黒衣の令嬢は薔薇の色を塗りかえる

ヨシコ

1.王太子殿下は冷酷無情

1-1

 王太子主催の夜会の夜。月明りに照らされた王城には国中の力ある貴族が集まっていた。


「いいえ、自殺ではありません」


 多くの者が集められながらも不自然に静まり返った城の大広間に、ヴィクトリアの凛とした声はとてもよく響いた。

 刺すような視線が一斉に、ヴィクトリア・リデルへと注がれる。


 レースとフリルがあしらわれた喪に服す黒いドレスに、結い上げた鮮やかな赤毛。黒と赤の対比がこの上なく美しく、剥き出しの白い首筋に落ちる巻き毛が上品な色香を演出している。

 吊り上がった大きな瞳は知性を湛え、白い頬と引き結ばれた赤い唇はこの場にあってなお、落ち着きを通り越して無感情、無表情であった。


 そのヴィクトリアからおよそ三歩の距離を空けた床の上には、苦悶の表情を貼り付けたドッドソン侯爵の出来立ての死体と、その原因と思われる床に零れたワインとほぼ空になった杯が転がっている。毛足の長い赤い絨毯の一部が、ワインを吸い込んで湿っていた。


 死体の顔はヴィクトリアの方を向いてはいたが、その視線がぶつかり合うことは決してない。今までも、これからも。


 ヴィクトリアと視線を合わせたのは、生者であり王者でもある人物。

 ヴィクトリアから死体を挟んでさらにおよそ三歩の距離。短い階段を上った先、高い位置の床には立派な玉座が据えられている。

 本来であれば王のみが座すことを許されるそこに我が物顔でふんぞり返っているのは、王家主催で行われたこの夜会の主催者であり、この場において最も尊い人物である。

 ヴィクトリアより五歳ほど年嵩の二十代半ば。それでいて大の大人を呑み込むほどの威圧感と威光を備えてるこの国の王太子。


 今しがたドッドソン侯爵の死を「自殺だ」と断定した王太子リチャード・テニエルは、ヴィクトリアの意見を聞き、その整った相貌に薄っすらと冷えた笑み未満の表情を貼り付けた。

 実際はただ普通に腰掛けているだけにも関わらず、なぜかふんぞり返っているように見えるのは、その威圧感のせいだろう。

 王太子はまるで獰猛な獅子が獲物を見定めるかのような視線をヴィクトリアに向け、ゆったりと口を開いた。


「お前はこの私の言葉を否定すると?」


 王太子への恐れはある。

 だが、ヴィクトリアは今感じる余計な感情の全てに蓋をして、問われた内容だけを汲み取った。


「ええ、王太子殿下。不遜ながら、そういうことに。申し遅れました、わたくしヴィクトリア・リデルと申します。以後お見知りおきくださいませ」


 ヴィクトリアの恐れ知らずな返答に、周囲が静かに騒めいた。

 王太子に逆らってはならない、という不文律を犯す憐れな子羊、と呼ぶには少々堂々とし過ぎているヴィクトリアの態度。王太子の口角が片方ほんの僅かではあるものの、持ち上がったような気がする。


「なるほど、お前がリデル伯爵の娘か。本来であれば誰だろうと私の言葉を否定する不敬など許す気はないが、他ならぬヴィクトリア・リデルの言葉だ。ドッドソン侯爵とは血縁でもあったな?」


「わたくしの父であるリデル伯爵の兄、血縁上は伯父にあたります」


「そういうことであれば、親族としての情もあろう。不敬には一旦目を瞑り、ご高説を賜ろうか」


 王太子のその目は、つまらないことを言えば即断罪すると雄弁に語っている。親族の情などという幻想を語る口調には、僅かな情すらも感じることができない。


 だが、望むところだ。

 問答無用で摘まみ出されるか、不愉快だと引っ立てられる可能性もあったが、とにかく王太子の興味を引くことには成功したのだ。

 このような機会はそうそう得られるものではない。

 もちろん何も感じていないわけではないが、王太子の鋭い眼光に怯え引き下がる気も毛頭ない。例え相手が冷酷無情と謳われていようとも、失うものは既にほぼ無きに等しく、欲しいものはこの首すらをも賭ける価値のあるものだ。


「殿下の寛大なるお心に感謝いたします」


 ヴィクトリアは無表情のまま黒いドレスの裾を持ち上げ、背筋は伸ばし膝を軽く折り曲げた。胸元に手を添えて頭は下げない。

 その礼は厳密に言えば、今この瞬間ヴィクトリアの置かれた現状には適ってはいない。しかし王太子はそれに対してどんな反応も示さず、何も言わず特に表情も変えずに受け流した。

 寛容、というわけではないだろう。おそらく無関心からくるものに違いない。


「自殺であれ、他殺であれ、疑問が残る状況です」


 王太子とヴィクトリア、両者の間には既に事切れたドッドソン侯爵の遺体が転がっている。

 厳めしくリデル家を見下し蔑んでいたその顔は苦悶に歪み、その目は大きく見開かれ、喘いだまま固まってしまった口からは白い泡が零れていた。

 そんな無様な遺体の周囲はぽっかりと空いており、見えない壁があるかのように誰もが近付こうとはしていない。遠巻きな視線は怯えたように、あるいはどこかに愉悦を滲ませ、ことの成り行きを固唾を飲んで見守っている。

 その中で、最も分かりやすく口元に愉悦を滲ませた王太子が相槌を打った。


「ほう」


 早々に自殺と断定されたその死は、他でもない王太子の目の前で起こった。衆目の中で。

 ワインは給仕係が運んできたもので、杯を受け取ったドッドソン侯爵はおかしな、例えば自ら毒物を入れる素振りなど一切見せることなくワインを口に含んでいる。

 ヴィクトリアを含め、多くの者が見ている中で。


 毒はあらかじめ混ぜられていたと考えるべきだし、誰もがそれを理解しているだろう。


 夜会の最中、給仕係がトレイに乗せた杯を持って会場を回り、ワインは自由に誰もが取る状況であった。

 同時に多くの者が給仕されたワインを口にしており、それなのに死んだのはただ一人。他に異変をきたしていそうな者は今のところ見当たらない。

 であれば、用意された毒入りワインは恐らくひとつだけ、と考えて良いだろう。


 無差別殺人の可能性は捨てきれないが、今に至るまで犯人による声明も主張も何もない。

 よりにもよって王家主催の夜会でたった一人を殺すだけの無差別殺人に意味があるとは考えにくい。


 考えられるとすれば、そもそもドッドソン侯爵を狙った犯行の可能性。

 特定の人物にあらかじめ毒を混ぜた特定の杯を渡すことは決して不可能ではないだろう。

 という考え方も、できるはずた。


 ヴィクトリアは間違いのないよう慎重に言葉を選び、それを悟られることのないようゆったりと口にした。

 緊張に眩暈を感じながらも、同時に注意深く耳を澄ませる。


「ドッドソン侯爵はその素行から疎まれることが多く、それをご自身でも十分理解されておいででした。屋敷は常に防備を固め、外出時の護りも厚く、毒を警戒し常に毒見役を用意していたほど用心されていた方です。本来であれば給仕の者が運んできたワインなど、このような場であれ決して口を付けません」


「その猜疑心の塊が出されたワインを口にしたのだ。分かっていながら飲んだのなら、それは自殺だろう」


 いいえ。屁理屈をこね倒すのであれば、ある意味では自殺と言えるのかもしれませんが、まぎれもく他殺と呼ぶべき事態です。

 という喉元まで出かかった言葉を、ヴィクトリアは口から出る寸前で呑み込んだ。


 王太子がヴィクトリアのその様子を見て、喉の奥で笑ったのがわかった。

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