第44話 Frontline(最前線)

いつまでそうしていたのだろうか……否、いつまでもそうしていたかったのだろう、マルスとノヴァがどちらからともなく、体を離した。


「ノヴァ。しばらくのお別れです。正直、貴女を戦いの場に見送るのはあまりにも辛いのですが……私は教えられました。良い協力者を……いえ、本当に良い協力者を見つけましたね、ノヴァ」

「うん、お兄ちゃんもお姉ちゃんもせきなさんも、凄く優しいよ」

「お兄ちゃん……お姉ちゃん? ノヴァ、貴女まさか……いえ……違いましたか」

「?」


何故かその時彦善はマルスに見られたような気がしたが、意味は分からなかった。


「ノヴァ……その『レシピ』は危険な力です。決して、急進派には渡さないで。分かってますね」

「うん……」


神妙な空気に、尋ねたのは夕映だった。


「おいおいまだ何かあるのか?」

「あ……その、えっと……」

「……実は、ノヴァと私にはとある『万能ナノマシンを変質させるレシピ』があるのです。護身用に私が開発したのですが、悪用の可能性があるのです」

「万能なのにレシピなんて要るのか?」

「万能だからこそ、です。万能であるがゆえに、あらゆる失敗が出来てしまう。より洗練された機能には、道標みちしるべとなる『レシピ』が不可欠なのですよ」

「はぁー」

「料理みたいなもんだね。卵を知らずにケーキを作ろうとしても、ありとあらゆる卵抜きケーキからスタートしたら大変だろ?」

「あ、すごい理解した……で、そのレシピってのは?」

「それは……」


「『人間の脳に干渉するレシピ』」


別の声が、場に響いた。


「アリス?」

「いや……」


黒を基調にした巫女服を纏い、覗くインナーも黒、そして何よりも、食事会の時には無かった邪悪な笑み。


「くっ、本当にごめんなさい、ノヴァ! 生き延びて!」


マルスが叫び、セバスチャンの体が転がった。


「逃げられました」

「無能」

「申し訳ありません」


アリスの身体を操る『誰か』は黒いセバスチャンを従えて、コツコツと足音を立てて歩み寄る。


「どいて」


その言葉に全員が道を空けると、アリスが向かったのはその先の自販機。

右掌をカードの読み取り口にかざすと、自販機はガラガラと大量のペットボトルを吐き出した。


「堂々と窃盗とは恐れ入るね」

「私はヴァンシップ。人間の法律は適用されない」

「ヴァンシップ、ってお前……!」

「そう。もうこの体は、私の制御下。改めて私は、日本国旗下きか、アーク番号005『天照』の『子機』、八咫。……よしなに、よろしく」


アリスの身体でそう言いながらスポーツドリンクを手に取りその飲み口をねじると、引きちぎる音とともに中身がこぼれた。

それを一気に飲み干すと、首のあたりから伸びた黒い何か――変質した首輪が牙を作り、空のペットボトルをがぶりと飲み込む。その一連のアピールを見て、彦善達はアリスの身体がどの程度無事なのかを、考えさせられてしまう。


「約束の時間には早くないかい?」

「問題ないはず。それに、少し想定外のことが起きた。来て」

「どこへ?」

「ついて来ればわかる。それとも、ここで戦いたい?」


苛立ちと怒りの混ざった笑みを浮かべ、右手で自販機を掴むアリスの身体。軋むような音とともに自販機が歪むのを見て、


「分かったよ、ついて行こう」


ため息とともに、せきなが言った。


「賢明」


――そうして、八咫に促されて彦善たちは場を離れ、そのまま河川敷沿いの歩道を進む。するとその途中には、黒いマントにフードで全身を隠した人影が、道に沿って点在していた。


「あれは?」

「演技は無駄。しらばっくれないで」

「は? いや何もしらばっくれてなんて」

「陳腐」

「本当なんだけど……」


彦善の弁明を一切聞かずに八咫は河川敷を進み、黒マント達はその後ろからついて来る。

日の傾き始める中、その異様な空気に周りにいた人々は逃げるように去り、いつしか八咫を先頭に黒い人影がぞろぞろと、彦善たちを挟むように進む。

そしていよいよ約束の場所――河川敷のグラウンドに到着した時、苛立ったように八咫が言った。


「で、これは誰? どういう連中?」

「……いやだからさ、知らないって」


黒マント達は言葉を発するわけでもなく、大きな円を作っていた。彦善たちは囲まれている状態ではあるものの周りからの敵意は無く、むしろ黒マントたちの中には祈るように手を組む者がいる。


「意味不明。じゃあ今ここで……」


その時だった。

曇天で薄暗い夕暮れの河川敷グラウンドの上空に、『蒼い光』が灯る。


「聖母様だ!」


誰かが叫ぶと、そこから反応が連鎖した。


「聖母様……」「聖母様!」「おお、聖母様……」「せいぼさま!」「聖母様ぁ!」


老若男女あらゆるパターンの、喝采に似た礼賛。それを一身に受けるのは、修道女の服装で空中に浮かび、頭の後ろに後光ハイロウを備えた女性だった。


「あの人、駅前にいた……」

「知ってるのかい、彦善くん」

「一回会っただけですけど……駅前で、マルス教に勧誘されました」

「マルス教かよ……ってかアレ、配信者の『マル子』じゃん! ゴザルマンの配信で見たぞ!」


その叫びに、ざっ、と黒マント達の視線が夕映に向く。


「ひっ」


その異様な雰囲気に思わず彦善にしがみついた夕映を、彦善は庇うようにしながら周りを警戒した。


「良いのです。かしずきなさい」


天から響いたその声に、一糸乱れぬ動きで右膝をつく黒マント達。

完全に場を異様な空気が支配して、そこに降り立った修道服の女性は、穏やかな笑みを浮かべて彦善たちに頭を下げた。


「はじめまして……が、ほとんどのようですね。ふふ、そちらの方は面白い出会いでしたが……八咫。貴女とはいつぶりでしたかね?」

「……何しに来た、『ニュート』」

「漁夫の利を……」


そこまで言った瞬間、『何か』が彼女の眼前で火花を散らして弾けた。


「……得ようなどと考えてはいませんよ。いささか判断が早すぎるのでは?」

「ちっ」

「しかもこのような状況で」


その一言で、場の雰囲気が一気に変わる。

一触即発とは言わないまでも、火種1つで殺し合いになることを嫌でも理解させる空気の味に、


「何しに来たの?」


ノヴァが、口を挟んだ。


「……失礼。改めてはじめまして、ノヴァ。私は合衆国旗下きか、アーク番号008『アズラーイール』の『子機』、ニュート。以後お見知りおきを」

「私は無所属、アーク番号000『マルス』の『子機』……ノヴァ、だよ」

「ふふ、やわらかい」

「え?」


一瞬ですら、無かった。

彦善も夕映もせきなもノヴァも、そして八咫さえも、理解が追いつかない現実。


「触らないで!」



音一つ無く、蒼く光るハイロウの残像すら残さず、ニュートが移動していた。

その衝撃に驚愕しつつも、恐怖と困惑が混ざったノヴァの腕にはマントが引っかかり、その様子を見てニュートはクスクスと笑う。


「本当に可愛らしい……一番『高み』に近いのに、それを拒否する顔。貴女とはまた違って魅力的ですね、八咫」

「っ……何が言いたい」

「こちらの話です。さて戦いの熱も抜けたところですし、少し私の話を聞いてもらえますか? 皆様」

「……なかなか衝撃的なご登場だけど、時間が迫っててね。手短に頼むよ」

「なるほど、では単刀直入に。貴女たち、『マルス教』に入信しませんか?」


その言葉と同時、周りを囲む黒マントたちがいきなり立ち上がり、その手を拍手する寸前の姿勢で止めた。


「……いや何でスタンバイしてんだよ。はい入信しますってなるわけないだろ」


思わずそう夕映が呟いた瞬間、また一糸乱れぬ動きで驚いたようにのけぞる黒マント達。


「だから何なんだよお前らはさぁ」

「ここに居るのは、ともに『高み』を目指す同胞はらからたちですよ」

「鬱陶しい。横槍を入れて何がしたいの」

「おや、貴女たちが今ここで矛を収め、我々の仲間になればそれで『決闘』は終わりのはずです。それもまた戦いポリオの平和的終焉ですよ?」

「理解はする。でも拒否する」

「拒否して、どうなります?」

「?」

「貴女たちが決闘する。そして残るのは私と、消耗した勝者。本当にそれが貴女の望みですか? 八咫」

「ちっ……」


またしても、じわりと空気が重くなる。

しかしそこへ、一つの足音。


「……別に、問題ないんじゃないかな」


上がった声は、彦善のものだった。


「まだ約束は出来ないけど、正直あんたらに興味が湧いたよ。この戦いが終わったら、マルス教の話くらいは聞きたいな、僕は。せっかくそこのニュートさんに誘って貰ったしね」


その言葉に周りから拍手が巻き起こり、口々に


『流石従者様……』『聡明ですわ!』『やはり我々の思いが通じたのだ!』『喜ばしい! 実に喜ばしい!』


などと、気味の悪い反応が返る。


「なるほど。矛を収める気は?」

「僕には無いね。僕らは、そこの八咫が操ってる人間の方に、用事がある。助けるって重要な用事がね。だから……」

「……くふっ!」

「は?」


それは、笑いだった。

突然ニュートがこぼした笑いに、彦善が訝しがる視線を向ける。


「いえ、失礼。しかしこれはより一層、お話を聞いていただく必要がありますね」

「邪魔する気?」


八咫が機械の爪を伸ばし、牽制する。


「いえまさか。大事な同胞に何かあっては一大事。下がって見守りますよ」


ぞろぞろと黒マントの信者達は、グラウンドの隅へと広がっていった。残された八咫と彦善たちは、いよいよ始まる戦いを前にして対峙する。


「……変な邪魔が入ったけど、あと二分で時間。ノヴァ、容赦はしない」

「私も、貴女を止める。きっと貴女もしたいことがあるんだろうけど、貴女のしてることは許されることじゃない」

「ああ、これですか」


こめかみを指さして、八咫は言った。


「契約者なんて、人間なんてこの『使い方』がベスト。いずれ私が勝ち上がったら、ちゃんとした使い方をみんなに教えてあげる。私が作ったこの『人間を正しく使うためのレシピ』を」

「……最低だね」

「意見の不一致です」


ノヴァと八咫が語る間に、つんつんと彦善の背がつつかれる。

首だけで振り返ると、せきながグーサインをして夕映と一緒に身体を潜めていた。


「良くやってくれたよ、本当にありがとう。まさかマルス教がこんなのだとはね……でもおかげで、僕らの安全度がちょっと上がったかな」

「わたし達は下がるけど、彦善も……」

「考えがあるんだ。二人は下がってて」

「……そう言うと思ったよバカヒコヨシ」

「ごめん……」

「安心して勝手に死ねバカ。でも忘れるなよ、わたしもついて行くからな」


そう言って、夕映はニュートの対角線上の端へ向かった。


「……あれも一種のツンデレなのかなあ」

「絶対に違うと思います」

「そっかあ。でも死ねないだろ? キミならできるさ、頑張ってね、ヒーローくん」

「ヒーロー……?」


せきなも夕映を追うように走り、グラウンドの中央には八咫とノヴァが対峙して、互いの少し後ろに黒いセバスチャンと、白いセバスチャンを抱えた彦善が立つ。


「……はっ、な、何故私はスリープモードに?」

「起きた? 戦いが始まるよ」

「おお、申し訳ありません、不覚です」


白いセバスチャンが本人の意識を取り戻した瞬間、6時を迎えた河川敷グラウンドに、明かりが灯る。


「「――始め!!」」


次の瞬間、黒マントたちが喝采を上げた。

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