第12話 お嬢様と初めての喫茶店

「愛さん、ここがその喫茶店ですか?」

「うん、ここがその喫茶店だよ珪華けいかちゃん」


 愛は今、クラスメイトを伴っていつもの喫茶店の前に佇んでいた。

 五ツ宮珪華いつみやけいか。有名な大手不動産会社五ツ宮グループのご令嬢であり、正真正銘のお嬢様である。

 日々手入れを欠かしていない艶やかな黒髪は毛先が緩やかなカーブを描いており、黒目がちの二重の瞳はぱっちりと開いている。まつ毛は程よく上向きになっていて、形の良い唇は薄くピンク色に色づいていた。真夏だというのに涼やかな佇まいで、隣に立っているとなんだかいい香りが漂ってくる。

 こうして並んでいると、どう考えても引き立て役以外の何者でもないな、と愛は自嘲した。同じ制服、同じ黒髪、同じナチュラルメイクだというのにこの差は何なのか。もはや同じ日本人とは思えない。まさしく月とスッポンである。

 珪華に思わず見惚れていると、珪華は小首を傾げて愛を見つめてきた。


「どうしましたの、愛さん?」

「えっ、いやっ、珪華ちゃん美人だなあって」

「あら、愛さんも可愛らしいわよ」


 そうして浮かべた笑みには、蔑みやお世辞といったものとは無縁であった。この人はこれを、本心で言っている。そう思わせるのに十分な微笑みだった。

 珪華ちゃんはきっと、大切に大切に育てられたんだろうなぁ。だから混じり気のない笑顔でそんな言葉を言えるんだ。愛を田舎出身だと暗に馬鹿にしてきた他のクラスメイトとは全く違う。


「よし、じゃあ、入るよ」

「ええ」


 愛は喫茶店の扉を押し開け、薄暗くひんやりとした心地よい空間へと足を踏み入れた。珪華は隣で静かに驚いている様子だった。

 本日この場所に珪華を連れて来たのは、本人が行きたいと言ったからである。


「喫茶店をやるからには、本物を見ておきませんと。愛さん、ぜひ連れて行ってくださいませんか」と丁寧に申し出た珪華を伴い、愛はいつもの喫茶店へとやってきた。


 からんからん、と音がして店の扉が開く。店には今日は、大吉と竹下がいた。


「よう」

「江藤さん、お疲れ様です」

「大吉さん竹下さん、こんにちは」


 愛の「お友達になってください」宣言以来、店に訪れる客の間には奇妙な連帯感がある。友達というほどの親しさはないが、かといって赤の他人ではない。他人以上友達未満。顔見知りの常連というやつだろうか。愛が挨拶をしつつ空いた席に珪華と共に腰掛けると、店長であるねこの須崎が奥からお冷を持って現れた。


「いらっしゃいませ。お友達連れとは珍しいですね」

「まあ、本当にねこが歩いて喋っているのですね」

「初めまして。店長の須崎と申します。『必須事項』の須に山へんの崎と書きます」

「ご丁寧に、どうもありがとうございます。愛さんのクラスメイトの五ツ宮珪華いつみやけいかです」


 愛から事前に「店長がねこなんだよ」と聞いていたおかげか、珪華はすんなりと須崎の存在を受け入れた。「東京でもねこは接客などしませんわよ」と聞いた時は愛の方が驚いたものだが、よくよく考えれば当然だろう。東京だろうが地方だろうが、普通、ねこは喋らないし歩かないし接客もしない。

 ならば一体須崎はなんなのかという話になるが、愛は深く考えるのをやめていた。須崎は須崎だ。こういう生き物なのだろう。歩いて喋って接客している時点で、ねこかどうかという次元を超越している。人知の及ばぬ生命体だ。


「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」


 人知の及ばぬ生命体の須崎はねこの顔に愛想の良い朗らかな表情を浮かべ、奥へと去って行った。


「注文は何にする?」


 愛がメニュー表を手渡すと、珪華が手に取り、開く。眺めてから一言。


「愛さんはいつも何を頼みますの?」

「この間食べたプリンアラモードが美味しかったよ。今日はクリームソーダを頼むけど」

「じゃあわたくしはプリンアラモードにしますわ」


 須崎に注文を通すと、珪華は興味深そうに店内を見回し、感嘆の息をついた。


「わたくし、初めてこうした場所にお友達と入ったのですけれど、なんだか落ち着く場所ですわね。外の音も驚くほどしませんし、お店の中の色合いも心地いいですわ」

「でしょう? 私の地元にもこんな感じのお店があったの」

「愛さんは岡山県出身でしたわよね。どのようなところでしたの?」

「田んぼと、山と、あぜ道しかないような場所だったけど、自然がいっぱいでいい所だったよ」

「わたくしもいつか行ってみたいですわ」

「珪華ちゃんは東京生まれの東京育ち?」

「ええ。色々な場所に行くんですけど、でも旅行ですから。故郷があるっていいですわよね。きっと『帰ってきた』という気持ちになるんでしょうね」


 非常に上品な言葉遣いで上品に微笑む珪華と一緒にいると、こちらまで上品になってきそうだ。言葉には裏表がなく、嫌味は存在しない。これが生粋のお嬢様パワーなのか。


「お待たせしました、クリームソーダとプリンアラモードです」

「まぁ」


 目の前に置かれたプリンアラモードを見て、珪華が目を見開いた。


「これがプリンアラモード……! プリンの周りに果物がたくさん。斬新なスイーツですわね」


 むしろ古風なスイーツである。しかし東京では喫茶店自体が絶滅危惧種なので、きっと珪華はプリンアラモードを見たことも聞いたこともないのだろう。そうであれば珪華にとってこれは、目新しく斬新に見えるに違いない。

 愛は自分の前に置かれたクリームソーダを飲みながら、珪華がプリンアラモードを食べてどんなリアクションを取るのかじっと観察した。

 暑さにやられた体に、甘くて冷たいクリームソーダの炭酸が染み渡る。気分的には一気に飲み干したいのだが、勿体無いのでちまちま飲んだ。

 珪華はまず、プリンアラモードをあらゆる角度から写真を撮り、それからスプーンを手にした。どこから食べようか迷っている。わかる。果物盛りだくさんのプリンアラモードは、何から食べるか非常に迷う所だ。

 これがパフェならば大人しく上から順に食べていくしかないのだが、プリンアラモードは横に長い器に盛られているので食べる順序は注文した客に一任される。

 果物からかプリンからか。

 果物だとしたらオレンジかバナナかイチゴかメロンか。悩ましい部分だ。

 珪華は真ん中のプリンから食べることにしたらしい。スプーンで少し弾力のあるプリンをすくって、パクリと食べる。


「……美味しいですわ。初めて食べるのに、どこか懐かしい味がして……!」


 それからパクパクと上品にプリンアラモードを食べた珪華は、満足そうな表情を浮かべる。


「美味しいですわね。他のメニューも気になるところです。『オムハヤシ』とはなんでしょう」

「オムライスにハヤシライスがかけられた料理だよ」

「オムライスに、ハヤシライスが……? では、カツカレーというのは?」

「カレーの上にトンカツが載ってるお料理」

「まぁ!」


 オムハヤシもカツカレーも知らないらしい珪華は衝撃と驚きで再び目を見開く。

 庶民の味方、ボリュームタップリのB級グルメを食べたことがないとは、珪華の人生損しているなぁと愛は少し同情した。

 珪華はきっと、松坂牛のステーキや回らないお寿司は日常的に食べていても、屋台に売っている焼きそばやフランクフルトは知らないのだ。それはなんだかもったいない気がする。友達と何を食べようか考えながら屋台をめぐるのは、とても楽しいのに。

 愛がそんな風に考えながらクリームソーダをストローで吸っていると、何かを考え込んでいた珪華は決然とした面持ちで愛を見た。そして爆弾発言を放った。


「愛さん、わたくしたちの学園祭での成功のためにも、ここはお店のメニュー全てを注文すべきだと思いますの」

「ええっ!?」


 愛はびっくりして、クリームソーダを吹き出しそうになった。珪華は止まらない。


「自分の目で見て、味わわなければ、本物を再現するなど不可能だと思いませんこと?」

「いや、まあ確かにそうだけど、お金かかっちゃうよ」

「必要経費ですわ」

「そもそもそんなに食べられなくない!?」

「確かに……」


 ここで初めて珪華が迷いを見せてくれる。

 言い分はわかる。見たことも食べたこともない料理を再現するのは不可能だ。

 だがしかし、そもそも喫茶店メニューというのは普遍的でオーソドックスなものだ。


「プリンアラモードはともかく、クリームソーダとかパフェとかナポリタンは流石に知ってるでしょ? 全部食べなくても、問題ないよ」

「ですがやはり……そうですわ、毎日来て、そして一日に二、三種類ずついただく、というのはいかがでしょう。いえ、ダメですわ。確か明日明後日明明後日の夕方には予定があったはず。あまりぐずぐずしていると、学園祭の日にちが来てしまいますし」


 珪華は一人ブツブツと言っている。と思えば、上目遣いに愛を見つめてきた。


「二人いれば、なんとか食べきれませんこと……?」

「無理だと思うよ。このお店、結構ご飯系もあるし」


 しかし諦めきれなさそうな表情をする珪華。なんとかかんとか理由をつけ、注文しようとする珪華を止める愛。

 二人のやり取りの最中、休憩時間が終わりに近づいたらしい竹下が店を出ていき、大吉はタバコをふかし続けて知らん顔をしていた。顔見知りと言えど介入してくる気はないらしい。当然と言えば当然だ。

 と、テーブルを挟んで二人はこう着状態に陥っていた最中に、勢いよく扉が開くと、元気な声が店に響き渡った。


「ちーっす! 大吉の兄貴、今日も仕事終わりやしたぁ!!」

「……えっ」


 愛は入って来た客を見て驚いた。

 ド派手な赤いニッカポッカに地下足袋を履いた男は、眉毛がなく、髪は脱色しすぎて白に近い金髪になっている。忘れもしない、一週間前に東京駅で朝から愛をナンパしてきたチンピラである。

 なんでこの店に、あの時のチンピラが? しかも大吉の名前を呼んでいた。知り合い? いつの間に?

 愛が脳内でさまざまな疑問符を浮かべていると、チンピラはこちらに視線を向けてきた。愛はビクッとした。


「あ、愛サン」

「なんで私の名前、知ってるの!?」

「大吉の兄貴に聞きやした」

「は!? なんで!? ていうか大吉の兄貴って、何!?」


 愛が通路を挟んだ先に座っている大吉を見ると、大吉はテーブルに肘をついて何本目かわからないタバコを吸いながら、まるで興味がなさそうに天井に向かって煙を吐いた。

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