8-薬草学

 ロビン学園の薬草学教師であるワームウッドは、自身が担当する薬草学の授業にやってきた編入生を見て、ほうと息をついた。


 ワームウッドは子爵家の次男である。

 子爵家は男爵家より爵位が一つ高い。


 プレゼンツ男爵家が貧民街生まれの女児を養子に取り、しかもそれが聖女候補で、国王がその育成を委任した。

 それら事実のすべてが気に食わなかった。


 薬草学実験室はロビン学園の地下室にある。

 光や湿度を一定に保つのに、その方が効率がいいからだ。

 壁一面に敷き詰められたガラス棚には、瓶詰めされた薬草が綺麗に陳列されている。


 部屋の奥には教卓も兼ねる大きな平台があり、手前側にある実験台を生徒が五、六人ずつ囲んでいる。

 そんな中、少女は困ったように入り口で立ち尽くしていた。


「どうした、ミスプレゼンツ。なぜ席につかない」

「席が、わかりません」

「であればなぜ質問しない。その口と手は何のためについているのかね」


 ワームウッドは実験台の一つの前に移動すると、こんこんと人差し指で机をたたいた。

 シルヴィが指定された席に着く。


「我々教師は、諸君らに知識を与えよう。だが、識者になるか愚者になるかは、諸君らの学びの態度にゆだねる」


 席に着いたシルヴィに、ワームウッドが続ける。


「ミスプレゼンツ、『沙羅龍樹しゃらりゅうじゅの葉の粉末』を『満月の涙』で蒸留すれば何になる」


  ◇  ◇  ◇


 シルヴィはリヒトに叩きこまれた精巧な作り笑いを保ちながら、内心では焦り散らしていた。


(どどど、どうしようソフィア! この人が言ってること何一つわかんないよ! これってわからないと減点されるやつ!? ケーキなくなっちゃう!?)


 今日一日、問題を起こさず過ごせればケーキとリヒトに約束してもらったシルヴィの行動原理はそこに集中していた。


『そうですね。減点されるかを判断するにはこの人物を私たちはあまりに知らなすぎます』


 ソフィアは考えた。

 質問の答えは、強力な魔物の毒さえ打ち消す万能薬、フルハイネスキュアーだ。

 しかしこれは素材が希少で、そのレシピはほとんど知られていない。

 果たして、授業初参加の生徒に出す問題だろうか。


(時代の変化でしょうか。まあ、私の代より薬学も進歩しているでしょうし、この時代では比較的一般的な知識なのかもしれませんね)


 と、自分に言い聞かせてシルヴィに答えを耳打ちした。

 どうせ彼女の声はシルヴィ以外に聞こえないのだから耳打ちする理由は無いのだが、気分である。


「『沙羅龍樹しゃらりゅうじゅの葉の粉末』を『満月の涙』で蒸留すれば、『フルハイネスキュアー』になります」

 顔を輝かせて答えるシルヴィに、ソフィアが続ける。

『ただし、正確には『火喰い鳥の羽根』を加える必要があり、先の二つでは完成しません』

「ただし、正確には『火喰い鳥の羽根』を加える必要があり、先の二つでは完成しません」


  ◇  ◇  ◇


(何ィッ!? 貧民街出身の小娘が、なぜ、上級薬学の問題を回答できる! しかも、難癖を付けさせない満点回答だとォ!?)


 ワームウッドは動揺を隠しきれなかった。

 上級薬学は本来、ロビン学園六年生で習う高等学問だ。

 先の問題を何年か前の卒業試験で出題した時の正答率わずか十八パーセント。

 新入生が解ける問題ではない。

 まして、つい数日前まで貧民街で暮らしていた浅学の編入生であればなおさらだ。


(まさか、親が没落した薬師なのか!? いや、年端もいかぬ少女に上級薬学を修了させるほどの者なら、没落したまま終わるわけがない! いったいどのような環境で育ったというのだ!?)


 単に膨大な知識を保有するデータベースがとなりに存在し、誰にも知られない方法でカンニングできるだけである。


(まさか、ピンポイントでこの知識だけ持っていたのか? そんなまさか。いやだがこの年の少女が上級薬学を修めている方がバカげているとも考えられる)


 ワームウッドはガラス棚の一つの前に立つと、中から二つの瓶を取り出した。

 そしてラベルを指で隠した後、シルヴィの前に並べる。


「見事だミスプレゼンツ、ではこの問題はどうかな。我輩が持つ二つの瓶に詰められている薬の名前を答えよ」


  ◇  ◇  ◇


(知るかい!)


 シルヴィは思った。

 いじめだ。この人は知識の無い生徒に知識でマウントを取り、ちっぽけな自尊心を満たす狭小な人間なのだ。

 彼女の憤慨は、ソフィアに伝播する。


『ではシルヴィ、私が答えましょうか?』

(え!? わかるの!?)

『もちろん。元聖女ですから』

(やったぜ! ソフィア先生お願いしゃす! このいけ好かない教師の鼻っ柱叩き折ってやって下せえ!)


 ソフィアは瓶の高さまで視線を落とすと、笑みを浮かべた。


『シルヴィ、見てください。葉っぱの裏や茎に、小さい毛があるのがわかりますか?』

(うん)

『では、右の方がわずかに毛が長いのがわかりますか?』

(わかんない。同じに見える)


 ソフィアはまた笑った。

 この二つの植物は非常に似ており、見分けるのが難しいことで有名だからだ。


『毛の短い左側が『アイイロメランコリー』、向精神薬に使われる、沈静効能のある植物です』

(ふんふん。じゃあ、こっちは?)

『それはですね、光を吸収する『ヤミイロアイロニー』です。毒にも薬にもなりません』

(え!? でもこの先生は薬って――)

『はい。薬、と言ったんです。薬草とは言ってないんですよ。中にいるのは暗闇を好むハ虫類『カゲトカゲ』でしょうか。さきの向精神薬を生成する際に使われる薬の一種です』

(へえ。ソフィアって物知りなんだ)


 シルヴィはもう一度、二つの瓶を見比べた。

 毛が長い短いと言われても、やっぱり違いは分からない。

 ただ言われてみれば、『ヤミイロアイロニー』の方が瓶の中が暗くなっている。


「わたしから見て左が『アイイロメランコリー』、沈静効能のある植物です。そして右側は、同じく向精神薬に使われるハ虫類、『カゲトカゲ』です」


  ◇  ◇  ◇


(バカなァッ!? この問題も解いただと!?)


 ワームウッドは三つの難点を用意した。

 一つ、『アイイロメランコリー』と『ヤミイロアイロニー』の見た目の相似。

 植物に相当堪能でなければ見分けがつかない難問だ。

 だが、今回は二つ並べるために見比べで判断できる可能性は残る。


 そこで二つ目、問題文だ。

 ワームウッドはこれらを何の植物だと聞くのではなく、薬の名前を答えろと設問した。

 つまり植物の名前がわかっただけでは正解にならない。


 そして三つ目。

 彼は瓶の中身を確認したいと言われれば、ふたを開けて中身だけを取り出すつもりだった。

 シルヴィに『カゲトカゲ』を視認させる気が毛頭なかった。


(なぜだ! まさか、ガラス棚単位で効能が整理されていることを把握し、『ヤミイロアイロニー』の性質から『カゲトカゲ』だと断定したとでも言うのか! ここにある薬のほぼすべての名称と効能、用途を把握しているとでも言うのか!?)


 絶対に解けない問題のはずだった。

 だが目の前の少女は、その不可能を可能に変えてみせた。


(この年で、いったいどれほどの経験を積んできたというのだ――)


 ワームウッドのシルヴィを見る目が変わる。

 貧民街出身の教養の無い小娘から、類まれなる知識を持つ将来有望な金の卵へと認識が切り替わる。


「見事だ、ミスプレゼンツ。認めよう、諸君は次代の聖女に相応しい才女である、と」

「え」

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