うちのパン屋が襲撃される

 うちのパン屋に強盗が押し入った。


 あれは、暑くも寒くもない、よく晴れた日の昼過ぎだったと思う。

 ちょうど客足も絶える時間帯で、夕方の分のパンを焼こうかな、という頃だった。


 ジーパンに黒いジャンパー、サングラスにマスクという、いかにも怪しい格好の男二人組が、大きなスポーツバッグを提げて入店してきた。たたでさえ狭い店内が、さらに窮屈になったように感じた。


 入ってくるなり、男の一人が「パンを寄越せ」と言ってきた。


 その雰囲気から、金を出してパンを買おうという客ではなさそうだった。二人とも武器らしきものは持っていなかったが、逆らったら痛い目に遭うことはほぼ間違いないように思われた。

 それで私はもうさっさと諦めて、好きなのを持っていけ、と言った。


 するとなぜか、もう一人の男が、バッグを持っていない空いた方の手を拳骨にして私の頬を殴ってきた。不意を打たれ、私は後ろの棚まで吹っ飛び、そのまま床に崩れ落ちた。幸い、その時棚には大したものは置いておらず、空のボールが音を立てて落ちただけで済んだ。


 ほとんど反射的に、何をするんです、と私が言うと、男はさっきと同じ調子で「パンを寄越せ」と言うだけだった。


 私は頬を押さえて立ち上がりながら、だから、店にあるパンを好きなだけ持っていってくださいよ、と言った。


 すると、またもう一人の男が拳骨を食らわしてきた。それは頬を押さえていた手の甲に当たり、頬は守られ、再び倒れるのは免れたが、掌の骨に染みるような痛みに襲われた。



 こいつらは一体何がしたいのだろう? パンを寄越せと言うから、持っていけと言っているのに、そうすると殴られる。


 そのときふと、もしかしてこいつらは村上春樹のファンか何かなんじゃないか、という思い付きが頭をよぎった。


 私は村上春樹が大嫌いである。その理由は、パン屋を襲撃する作品なんか書いているからだ。あの話でも、パン屋の店主は強盗に対してパンをくれてやると言ったが、強盗は納得しなかった。パン屋が「タダでくれてやる代わりにお前らを呪ってやる」と言ったのが気に食わなかったらしい。強盗のくせに生意気な連中だ。死ねばいいのに。

 しかし結局、その強盗どもは呪い殺されることもなく、警察に捕まって絞首刑になるでもなく、こともあろうに無法者のくせに法律事務所に勤めたりして、あまつさえ結婚までしちゃって平穏に暮らし、しかもそれに飽き足らず、再びパン屋を襲撃するのである。


 村上春樹はパン屋が暇な商売か何かだと思っているのだろう。襲撃されても当然な、下等な職業だと思っているに違いない。俺達が朝早くから晩遅くまで、どれだけ必死に働いてパンを焼いているかわかっていない。だから気軽にパン屋を襲撃する話なんか書いて金を稼ぎやがるんだ。

 作家こそ、喫茶店で優雅にコーヒーなんか飲みながら、「僕って何なんだろう」とかアホなことを考えて適当なことを書いているだけで金がもらえるいいご身分じゃないか。作家なんかみんな呪われちまえ。パン屋でなく作家が襲撃されればいいんだ。なんで、こんなに慎ましくコツコツ働いているだけの俺が、こんな目に遭わなきゃならんのだ? 架空の話だけでもうんざりなのに。本当に来るのかよ、強盗。それもこれも村上春樹のせいだ。あいつが優雅に喫茶店で片手間に書いたくだらない作品のせいで俺は……


 ……いや、話が逸れた。

 ともかく、この強盗どもはそのクソ春樹のイカレたファンで、作品通りの展開にならないと気が済まないのではないだろうか? そう思った私は、念のために言ってみた。


「わかったわかった。パンはくれてやるから、その代わりにワーグナーを聴いていけ」


 男はまた同じところに拳骨を食らわしてきた。そしてやはり、私は頬に手を当てたままだったので、その拳骨はまた手の甲に当たった。手の骨に伝わる痛みが倍になり、私は思わずその場に崩れ落ちた。

 骨が凍りついたような冷ややかさを感じながらうずくまる。


 もう、意味がわからん。


 骨のついでに脳みそまで冷ややかになったのか、それとも痛みからの逃避のためか、私の頭は妙に冷静になっていた。


 これは何だ? 頓知かなんかなのか? パンを寄越せという要望に対して、パンをやるという回答でご不満な理由はなんなので?


 春樹に影響を受けた奴らじゃないことは今のでほぼ確認されたし、他にパン屋を襲撃する話ってあったっけ? あるかもしれんが、他には知らんぞ。そんなにたくさんあってもらっても困るし。


 そこで、私は謙虚になることにした。キンキンに痛む手をもう片方の手で握りしめながらゆっくり立ち上がると、私は男に向かって言った。


「ご要望はなんなのでしょう。私にはわかりません。はっきりおっしゃってください」


 しかし、残念なことに、男の答えは同じだった。


「パンを寄越せ」


 ……まあ、殴ってこなかっただけでも進歩と言える……のか?


 パンを寄越せというが、持っていけと言うと殴られる。この関係性から推測するに、もはや考えられる答えは、今、店にあるパンでは強盗様方はご不満であらせられるという御思慮である。焼き立てでなければお気に召さないと? さすが強盗様はグルメであらせられる。クソどもめ。


 そこで私は、おずおずと強盗様方に私の浅薄愚考を申し上げた。


「ええと、もしよろしければ今からパンを焼きますが、3時間ほどかかりますがよろしいでしょうか?」


 男達はなにも言わなかった。しかし、拳骨も食らわせてこなかった。新展開である。

 どうやらこれが突破口なのかもしれない。焼いたところで気に入らず、やっぱり殴り倒されるかもしれないが、こうなったらやるしかない。


「ええと、ご希望のパンはございますか?」


 男達はなにも言わなかった。何でもいいのか? でも、気に入らなかったら殴り倒すの?

 私は、おとぎ話に出てくる、暴君に仕える家臣の気持ちが、心底よくわかったような気がした。



 何を焼けばいいかさっぱりわからんから、予定通り、夕方に出す分のパンを焼くことにする。全部強盗にくれてやるために焼くのだと思うと気が滅入りそうになるが、それよりも、なんでもいいから、このわけのわからない状況から脱したいという願いの方が強かった。


 パン生地をこねて一次発酵。

 発酵を待つ間、静まり返った店内が気まずい。こいつらは一言も喋らず、微動だにせず、ただカウンターで突っ立っている。こうしていると置物のようだが、それでも突然殴ってくるから危険な置物だ。


 生地を手で軽く押さえて空気を抜くと、ナイフで切り分けて丸め、濡れた布巾を被せて休ませる。

 作業をしながらちらちらちと入り口の方を見るが、誰も来ない。いつもなら少しは客が来たりするもんなのに。この変な空気を察して誰も寄り付かないのか? 偶然警察の人とかがパンを食いたくなって来たりしないかね。ドーナツも置くべきだったか。


 練り物をするパンは、ここでナッツなどを練り込み、成型したら、ぬれ布巾をかけて二次発酵。

 強盗二人はやはり、音も立てず、話をするでもなく、カウンターの前で棒立ちして待っている。

 静かすぎる。今ならワーグナーでもなんでもいいから、店内に流れていてほしい。有線ラジオと契約しておくべきだったか。


 二次発酵が終わったらオーブンで焼く。パンがおいしそうに焼けていき、私の解放の希望も膨らむ。強盗様のお気に召せば、だが。


 普段なら、出来上がったパンはトレイに載せて店の棚に出すが、今回はできたそばから紙袋に突っ込んでいく。そして、次々にカウンターに積み上げる。


 紙袋が9袋、10袋と並べられ、そのうちカウンターに乗りきらなくなったとき、突然、強盗達が動き出した。その場に屈んでスポーツバッグを開けると、次々にカウンターの紙袋を詰めていった。

 そして、すっかりカウンターの紙袋がそのバッグに収まったところで、男の一人がジャンパーの内側から何かを取りだし、カウンターに置いた。そしてそのまま去っていった。



 私は呆然とその背中を見送ると、やがて、カウンターに視線を落とした。それは数枚の金色の硬貨だった。どこの国のものか、本物なのか玩具なのかはわからない。少なくとも日本円ではなく、私の知っている国の通貨や古銭でもなかった。500円玉より一回り小さいそれには誰かの横顔が彫られ、謎の文字が刻まれていた。



 後に古物商に持っていくと、その硬貨の正体はわからなかったが、ほぼ金でできていることはわかった。古銭としての価値はわからないが、金としてなら買い取れると言われた。何度も殴られた上にパンを焼かされて持っていかれたことに対する代償に見合っているかはわからないが、それなりの金額だった。



 私は売らずに、そのまま持っておくことにした。あんな酷い目に遭った見返りを、ただの通貨に変えてしまうのは惜しい気がしたからだった。

 私は小さな額縁を買うと、硬貨の中で一番きれいなやつを貼り付け、店のカウンターの後ろの壁に飾った。


 今のところ、その硬貨について尋ねてきた人はいない。

 また、あれ以来、パン屋に泥棒だの強盗だのがご来店したこともない。私はいつしか、あの硬貨が魔除けの効果を発揮して、強盗が近寄らないのではないかと思うようになったが、よく考えたらそれも変な話である。

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