第34話 Wish upon a star(星に願いを)

 彦善たちが見慣れた町の西に、ゆっくりと赤い夕陽が沈んでいく。


 あの後――人間を頭から解体する映像を見てしまった後、気分を悪くした夕映は横になり、せきなが触るパソコン以外を全てオフラインにして、あまりにも重い無言の中、全員が交代で睡眠を取り……今起きているのは彦善とせきなのみだった。

 一応部屋の隅にセバスチャンが転がっているが、起床を告げるアラーム以外の機能は発揮していない。ちなみに部屋の鍵は返却して靴を隠し、明日までの安全は一応、保証されている。


「飲むかい?」

「あ……どうも」


 そんな中、扉に背中を預けていた彦善に、せきながコーヒーカップを渡す。

 濃く作られたそれは強く眠気を覚まして、彦善の目に活気が戻った。


「……いくつか、質問良いかな」

「何ですか?」

「君さ、何者なんだい?」

「……」


 彦善が目をやる先には、机に突っ伏して寝息をたてる夕映。


「ただの、高校生ですよ。親が海外にいて、あいつの……夕映の幼馴染です」

「ふーん。でもあの子、アメリカ育ちだよ?」

「僕も外国育ちですから」

「でも、産まれはビスティスタン連邦だろ?」


 その言葉に、彦善の持つカップが揺れた。


「……ですね」

「大人をナメちゃダメだよ少年。社会のお勉強をしてりゃ、あの国が5年前まで存在してなかったのなんて常識だし……ビスティスタン20の国の連邦が、どんな内乱の果てに成立したかも知らないわけじゃない。まぁあの国産まれの君からしたら、あの国を本当の意味で『知ってる』人間なんて、そうはいないだろうがね」


 彦善の視線はコーヒーカップの中に注がれて、そこにはコーヒーがわずかな波紋を立てて揺れているだけだ。

 けれどその耳には銃声と、硝煙や瓦礫の匂いと、大人たちの声の混じり合う『思い出』が、リピートしている。


……だったんだろ?」

「はい」


 少年兵。

 言うまでもなくそれは、戦乱の国の大人達によって、幼い頃から戦争の道具として育てられた兵士を指す。

 今、こうして日本で暮らす彦善は、傍目にはどれほど普通に見えても、マシンガンの重さを、弾薬の冷たさを、スナイパーライフルの質感を、ナイフの切れ味を、防弾チョッキの息苦しさを、ヘルメットの硬さを、


「ビスティスタン連邦は成立の過程で順々に国が併合されたけど、君は『最初の方』だったんだねぇ」

「運が良かったんですよ、僕は」


 そう言いながら彦善は自分の荷物に近寄り、ファスナーを開けて、中からナイフを取り出す。

 そしてそれを壁の掲示物に向かって投げ、『節電』のポスターの上部分にがきん、と当たって落ちる。

 数メートルの距離をものともせず、ナイフを投げて直撃させたのだ。


「腕は錆びてないわけだ」

「昔はこれを、人間相手にやってましたけどね」

「……キミが悪いんじゃないさ」

「同じことを、父さんと母さんに言われましたよ」

「どう思った?」

「多分そうなんでしょうね。僕も、僕と一緒に戦ったみんなの中にも、悪いやつなんて一人もいなかった。でも……僕らはあんなところに、いちゃいけなかった。

 何が正しいかなんて分かりませんけど、もしもマンガみたいに不思議なドアで僕らがこの国に一度でも来られたら、多分僕らは……でも、そんな夢の道具なんてありませんでしたよ」

「君のご両親が、君を……いや、君だけを連れ出せた理由、聞いても良いかな」

「爆発が起きたときに、僕だけが地下室にいたから。それだけですよ。難民は保護、それが両親の活動のモットーですし」

「そうか」

「はい」


 彦善は一息でコーヒーを飲み干して、その瞳は相変わらず変わらない。


「じゃあさ、教えてくれないか。君はこの戦い……明日の決闘を、どうしたい?」

「さっきまでは、ノヴァが無事ならそれで良かったんです」

「うん」

「でも今は……引き分けにしないと、ダメなんだって、わかりました。ノヴァと夕映にも、そう伝えるつもりです」

「勝つ、とは言わないんだね」

「……あなたも、意外と知らないんですか?」

「何をだい?」

「いや……」


 夕闇に目を見開いて、せきなを見据えた彦善が告げる。


「何かに勝ったところで、何も平和になんてなりませんよ。だって、あの頃『僕ら』は……間違いなく、


 その言葉は、亡霊が発したかのように暗く冷たい。


「……勉強になったよ」

「なんだ、喋っちゃったんだな」

「夕映」


 するとそこへ、いつの間にか目を覚ました夕映が来た。


「……せきなさん、このことは秘密にして貰えませんか」

「何言ってんだい、言いふらすわけないだろ。……でもごめんね、キミ達だけの秘密を知っちゃって。責任取って、キミ達も全力で守るからさ」

「……ありがとうございます」


 窓の外には星が瞬き始め、町は夜へ変わっていく。

 覚悟を決めた2人をまるで気にせず、世界はいつも通り回転を続けていた。

 

 ――そして同じ頃、同じ星空の下、一つの魔の手が、アリスに迫っていた。


「すいません、体調が優れないとはいえ、夜まで寝てしまうなんて」

「いえいえ、お気遣いなく。お医者様もありがとうございました」

「気にするな、サービスだ。まだ予後不良が起きないか気になるんだが……」

「いえ、もう結構です。ありがとうございました」

「……そうか」


 神社の離れに現れた八咫は、なんの冗談か、白衣をまとっていた。

 そしてまるで医者であるかのようにアリスの脈や体温を測り、


「異常はありませんね」


 と、結論を出す。


「例のものをお渡しして」

「で、ではこちらが謝礼になります」


 怯えた様子で、初老の男性が女医に厚い封筒を渡した。まるで従者のようにアンドロイドに従うその男がこの町の警察署署長であることをその女医は知っているが、当然態度には出さず、封筒を懐に入れる。


「ではこれより、アリス様には軽い特訓に付き合っていただきます」


 八咫のその言葉に緊張が走るが、もはや逆らう手段はなく、女医は大人しく離れを出て、何故かその後にアリスたちも続いた。


「迎えの車は?」

「断らせて頂いた。歩いて帰るからな。では失礼」

「失礼」


 アリスを気にしつつ女医が歩き去って、未だパジャマ姿のアリスはやってきた車に乗せられる。

 無言で発進した車には、サングラスをかけた黒いスーツの運転手と、何故か白衣を羽織った八咫とパジャマ姿のアリスだけだ。


「あの、お祖父様は……」

「別の仕事」

「そ、そうですか」


 そこでふと、アリスは気づく。

 豪華な車の内装にそぐわない……異臭。

 血なまぐさい、と表現すべきそれをまだ判断できず、わずかにアリスの身体が硬直した。


「安心しましたか?」

「えっ?」

「田中武蔵と、距離を置く事ができて、安心しましたか?」


 セバスチャンの問いの裏に、何故か暗い雰囲気が籠もる。


「いいえ……あの、おっしゃる意味が分かりません。何故私がお祖父様と……」

「あの薬」


 八咫の声に、アリスが言葉を失った。


「お手持ちのモノは全て処分しておきました。筋力増強作用、覚醒作用、依存性、血行増進作用、多幸感……粗悪極まりない脱法スマートドラッグでしたね。トモトギセキナはそれを看破し、一日かけて解毒を行いました」

「あの個体は優秀だった。でもだからこそ、邪魔だった。カエサル……あの個体のように、自分から薬漬けになれば、もっと手間が省けたのに」

「ひっ……ぁ……」


 既にアリスの腕はがっちりと掴まれ、ドアにはロックがかかっている。

 逃げられない、と悟った獲物に許されるのは、歯を鳴らして震えることだけだ。

 じゃらっ、と見せつけるように色とりどりの錠剤を手のひらに広げた八咫は、唇を強く閉じたアリスに微笑んで、


「安心して」


 ぐしゃりと、全てを粉にした。


「え?」

「貴女には、こっち」


 言葉と同時に呆けたアリスの顔が白い狐の面で隠れ、その全身から一瞬だけ力が抜ける。けれどそれも、


「あっ、ぇ、あぎっ、あ、あ、あああああ嗚呼ァ゛ああああああ!!」


 狐面の裏から伸びたナノレベルのコードが、アリスの肌に接続されるまでだった。

 ばたばたと暴れる彼女を気にも留めず、拒否反応が収まるのを待ち、動きが止まれば万能ナノマシンで服を作る。

 パジャマは色を変え、厚みを増して、肌に張り付くような硬質かつしなやかな素材へと変化し、それは狐面を無視すれば、まるで近未来的な白のライダースーツのようだった。


「アリス。答えなさい。気分はどうですか?」

「はい。問題――あり、ませ、ん」

「ふむ、出来は悪くありませんが、まだ馴染んでないようですね」


操り人形と化したアリスはうなだれたまま腕や足をぴくぴくと動かすが、そこに彼女の意志は残っておらず、ただの『道具』がそこにある。


「問題ない。この後の特訓で、慣らす」

「かしこまりました」


(たす……け……て……)


 それでも僅かに残るアリスの意識は、仮面に隠された無表情の奥で、未だ助けを求め続けていた。


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