純文学というのはある種の人以外にとっては決して褒め言葉ではない。

純文学とは何か、という問いにさらさらと答えられる人はそれほど多くないと思う。
大方の人は「純」粋な文学か何かだろうと勝手にエライものと思うか、へ、スカしやがってと敬遠するかのどちらかに分かれるのではないか。

私の記憶が確かなら(確かでないことのほうが多いことは念頭におかれたし)、純文学とは美文をもってしてその技だけで読ませるものを定義した言葉だったかと思われる。
おそらく対義語となるのは大衆文学なのだが、大衆文学というのが純文学の対義語として生まれたという経緯があるのでややこしい。

ところで由来や本来の定義はさておくとして、実作者の実感としては

いわゆる文学的なもの

を書くこと、そうして書かれたものが純文学である、と考えがちである。いまはもう大御所であろう、元コピーライターのなんかルンルンしてるおばさまなどですら、そのような勘違いをしてたという逸話があるぐらいで我々アマチュアからしたら致し方ないところかもしれない。

しかし、だからといって安易に「純文学です」などと銘打たれて少女漫画の翻案みたいのや、なんかジャンルよくわからないし格好いいから純文学とかいっとけ、みたいな作品を目にすると、愕然とはしないものの(これまでも散々そんなのは目にしてきた)、またかやれやれ、と僕は射精した(してない。してないってば)。

おそらくこんなものを書いても読む人も少ないだろうし(読んでも数行で投げ出してるだろう)、書かれた作者も困るだろうが、どうしても書かなくてはいけない前書きだったのである。

なぜか?

勿論、私の読んだものなど、この無数のカクヨムの中では微々たるものだろうが、それでも「ああ、これは良い純文学を読んだ」と思えた作者はいまのところ猿川さんしかいない。

尤も、純文学サイコーイエー! なんていう年齢でもないので(私は基本的に純文学は「若者のもの」だと考えています)、傑作や面白い物が氷山の一角に触れただけでもあるのもわかっていますが。
それでも。
安易に、あるいは迂闊に「純文学でーす」などと書けてしまう作者にはこの作品でも読んで少しは反省していただきたいものだと考えております。

入門編というか、もっと深いところまでいってる作品もあるぜ! と思うし、全てが傑作だとも思ってはおりませんが。