16-濡れ衣

 ロビン学園の廊下をレイツェルが走らない程度に早足で移動している。


「シルヴィ、どこなの」


 感情的になっていた。

 話し合いしようとしなかった。

 シルヴィの言葉に耳を傾けなかった。


 足を動かし続けても、後悔は絶えず脳裏をよぎる。


 会いたい、シルヴィに、そして謝りたい。

 衝動に突き動かされて、校内を歩き回っていた時だった。


 レイツェルは、上階で、何かが強く打ち付けられた音を聞いた。

 びくりと身を強張らせて、恐る恐る声を掛ける。


「シルヴィ? シルヴィなの?」


 返事は帰ってこない。

 逃げ去っていく足音も、聞こえない。


「ごめんなさい。私、ただ、謝りたくて」


 一歩一歩、ゆっくりと階段を上っていく。

 レイツェルの問いかけに、答える声はない。


「シルヴィ?」


 一段ずつ上った階段。

 その踊り場に、シルヴィはうつむせで倒れ込んでいた。

 真っ赤な血だまりの上で。


「シルヴィ!? いったい何が!? だ、誰か! 先生! 誰か、誰でもいい! 誰か、誰か来てぇぇ!」


  ◇  ◇  ◇


 レイツェルが早急に発見したことで、シルヴィはなんとか一命をとりとめた。

 しかし、意識はいまだ回復していない。


 保健室のベッドで、静かに寝息を立てる黒髪の少女の手を、レイツェルはただぎゅっと握っていた。


「レイツェル・ディーネ・モノグラム」


 背後から声を掛けられた。

 背中越しでも声の主はわかった。

 ヘラクレイトス・レオ・ペンデュラム第一王太子。

 レイツェルの婚約者だ。


「申し訳ございません殿下。いまは、彼女のそばにいさせていただけませんか?」

「かわいい婚約者のささやかな願いだ。叶えてやりたい、がそうも言っていられなくてな」

「事情聴取、でございますか?」

「端的に言えば。だが、より正確に言うなら」


 淡々と、事務的に、王太子はレイツェルには何の感情も持たないかのように告げる。


「レイ、君にプレゼンツ男爵令嬢殺害の容疑が掛かっている」

「……え?」

「詳しい話が知りたいだろうし、僕も詳しい話が聞きたい。病室でするほど穏やかな話にはならないだろうし場所を移して――」

「お、お待ちください! 私にシルヴィ殺害の容疑!? なぜ!?」

「その話も、教室を移そう。それとも、この場を離れるとまずい理由でもあるのか?」


 王太子が、光の届かない瞳でレイツェルを見下ろしている。

 彼女はすっかり気圧されてしまった。


「承知、いたしましたわ」


 頷く以外に、選択肢なんて無かった。


  ◇  ◇  ◇


 要約すると、つまりこういうことらしい。


 事件が起きたのは午後最後の授業中。

 現場は王都中心部に位置する学術機関ロビン学園三階と四階間の階段踊り場。

 敷地内にいたのは教師と生徒と用務員、それから生徒たちに仕える執事などの使用人だ。


 問題は、誰がやったのか、である。


 まず、授業を受けていた生徒と、授業を受け持っていた教師を容疑者から外す。

 職員室にいた教師も互いのアリバイが証明できる。

 使用人に取り調べを行ったところ、その時間帯は全員が使用人控室にいたことがあり、犯行不可能であることが判明した。

 用務員は時間が掛かったが、それぞれの作業位置と学者からの目撃情報を照合した結果、全員殺害現場から遠く離れていたことが判明した。


「これで、容疑者はいなくなったわけだ。君と、君のクラスの担当をしていたモダレーテ女史を除いてね」

「で、でしたらきっとモダレーテ先生が」

「ところがその時間、モダレーテ女史は保健室を調べに行っていた。それは保険医が証言している」

「そ、そんな」

「わかるだろ、レイ。いや、レイツェル・ディーネ・モノグラム公爵令嬢」


 王太子が目を閉じて、無感情に、きわめて事務的に、事実を告げる。


「君を除いていないんだよ、犯行可能だった人間は」


 血の気が失せる。

 その言葉の意味を、レイツェルは身をもって体感した。


 視界がくらむ。


「そ、そんな、何かの間違いです! お願い申し上げます、いま一度、精査を!」

「もちろんだ。これは公爵家と王家が関わる問題だ。軽率な糾弾はできない。ただ……精査は既に一度行った。そのうえで、僕は君にこの話をした。その意味が、わかるな?」


 王太子が意味するところはつまり、他に犯行可能な人物が浮上することは期待するなという忠告だ。


「新たな事実が発覚しなければ、明日、君を裁判にかける」

「そ、そんな! 違います! 私じゃない! 真犯人が他にいるはずなんです!」


 レイツェルの必死の説得は、王太子に、本当のことを言っているかもしれないと思わせるに十分なリアルさがあった。

 だが、状況証拠はレイツェル以外の犯行を否定している。


「お前が、本当に犯人じゃないなら、何らかの証拠が見つかるはずだ」


 信じたいという思いと、信じられない思いが、王太子の中で双璧をなしていた。

 平行線をたどるその二つが交わることは、きっとない。


「見つからなければ……?」


 レイツェルが、細い声で問いかける。


「レイがシルヴィを殺した疑いが、事実として記録されることになる」

「そん、な」


 レイツェルが、その場にへたり込む。


「そうだ、シルヴィ、シルヴィが起きてくれたら」


 言いかけた唇が、固まった。

 思い出してしまった。


 レイツェルはシルヴィとケンカをしたばかりで、まだ謝れてもいない。


 そもそもシルヴィは本当に犯人の顔を見たのか?

 見ていなかった場合、レイツェルを犯人だと決めつけやしないだろうか。

 突き飛ばされた衝撃で記憶が混乱していないだろうか。

 感情的になって、嬉々として断罪に乗るのではないだろうか。


 考えるほどに不安は肥大していき、比例してレイツェルの顔は青ざめていった。

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