ブックワームは本屋に潜る

くれは

グリモワールは知識を食べる

 わたしは慎重にドアを開く。木のドアは重い手応えと共に、開いた。

 部屋の中は暗い。そして、がらんとしているようだった。

 ブックの気配はするから、この部屋は確かにブック領域テリトリーだ。そしてブックは大抵の場合、領域テリトリーを自分好みに飾り付ける。

 だというのにこんなに空っぽなんて──そういう趣味のブックなのだろうか。

 それとも、まだブックになりたてで、育っているところ、とか。


 なんにせよ、本屋ブックストアの中で領域テリトリーを見つけることができたのは幸運だ──わたしがこのブックに負けさえしなければ。

 わたしは一回深呼吸をしてから、部屋の中に踏み入った。


 そしてすぐさま跳ねる。

 部屋に入って一歩目、さっきわたしが足を置いた場所から、火柱が上がっていた。その向こうで、ドアが閉まる。

 領域テリトリーに閉じ込められた。


 あとは、わたしがこの領域テリトリーの主であるブックを従えるか、従えられずに倒れるかの二択というわけだ。

 部屋の中には何もなく、身を隠せるところもない。

 とにかく動き続けて、火柱を避ける。避けながら、部屋の中を見回すが、ブックらしき姿は見えない。

 このままじゃ、いつかあの火柱に包まれることになってしまう。


 火柱はわたしを追いかけてくる。それをかわしながらブックの姿を探すけど、上がる火柱に照らされた部屋は、やはりがらんとしている。それらしき姿はない。

 天井を見上げたりもしたけど、やはり見付からない。

 いや、ここが領域テリトリーなら、必ずブックはいるはずだ。どこかに──ふと、わたしから死角になっている場所があることに気付く。


 わたしはポケットから魔法陣が描かれた護符を取り出す。残りは一枚しかないから、勝負は一回。


 新しい火柱が上がる。

 そこから逃げるフリをして、逆に火柱に突っ込んだ。護符を叩きつけて、火柱の勢いを消して、火柱の向こうに手を伸ばす。

 その手が確かに何かを掴んだ。


「当たり!」


 勢いを失った火柱に突っ込んで、掴まえたそれ・・にのしかかる。

 相手はよく見えなかったけど、わたしより小さいみたいだった。柔らかいから何か生き物の姿をしてるんだろうと思う。

 暴れるのを無理矢理押さえ付けて、右手のひらを押し付けて、叫ぶ。


「我は汝の所有者オーナーなり! 我が呼びかけに応えよブック!」


 光。そこに浮かぶのは誓約の魔法陣。

 そして、その光が収まる頃には、暴れていたブックは大人しくなった。


「はい、我が所有者オーナー


 ふてくされるような声が返ってきて、わたしは驚いた。

 大きな溜息が聞こえて、部屋が明るくなった。

 急な明るさに何度か瞬きをして見下ろせば、そこにいたのは少年の姿をしたブックだった。




 艶やかな黒い髪に真っ黒い瞳。背丈はわたしの胸ほど。

 白いシャツに黒いタイ。サスペンダーに黒い細身のズボン。

 そうやって立っていると、どこか育ちの良いお坊ちゃんという雰囲気。

 それが、わたしが手に入れたブックだった。


「仕方ないから付き合ってやるけど、中途半端なやつなら、見捨てるからな」


 わたしが所有者オーナーだというのに、そのブックは生意気にも偉そうな口調でそう言った。


「それはこっちのセリフ。あなたみたいなおチビさん、役に立たないなら売り飛ばすからね」


 わたしが所有者オーナーになったことで、彼は領域テリトリーを消して、わたしに付いてくることになった。

 それで護符の在庫もなくなったことだし、と、一度本屋ブックストアを出て街に戻ることにした。

 その道中、ブックはずっと偉そうにわたしに文句を言っていた。


「ふん。俺が役に立たないなんて、節穴も良いところだ。お前なんかに俺が使いこなせるもんか」

「使いこなすほどの実力があなたにあるならね」

「だいたい、女が所有者オーナーだなんて!」

「これでもそこらの男よりは腕は良いんだからね」


 どうにも、相性が悪いのかもしれない。

 もしそうなら、本当に売ってしまって、誰か他の相性が良い人のところに行った方が、このブックも幸せかもしれない。


 そんなことを思っていたのだけれど、街の人混みになったら、不意に態度を変えた。

 街を行き交う人たちを見回して、急に心細そうな顔をして、それからわたしの手をそっと握ってきたのだ。


「人が多くてはぐれると面倒だからな。手を繋いでおいてやる」


 思わず吹き出すと、ブックは赤い顔をしてわたしを睨みあげた。

 ブックだというのに、その手は不思議と温かかった。




 きょろきょろと街並みを見回すブックを連れて、馴染みの護符屋に入る。


「やあ、お帰り……っと、初めまして、おチビさん」


 護符屋の店主はブックに対してもいつも通りにこやかに応じた。

 背が高いから、わざわざ腰を曲げてブックに目線を合わせて挨拶したのだ。


 ブックはぽかんと口を開けて、店主を見上げていて、返事もしない。

 店主は返事がないことを気にもせず、背中をまっすぐにしてわたしを見下ろした。この人は本当に背が高い。


「この子は?」

ブック。今回の戦利品」

「人型なんて、珍しいね」

「でしょ。動物の姿は今まで見たこともあったけど。それにやたらと自我がはっきりしてて、すごく喋るんだよね、この子」

「そうなの? へええ、よろしくね」


 店主はブックの艶やかな黒髪にぽんと手を置いた。

 ブックは唇を尖らせて、その手をぱんと払った。


「俺の背が低いからって、侮るなよ!」


 店主はびっくりした顔をしたけど、すぐにふふっと笑った。


「それは失礼。侮ったつもりはなかったんだけど」


 店主はまたわたしを見る。


「どうするの、この子。人型は珍しいから、高く売れるだろうけど」


 ぎゅ、とわたしの手を握る手に力がこもる。

 それからブックは一歩踏み出して、店主に向かって指を突きつけた。


「俺を売るなんて、そんなことあるわけないだろ!」


 その勢いで、ブックはくるりとわたしの方を向いて、今度はわたしに指を突きつける。


「俺の所有者オーナーだなんて幸運なんだからな! 手放すなんて馬鹿なことなんだぞ!」

「わかった、わかったから。まだ売るとは言ってないじゃない。ともかく、もう一度本屋ブックストアに行って、あなたの力を知ってから考えることにする」

「俺の力を知ったら、俺を手放すなんてできなくなるからな!」

「そうなんだ、楽しみにしてる」


 ふん、とブックはそっぽを向いたけど、わたしの手を離そうとはしなかった。


 わたしは店主からいつもの護符を買い取って、ブックを連れて店を後にした。





 さて。わたしの部屋には、ベッドが一つしかない。

 狭い部屋だ。ベッド以外だと床に寝転がるしかない。


 部屋の中をきょろきょろと見回しているブックを見て、まあ、この大きさなら大丈夫か、と二人でベッドに寝ることにした。

 そしたら、なぜか真っ赤な顔で怒られた。


「馬鹿か! 仮にも女が、仮にも男の姿をした俺と同じベッドとか!」

「男ったって子供じゃない」

「子供じゃない! 男だ! 慎みを持て!」

ブックに慎みとかいう感覚あったんだ」

「感心するな! 俺は別に眠る必要はない。だからベッドにも入らない!」


 ぷい、とそっぽを向くブックの顔を覗き込む。


「でも、人間の睡眠と同じじゃないにしても、ブックだって休むのは知ってるよ。これでも過去にいろんなブック所有者オーナーになってきたんだからね、わたし」


 ブックは赤い顔でしばらくわたしを睨んでいたけど、やがて諦めたようにベッドに入ってきた。

 最初はベッドの端っこでぶつぶつ言っていたのに、やがて眠りに落ちたスリープしたらしい。わたしの手を握って、静かになった。

 その寝顔は、なんだか可愛らしく見えた。




 翌日にはブックを連れて、また本屋ブックストアに入る。

 本屋ブックストアは不思議なところで、しょっちゅうその構造を変える。なんでも、昔々の大魔道士がとんでもない知識を封じ込めるために作ったダンジョンなのだそうだ。

 その知識を守るため、構造を変えて侵入者を惑わせる。

 それだけじゃない。封じられたたくさんの知識は自我と形を持ち、自らを守る。それがブックだ。

 様々なブックは、その内側に知識という宝物を持っている。

 その宝物を探しに行くわたしたちのような人間は、探索者ブックワームと呼ばれている。

 一攫千金を狙って、いろんな人がブックを探しにきている。わたしもその一人。




 ブックと並んで、無機質な廊下を歩く。

 他のブック領域テリトリーを見つけられたら幸運だと思うけど、二日続けてそこまでの幸運は期待できない。

 今日は収穫なしかもしれない、せめて虫くらいのブックでも見つかれば、なんて思いながら歩いていた。

 隣のブックは、顔色も変えずに歩いている。


「あなたは、何ができるの?」


 問いかけに、ブックは足を止めてわたしを見上げた。


「火を出すことができる」

「そうだね、昨日も火を出してたもんね。他には?」

「……」


 ブックは、唇を曲げて黙り込んだ。

 首を傾けて言葉を待っていると、やがて小さな声が聞こえた。


「何も……今は、まだ」


 つまり、火を出すことしかできないってことらしい。本人はどうやらそれを気にしているんだろう。

 わたしは苦笑して、慰めることにした。


「そんなに気にしなくても。火だけでも、まあまあ大変だったよ、昨日は」

「別に気にしてない! それに俺のページは白紙ばっかりだけど、その分成長性はすごいんだぞ!」

「はいはい、そうだね。そのうちにわたしも背丈超されちゃうかな」

「あ! 信じてないだろ! お前の背丈なんか、すぐに超えてやるんだからな!」


 ブックは顔を赤くして、また歩き出した。わたしもそれを追いかける。

 そして、次の角を曲がったところで、足を止める。

 そこに、重たそうな大きなドアがあったからだ。




 この領域テリトリーにいるのはどんなブックか。

 重いドアを開くと、冷たい空気が吹き出してきた。


 隣のブックは、ふん、と鼻を鳴らしてずかずかと中に踏み込んでゆく。

 もうちょっと慎重に進んで欲しいのだけど、と思いつつ、わたしもそれを追いかける。


 ドアがしまって、わたしたちは領域テリトリーに閉じ込められる。

 凍える冷気。凍りついた森。地面も、木々も、その間に見える生き物まで、全てが凍りついている。

 吐き出す息が白い。吸い込む空気が痛い。

 急いでこの領域テリトリーブックをなんとかしないと、わたしの体が持たない。


 隣のブックは冷たいのも平気なのか、つんと顔をあげて森の中を進んでゆく。


「この寒さは人間の体には酷なんだろ?」


 ちらりとわたしを振り向いて、その手に炎を躍らせた。


「ありがとう。気が効くんだね。それに、こういう時に火が使えるなんてぴったりだ」

「俺の力はこんなもんじゃないからな」

「はいはい、本当の力を楽しみにしてるから」


 炎の熱が、わたしの体をわずかに温める。でも、近付き過ぎればその熱はわたしを傷つける。少し距離を置いて、わたしはその炎に付いてゆく形になった。


 そのまま木々の間を進んでゆく。この領域テリトリーブックはどんな姿か、どこにいるのか、早く見付けたい。

 と、木々の向こうに大きな氷の塊が見えた。

 行く先を塞ぐような氷の塊だ。一体何が凍ったのかと思ったのだけれど、それがこの領域テリトリーブックだった。


 見上げるほどに大きな氷の塊から、氷の枝が生える。その枝が、こちらに向かって伸びてくる。


「馬鹿にするな!」


 隣のブックが、炎を躍らせていた手のひらを薙ぐと、こちらに伸びてきた枝は溶けて消えた。

 けれど、枝は次々伸びてくる。


「こんなもの!」


 隣のブックがくるりと手を回せば、わたしたちの周囲を炎の壁が取り囲む。

 氷の枝はその壁の内側には入れない。けれど、炎の壁の外側を、枝がびっしりと覆ってしまった。

 わたしたちは氷の中に閉じ込められた。


「なんとかしないと。このままだと、閉じ込められたまま、この領域テリトリーに取り込まれちゃう」


 炎の壁に囲まれた状態で、わたしは打開策を考える。


「お前はあの氷の所有者オーナーになれるか?」

「近付けるなら、ね。ただし、多分あの氷の中に本体があるんだと思う。その本体に近付かないといけないから」

「あの氷の塊を掘り進めれば良いんだな」

「できるの?」


 隣のブックは、できる、とは即答しなかった。

 黒い瞳を伏せて、少し考える。


「できるかどうかで言えば、できる。ただし、ここを守りながらは無理だ」

「護符でしばらく持たせることはできると思う。あとは、この寒さにわたし自身がどれだけ耐えられるか、かな」

「それなら、耐えてみろ。お前は俺の所有者オーナーだろ?」


 挑戦的な瞳で見上げられた。

 わたしは余裕なフリで笑みを返す。


「わかった、任せて。あなたが炎で道を作ってくれたら、わたしはそこに突っ込んで、この氷の奴の所有者オーナーになってみせる」

「俺は全力をあの氷を掘り進めることに使う。絶対に本体を見付けてみせる。だから安心して俺の炎に続け」

「ありがとう」


 ポケットから持っているだけの護符を出す。


 ブックは炎の壁を決して、集めた炎で大きな槍を作った。

 その間に近付いてくる氷の枝に護符を叩き込む。


「このまま突撃するぞ!」

「オーケー!」


 ブックの声に応えて、炎の槍が氷の塊を溶かしながら進むのを追いかける。

 わたしたちを搦め捕ろうとする氷の枝に護符を叩き込みながら、わたしは走る。ちらと横目で見れば、ブックは氷の枝に呑まれそうになっていた。

 炎の槍もどんどん小さくなってゆく。


 間に合って。

 本体が見つかれば。


 氷の塊を掘り進めて、やがて炎の槍がしゅんと消え、護符もなくなって、氷の枝が足に絡みついて、それでも伸ばした手が、柔らかいものに触れた。

 真っ白い、うさぎ。目だけが赤く、その体は冷たい。


 これが本体だ!


「我は汝の所有者オーナーなり! 我が呼びかけに応えよブック!」




 白いうさぎのブックはわたしの腕の中に収まった。

 背後を振り返れば、ぱりん、と高い音がして、縦横無尽に伸びていた氷の枝が砕け散った。

 氷の枝に飲み込まれていたブックは、地面に膝を付いて、首を振った。きらきらと、砕けた氷が周囲にばらまかれて輝く。


「大丈夫?」


 わたしの問いかけに、ブックは不本意そうな顔でわたしを睨みあげた。


「大丈夫に決まってる! このくらいなんともない!」


 そして立ち上がってつかつかとわたしの前までやってくると、わたしの腕の中に収まった白うさぎに触れる。


「何をするの?」

「食べるんだ」

「食べるって……だって、ブックでしょ、この子」

「だからだよ。良いから黙ってろ」


 黒髪のブックは、白いうさぎに手を触れたまま、真面目な顔をする。

 ほわり、とその手が光る。


「お前の知識、俺のページとなれ」


 手の光は全身に映って、黒い髪がふわりと揺れた。

 それは一瞬。すぐに光は収まった。


「どういうこと……?」


 ブックが食べるなんて聞いたことがない。

 今の光は何?

 知識がページになるってどういうこと?


 ぽかんとしていたら、目の前に立っているブックは生意気そうな顔でわたしを見上げた。


「俺の名前はグリモワール。今の俺のページは白紙だらけだけど、こうして知識を集めて、いずれ大魔道書になるブックだ。俺の所有者オーナーになれた幸運に、感謝すると良い」


 グリモワール。それがこのブックの名前。

 もしかしたらこのブックは、何か特別なものなのかも。

 そんなことに今更気付いて、呆然とする。


 目の前でグリモワールを名乗るブックが、自分の頭に手のひらを当てた。


「今ので身長も少し伸びたぞ」


 特別なブック。グリモワール。

 でもその言動は相変わらずで、わたしは思わず笑ってしまった。


「そう? わたしには変わってるように見えないけど」

「見てろよ! お前の背丈を追い越すなんて、すぐだからな!」




 それが、探索者ブックワームのわたしとブックのグリモワールの、とんでもない冒険の始まりだったのだ。




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