3-2


 カカオの苦みが舌の上を通過し喉を通っていく。


 目の前のこの尊大な人物は、キャロル侯爵に見出された商人の父親、その後釜に強引に、運よく収まっているだけの俗物である。父親の威光を自らの功績と勘違いして偉そうにしているだけ。

 先代の副社長についてはヴィクトリアも多少面識がある。いつも柔らかい物腰の謙虚な好人物で、それでいて抜け目のない優れた商人であったと記憶している。


 どうやらその思慮深さを継ぐ事ができなかったらしい息子は、親の威光ぐらいしか持たず、それすらも使い果たそうとしていることにも気付かず、理解もできていないらしい。


 今さら話すことなどない。確かに、その通りである。

 ヴィクトリアとしても同意見だ。この人物と話すことなど何一つとしてありはしない。

 話してみてもいいという気持ちがないわけではなかったが、もうその必要もない。


 副社長は、苛々と落ち着きのない様子で椅子の上でふんぞり返っている。あまりに不遜な態度だが、ヴィクトリアとしては今ここで相手にする気はもうない。


 まあ、彼としても色々と気がかりなことがあるのだろう。落ち着きがないのはそのせいだろうか。

 この副社長、ドッドソン侯爵とはそれなりに懇意にしていた、という話だ。その仲良しだったドッドソン侯爵があれほどまでに不審な死を遂げた。どれだけ鈍い人間だとしても、不安のひとつぐらいは感じるだろう。

 もしかしたらひとつどころではないかもしれないが、ヴィクトリアの知ったことではない。


 ヴァンホー商会は、リデル伯爵家が手掛けていた小さな会社である。

 小さいながら隣国を拠点とする世界的企業、ラトウィッジ海運と契約を結び、珍しい粉末状のカカオを仕入れ国内で売っていた。

 代表の名こそ父であるリデル伯爵だったが、ラトウィッジ海運と渡りを付け、交渉を重ね、この国で唯一彼等との契約を交わしたのは、他でもないヴィクトリアである。


 この国でカカオはまだ珍しく、世界的に見ても脂肪分の多いカカオの加工技術は発達していない。その現状を変えるものとして発明されたのがカカオの粉末加工。

 ラトウィッジ海運が独占しているこの新たな技術が、カカオの普及を飛躍的に伸ばした。温かいお湯やミルクに混ぜるだけで、簡単に飲み物へと変えることができるようになったのだ。


 新しもの好きの貴婦人がこぞって買い求め、さらには粉末であるが故に飲み物以外の粉類として混ぜ込んだりもしやすいため、焼き菓子などにも使われ始めている。

 これからさらなる伸びしろが見込める商品である。


 そして、リデル伯爵の急逝に際し、混乱と動揺に喘ぐ伯爵の未亡人、ヴィクトリアの母親から半ば強引に契約ごと事業を買い取ったのが、このマクミラン商会の副社長。


 ヴィクトリアがカップを置いたその音が、部屋の中に小さく響いた。


「たまたま近くを通りがかったので、従兄に会いに立ち寄っただけです」


 なおも何かを言わんと口を開こうとする副社長に、ヴィクトリアの背後で殺気めいた気配が膨らんだまさにその時、図ったようなタイミングで、妙に陽気な声が割り込んできた。


「ヴィクトリア!」


 開け放していたままの扉から騒々しく入って来たのは、派手な装いの男。

 と言っても、別に仕立てが良い上等なだけの三つ揃えはシルバーグレーを基調とした色合いで、その上に羽織った外套もトップハットも黒一色。別に派手でもなんでもない。

 それなのに、一目見て受ける印象が何故か妙に煌びやかなことがいつも不思議でならない。


「ああ、まさか君の方からぼくに会いに来てくれるなんて、感激だな。ハグしても?」


 外套と黒いトップハットを脱ぎ捨て、ずかずかと室内に入って来る。

 肩の辺りまで伸びた鮮やかな金髪が目を引く、眉目秀麗な長身の男。

 マクミラン商会の最高顧問であるセオフィラス・キャロルは、ヴィクトリアの前まで来ると嬉しそうに破顔した。その完璧な笑顔だけ見ていれば、どこかの貴公子もかくやという様子である。


 セオフィラスは、恵まれた容姿と絶やすことのない笑み、そして弁も立つため、一見するとこの上なく人当たりが良いように感じられる。あくまで一見すると。


「お邪魔しております。セオフィラス」


 ヴィクトリアは立ち上がり、セオフィラスのハグが云々という問い掛けには応えず黒衣の裾を軽く持ち上げた。


 ヴィクトリアの挨拶に倣い、セオフィラスも紳士らしく、それでいて芝居がかった優雅な礼をする。

 画にはなるが、どこか揶揄っているような雰囲気がある。いつも通りだ。


「昨日ぶりだね。まあ昨夜は話をする機会もなかったわけだけど。従弟殿も久しぶり。それとお悔やみを申し上げよう。ドッドソン侯爵の件は残念だった」


「どうも」


 セオフィラスの雑な挨拶に、ダンテも座ったままごく軽く頭を下げたのみに留めた。


「で、では私はこれで失礼を……」


 一方で副社長は、明らかな動揺を滲ませて最高顧問に席を譲り渡した。少しもさり気無くない挙動で出て行こうとする。


「ああ、副社長、ちょうどいい。言っておきたいことがあったんだ」


 セオフィラスは扉には背を向けたまま、ヴィクトリアを向いている顔はあくまで一見物騒なことなど何も無い、穏やかで華やかなだけのもの。そんな表情で、副社長に言葉をかけた。


「ぼくはあまりに強引で禍根を残しまくる君のスマートでないやり方は好きになれない」


「は……」


 言われた副社長がその場で凍り付き、セオフィラスを振り返った。辛うじて口から溢れかけた返答は、「はい」とも「いいえ」ともつかない。

 あくまで穏やかに言葉を放つ最高顧問は、振り向くことすらしないままである。


 ほぼ同年代。最高顧問と副社長という商会を背負う立場。互いに父親から後を継いでの今の地位。

 それなのに一方が、その背中を完全に抑えつけている。

 それは貴族と商人という、うまれついての身分だけによるものでは決してないだろう。


 ヴィクトリアからは見ることのできる副社長の表情が、滑稽なほど引き攣っている。


「今後は自重してくれることを期待している。今後があるならね」


 含みを多分に持たせた物言いに、副社長は何も言わず、というより何も言えずにだろう、無言のまま足早に出ていった。

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