところが、セオフィラスの台頭で状況が一変。気位の高いドッドソン侯爵にとって、偉そうな若造、セオフィラスの存在はさぞ業腹だったことでしょう」


「まあ、だろうな」


 セオフィラスは二十代とまだ若い。ドッドソン侯爵にしてみれば、自分の子と大して変わらない相手だ。

 本来であれば最高顧問などと言ったところで肩書だけで終わるはず。

 それにも関わらず、気が付けば社内の空気は一変し、商会における勢力図は瞬く間に塗り替えられた。


 ドッドソン侯爵にとって、いっそのこと手を引いてしまいたいぐらいマクミラン商会は気に入らない案件だったはずだ。それでも手を引かなかったのは、無視できない額の理事報酬があったから。すごすごと手を引く己が許せない、というプライドの話もあったろう。


「ドッドソン侯爵がセオフィラスを疎ましく感じていたのは周知の事実。そしてマクミラン商会及びキャロル侯爵家から事業の一部を切り離して独立を狙ってる、という噂についても、恐らくは事実だったことでしょう」


 そしてその狙い自体は、決して悪くなかったはずだ。セオフィラスとしても、ドッドソン侯爵は関わって楽しい相手ではない。


「マクミラン商会はこの先も事業拡大を狙っているはずです。セオフィラスがただ現状で満足するとも思えません」


 商会の行く末には、恐らく王太子も関わっていると思われる。

 マクミラン商会の事業拡大に伴い、ずぶずぶの関係になった商会と王家。その関係は現在、後継であるセオフィラスと王太子に引き継がれているのだ。

 互いに利用し合う関係、と言った方が適切かもしれないが。


「ドッドソン侯爵は、恐らくそこに水を差したのです」


 セオフィラスと、王太子。よりによってその二人の思惑に対して。

 さらにその上で、やり方とタイミングを致命的に見誤った。


 今回の件、その発端となった出来事について、ヴィクトリアには特に心当たりがある。


「タイミング的に、恐らくヴァンホー商会の件でしょう」


「君の会社?」


「ええ。仕入れた商品を国内で売るだけの小さな会社ですが、その商品は珍しい粉末のカカオ。ラトウィッジ海運との取引によるものです」


 王家が目を付けるほどの、商品自体の将来性。

 そして何よりも、取引相手はあのラトウィッジ海運という事実がある。


 ラトウィッジ海運は、文字通り世界を股にかける、海運業で最も成功している世界的企業である。

 同時に、その門戸を開かないことでも広く知られている。

 ヴィクトリアの伝手で始めた取引、その伝手を、マクミラン商会はかねてより欲していた。


 実際にこれまで紹介して欲しいと、セオフィラスから何度か打診を受けてもいる。

 だからこそ、ヴァンホー商会の売却について、まだ個人的かつ内密ではあるものの、セオフィラスに話を持ちかけたのだ。

 あくまでカカオについてのみ。「それ以外の如何なる商談にも応じない」という但し書き付きの話ではあったが。


「そのヴァンホー商会の売却について、セオフィラスにしていた相談は現実的なものです。今回私が帝国に行ったのも、もちろんナイト教授の講演のこともありましたが、会社の権利売買の件もあったんですよ」


 ところがそのヴィクトリアの不在中にリデル伯爵が急死。

 そしてその混乱に乗じ、ヴァンホー商会を強引に買い取ってしまった者がいる。


「秘密裏とはいえ既に進んでいる話。例え知らなかったとしても、セオフィラスが手をかけているものに横やりを入れたに等しい行為です」


 実際に買収に動いたのは副社長。

 そして粛清されたのは副社長とそれなりに懇意にしていた、そういう噂があるドッドソン侯爵。


「じゃあ、副社長にそれをさせたのが侯爵ってことか?」


「それは、微妙なところだと思います」


 ドッドソン侯爵は不必要なほど尊大な人物ではあったが、決して無能だったわけではない。

 王家とマクミラン商会の関係、王太子とセオフィラスの関係は当然知っていただろうし、相手取るのがその二人であることは十分に理解していたはずなのだ。本来であれば、慎重に慎重を重ねるべき件だということも。


 ドッドソン侯爵と副社長は、手を組んでいたのだとは思う。いや、侯爵が副社長を駒として使っていた、と言うべきなのかもしれない。

 マクミラン商会の一部を切り離すことを狙うのであれば、商会内部の誰かを足掛かりとする必要はある。


 あまりらしくない人選だとは思うが、恐らく扱いやすさのみで選んだのではないだろうか。

 それに、ある程度の旨味がある話だとしてもそこそこ迂闊な者でなければ、あの最高顧問を裏切るような真似を良しとはしないだろう。


 裏付けるものはないが、セオフィラスの言動を鑑みるに恐らくそう間違っていないと思う。


「功を焦った副社長の独断、というのが正しいように思えます。副社長から見れば、父の急死と私の不在は渡りに船、ヴァンホー商会を手に入れるこれ以上はない絶好の機会だと思えたのではないでしょうか」 


 そして、副社長は恐らく独断で事を起こしてしまったのだ。

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