第30話 純白のフィナーレ

 ゆったりと春の空気が流れる、暖かな昼下がり。

地中海に面した欧州の大国・アイビア王国は、祝福の空気に満ちていた。


 今日は待ちに待った国王陛下の結婚式。

国民たちは誰もがこの喜ばしい日に歌い、踊り、お祝いムードを見せている。



「……お養母かあ様。私、緊張しているみたいです……」

 遠くに聞こえる国民たちの歓喜を肌で感じながら、キアラは王都に建つ荘厳な教会の一室で、式の準備を進めていた。

かわいらしいレースが幾重にも重なる純白のドレスに身を包んだ彼女は、ずっと傍に寄り添う養母ははに、最後の弱音を吐いてみる。

すると、椅子に腰かけた彼女を後ろから抱きしめた夫人は、優しく笑って言った。

「大丈夫よ、キアラちゃん。とっても綺麗だわ。自信を持って」

「はい。ごめんなさい、お養母かあ様。最後の最後に……」

「そんなことないわ。あなたはこれから先もずっと、私の養女むすめ。我が儘もお願いも弱さも、隠す必要なんてないのよ」

「……!」

 目を閉じ、夫人は願うようにキアラを抱きしめた。

出会って今年で九年。大切に育ててきた養女むすめが、ついに結婚するのだと思うと、嬉しくて誇らしくて、つい涙ぐんでしまう。

「あらやだ。まだ式は始まってないのにねぇ」

「……ありがとうございます、お養母かあ様」

「いいえ。そろそろ行きましょうか、陛下の元へ」



 太陽の光が柔らかく降り注ぐ会場内は、静謐せいひつな雰囲気に包まれていた。

親類縁者や大臣方は既に着席し、聖壇前には花嫁を待つレイル。

純白の婚礼衣装に身を包んだ彼は美しく、まるで、一枚の絵画を見ているようだ。

「………」

 するとそのとき。不意に空気が震え、会場の扉がゆっくりと開いていった。

ついに花嫁が彼の元へやって来る。

嬉しさにどきどきと心臓が早鐘を打つ中、扉の奥から姿を見せたのは、淡いヴェールを下ろした花嫁・キアラ。

白い肌に純白のドレスをまとう姿は天使のようで、レイルは見慣れたはずの彼女に、またときめく。

それほどまでに可憐なキアラを、レイルはただただ見つめていた。


 養母ははに付き添われ入場したキアラは、そのままゆっくりと、彼の傍へやって来た。

ヴェール越しにも分かる笑顔が愛らしくて、レイルの口元に自然な笑みが浮かぶ。

ついにやって来た今日この日、二人は幸せな門出を迎えるのだ。



 牧師の前に立った二人の式は、順調に進んで行った。

美しい讃美歌と聖書の言葉を共に噛み締め、牧師が問う言葉に二人は永遠を誓う。

会場内に響く声はとても神聖で、キアラは自分を妻とすると誓う彼の声に心を高鳴らせ、レイルもまた、自分を夫にすると誓う彼女が、愛しくてたまらなかった。


「それでは、指輪の交換と参りましょう」

 すると、次に牧師が告げたのは、結婚指輪の交換。

美しい装飾を施した化粧箱に、ダイヤモンドをはめた指輪が置かれている。

「キアラ、指輪をはめるよ」

「はい、レイル様」

「緊張せずとも大丈夫だ。私が傍にいるのだから」

 牧師に促され、指輪を手にしたレイルは、参列者には聞こえないほど小さな声で囁いた。

優しく触れた彼女の手が、小刻みに揺れ、わずかな緊張が伝わったようだ。

「はい。大丈夫です」

 彼の言葉にそっと息を吐いたキアラは、目の前の彼を見つめ、柔らかく微笑んだ。

レイルの声を聞くと、不思議と緊張は和らぎ、心が落ち着いて来る。

と、それを悟ったように、彼はキアラの左手薬指に優しく指輪をはめた。

ステンドグラス越しの光が反射し、キラキラと煌めく指輪は、とても綺麗で…――。

キアラは、同じように彼に指輪を贈りながら、この輝きを永遠に覚えていたいと思った。


「ありがとうございます。それではヴェールを上げて、誓いの口づけをお願いします」

 指輪の交換が成立したことを見た牧師は、続けて二人を促した。

式もとうとう大詰めとなり、彼らを隔てていたヴェールがついに外される。

これを経て二人は夫婦となるのだ。

「……」

 そっと彼女に手を伸ばし、ヴェールに触れたレイルは、ふと一年前を思い出していた。

一年前の今日は、大臣たちが選んだ妃候補たちと初めて対面した日だ。

あれから一年…自分が本当に妻をめとるなんて、あのときの自分は思っていなかっただろう。

だけど、あの日の出逢いをきっかけに回り始めた歯車は、運命の糸を結び、ここに結実する。

本当に、キアラに逢えてよかった。

あの日、彼女と目が合った瞬間、声を掛ける気になってよかった。

今では心からそう思う。

「愛しているよ、キアラ」

「はい。私も…愛しております。レイル様」

 小声で囁き合い、ヴェールを上げたレイルは、そっと彼女に口づけた。

こうして結婚は成立し、二人の愛は永遠となる。

近くで祈りを捧げる牧師の声を聞きながら、二人は、これから先の未来を想った…――。




「さて、式は無事に終わった。国民たちに顔を見せながら、ゆっくりと城へ帰るとしよう」

「はい。とても楽しみですね」

 誓約書への署名ののち、ヴァージンロードを歩いて無事に退場と相成った二人は、腕を組んだまま、そう言って教会の外へ向かい歩き出した。

本来ならば、馬車を使ってのパレードとなる予定だった催しは、直接街を歩きたいとの彼らの要望に押され徒歩へと変更になり、二人はこれから、約一キロ先の王宮へ帰る予定だ。

「お前たちも準備は良いか? 先導は任せたぞ」

「はい、陛下」

「お任せください」

 すると、国民たちの反応を思い、笑顔を見せるキアラに笑いかけたレイルは、扉の前に待機していた二人に声を掛けた。

近衛騎士団の正装に身を包んだその二人――レイルの護衛であるライアンと、正式にキアラの護衛に選ばれたノーナは、名誉ある大役に胸を張っている。

そんな二人にも笑みを見せたレイルは、キアラと共に、外への一歩を踏み出した。


「おめでとうございます!」

「おめでとうございます、陛下! 王妃様とお幸せにーっ!」

「わぁあ、なんて綺麗なお二人っ! おめでとうございまーす!」


 その途端、二人を包んだのは鳴りやまない歓声だった。

出迎えた国民たちは皆、心から彼らの結婚を祝い、花びらのシャワーで二人を祝う。

馬車越しでは決して味わえない感覚に、レイルは満足そうだ。

「やはり徒歩にして正解だったな。実に嬉しいよ」

「ええ。こんなにもお祝いしていただけるなんて、アイビアの国民たちも、レイル様を大変にお慕いしているのですね」

「フフ、エイビット王家には敵わないだろうがな」

 薔薇をはじめとした美しい花びらが舞う中、二人は方々の声に応えながら、道を進む。

天気もまるで、二人を祝福するように穏やかで、四月にしては随分と温かい。

今日はきっと、アイビアの歴史に残るような、平和な一日だろう。

キアラと寄り添いながら、彼女に笑みを向けたレイルは、ある覚悟を決めると、城を目前に願い出た。


「……キアラ、城に着いたら、お前に一つ、受け取ってほしいものがある」

「?」



 キアラと共に王宮へと戻ったレイルは、この後予定されている披露宴パーティまでの短い時間を使い、彼女にあるものを見せていた。

「これ……」

「この王冠はやはり、お前にこそふさわしいと私は思う。どうか受け取ってほしい」

 そう言ってレイルが差し出していたのは、王宮の宝物庫に保管されていた、エイビット王家に伝わる金の王冠だった。

あのときは、叶わないと分かっていながら、いつかこれをエイビット王家に返したいなんて願う彼に、キアラは家族を思い出して、虚しさばかりを募らせていた。

だけど、すべての事実と運命を受け入れた今、この王冠もまた、王家の名残りを残す思い出だ。

レイルが言うのならきっと、受け取るのが正しい選択なのだろう。

「……なんだか、戴冠式みたいですね」

「そうだな。これでやっと、私の願いは叶ったよ」

 彼の願いに頷くキアラに、レイルはそっと王冠を乗せ、笑った。

夕日を浴びてキラキラと輝く王冠は、やはり、彼女の頭上で輝いていた方が美しい。

そう思うと、長年焦がれてきた奉還に、心がいっぱいになった。


「平和な国にしましょうね」

「ん?」

 すると、王冠を頂く自分を見つめ、嬉しそうに笑うレイルに、キアラは笑みを返して言った。

「この王冠はずっと、エイビット王国にとって平和の象徴でした。なぜならこれは、国の金山で取れた金鉱石を使い、王家を慕う国民たちの手で贈られたものだからです。これがある限り王家は国民への平和を誓い、未来を照らすと伝えられています」

「……!」

 王家に伝わる歴史を紡ぎながら、キアラは優しく王冠に指を滑らせた。

戦と共に失ったはずの王冠が、今こうして戻ることも、きっと、明るい未来への暗示。

今の平和が当たり前になるよう、願いを込めて彼を見上げると、レイルは彼女の頬に触れながら、大きく頷く。

「そうだな。お前に…そしてこの王冠に誓おう。私はいつかきっと、お前の父君のような賢王として、国を、欧州を、平和へと導く王になってみせる」

「はい。お傍で見守っております。ずっとずっと」

「ありがとう。ではそろそろ参ろう。披露宴の時間だ」

「はい」


 差し出された手を握り、二人は王宮への道を歩き出した。

これでもう、二人を隔てていた秘密は何もない。


 身を偽り続けた姫君の“災難”は、運命と共に大きな幸福へと変わったのだ。

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