第10話 愛と大吉とチンピラ
チンピラというのは、頭が悪いからチンピラというのだなと愛は思った。
「ねぇねぇ君ぃ。その制服、聖フェリシア女学院の子でしょ? 今から学校?」
「あ、はい。そうです」
「学校なんてつまんないとこ行かないで、俺と遊ぼうよぉ」
愛は東京駅の八重洲北口付近で、男に絡まれていた。脱色しすぎて白っぽい金髪、眉毛は剃り上げてあり、上下スエットに金のネックレスをして、足元はかかとを踏み潰した、一度も洗ったことのなさそうな汚れたスニーカーを履いている。まごうことなきチンピラである。
チンピラはニヤニヤ笑いを浮かべながら、愛を壁際に追い詰めて退路を塞ぎつつ迫ってくる。チンピラの両手が愛の顔の横の壁に置かれる。壁ドンだ。逃げられない。
誰か助けて。愛はそう思いながら周囲に目を走らせたが、続々と通る人は皆知らんぷりでこちらを見ようとしなかった。ここは愛の地元の岡山で年に一度行われる盆踊り大会よりも人がたくさんいるのに、誰もが明らかに困っている愛に一切の興味を抱かず、通り過ぎていく。皆、面倒ごとに関わりたくないのだ。
東京の人って冷たい。
愛は涙目になった。
「ねえ、聞いてんのお? 俺と一緒に行こうよ」
チンピラは愛を逃す気はないらしく、一層顔を近づけながら言った。酒臭い。朝から酔っぱらってんのか、このチンピラは。
「ねえってば」
「やだ、離してください!」
チンピラが愛の腕を引っ張った。愛は身の危険を強く感じ、焦り叫ぶ。
「やだってば!!」
「おい」
愛が声を上げた瞬間、チンピラの背後で声がする。その声には正義感や怒気などは感じられず、どちらかというと面倒臭そうな色が若干混じっている。チンピラが振り向いた。
「なんだよ……熱っ!!」
じゅう、という音がしてチンピラは愛を掴んでいた腕を放し、両手で鼻面を抑える。
現れたのはねこ喫茶店の常連、丹原大吉である。朝っぱらから駅の構内で悠々と喫煙をかます男は、目の前でのたうち回るチンピラを興味なさそうに見つめている。
「熱ぃっ!!? テメェ、何様のつもりだコラァ!!」
鼻先にタバコの火を押し当てられたチンピラは、激怒して大吉に殴りかかる。
大吉は慌てることなく、愛にタバコを差し出した。
「これ持ってて」
「え……」
反射的に愛がタバコを受け取ると、大吉は姿勢を低くして迫り来るチンピラの渾身の右ストレートを避けた。避けながらも流れるような動作でチンピラの右腕を取り、関節が逆を向くようにねじり上げ、そして駅の床に叩きつけた。
「ぎゃあああああ!!!」
鮮やかに関節技を決められたチンピラは絶叫する。
大吉はまるで道端に落ちているゴミでも見るかのような目つきでチンピラを眺めつつ、短く言う。
「このまま折ってやろうか」
「なっ、なんなんだよテメェはぁ!?」
「折られたくなきゃ、さっさとどっかへ行け」
チンピラは慌てた。見た目はごく普通の青年である大吉の思わぬ攻撃にチンピラは怯え怯んだのだ。大吉はパッと腕を放し、チンピラを解放した。
「ちくしょう、覚えていやがれ!!」
チンピラはチンピラらしい捨て台詞を残して去っていく。大吉はそれを見送ってから愛に向き直った。
「タバコ返して」
「あっ、はい」
愛は大吉に預かっていたタバコを渡すと、頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございます!」
「んああ。いいよ別に。で、なんで夏休み中に制服着てんの」
「学園祭の準備で、学校に行くんです」
「あ、そうなんだ」
大吉はやはり興味がなさそうだった。
「大吉さんは?」
「俺は学校にレポート出した後、喫茶店に行くつもりだ」
「そうなんですね、あ、じゃあ」
私も後で寄ろうかな。そう愛が言葉をつづける前に、駅の中にけたたましい警報音が鳴り響いた。これには一体何事かと周囲の人々も驚き足を止める。
程なくして警備員がわらわらと駆け寄ってきて、大吉を取り囲んだ。
「君、駅の中は禁煙だよ。火災報知器が鳴っちゃったじゃないか」
「あぁ……」
大吉は全く興味がなさそうにそう言うと、持っているタバコを吸った。
顔を見合わせた警備員たちにより、大吉は駅の事務所へと連行されていった。
真夏。
東京のコンクリートジャングルは冗談ではない熱を帯び、灼熱のアスファルト地獄を生み出している。
「全く東京の人ってどうかしてますよ! チンピラに絡まれて困っている私のことは知らんぷりなくせに、助けてくれた大吉さんを咎めるなんて!」
「火災報知器が作動したんじゃ仕方ねえよ」
二人は熱波が押し寄せる東京駅の前の道路を並んで歩いていた。蜃気楼で一メートル先が揺らいで見える。
警備員に解放された大吉と愛は、東京駅の日本橋口から外に出ていた。右手にスタバに通じるエスカレーターがあるのが日本橋口で、有名な赤煉瓦の東京駅とは反対方向にある出口である。
愛が先ほどチンピラに絡まれた八重洲北口からこの出口を通って地上に出るまではなんと五分はかかる。途中に土産物屋がひしめく通路を通っていくのだが、今日は駅の事務所から来たので別ルートである。愛は迷子になりそうで、しきりに天井からぶら下がっている案内板を見ていた。二ヶ月たっても、巨大ダンジョンのような東京駅には全く慣れない。
外に出ると、暑さに負けずにスーツケースを脇に置いた観光客が無機質なビルをバックに写真を撮っていた。
ひっきりなしに訪れる大型観光バスが、乗客を降ろしたり乗せたりしている。
愛は吹き出す汗をタオルで拭きながら、小型の扇風機を手にして自分の顔に風を送った。そうしたところでぬるい温風しか来ないので気休めなのだが。
大吉はTシャツにチノパンというラフな格好をしており、このアスファルトが照り返す焦熱地獄にも興味がなさそうだった。ただ、時折ビルから噴き出すミストには気持ちよさそうに目を細めているので、内心では暑さに参っているのだろう。
並んで歩きながら大吉が会話を切り出した。
「で、結局学園祭は何をやることになったんだ」
「聞いてくれます? なんと、喫茶店に決まったんです!」
「そりゃ良かったな」
「はい、喫茶店のみなさんのおかげです」
大吉の質問に愛は喜色を滲ませながら言った。
喫茶店の客に相談しながらプリンアラモードをつついた翌日。
愛は学園祭の話し合いの場で、思い切って発言をした。喫茶店をやりたいのだと。竹下に言われたように、なぜ喫茶店なのかという理由を明確に述べ、小馬鹿にした視線を送ってくるクラスメイトには「なんじゃワレェ!」と言ってやった。生まれてこのかた、そんな乱暴な言葉を投げかけられたことのないお嬢様は、顔を真っ青にして震えていた。
愛の喫茶店案が通ったのは、とある一人のクラスメイトが同意してくれたからである。
五ツ宮というクラスカーストにおいても上位に位置する人物の協力により、喫茶店案に傾く生徒が多くなった。
そもそも劇だと配役でまた揉める。稽古に時間を取られる。聖フェリシアに通う生徒たちは皆習い事や人付き合いなどにより多忙で、そんなに学校行事ばかりにかまけていられない。喫茶店ならそれなりの準備で形になるし、いいんじゃないかという話になり、結局愛の喫茶店案が採用されたのだ。それにこの喫茶店は、普通の喫茶店ではない。ちょっとした工夫を施す予定だ。
「えへっへっへ」
愛は学校での出来事を思い出し、嬉しくなって笑い声を漏らした。
「その笑い方気持ち悪いぞ」
「気持ち悪い!?」
大吉の歯に衣着せぬ物言いに愛は憤慨した。怒りで頭に血が昇ると、ますます暑くなってくる。鞄から持っていた水筒を取り出して中身を飲んだ。氷入りのキンキンに冷えた麦茶が美味しい。大吉が羨ましそうに見ているのに気がつく。
「欲しいんですか? あげませんよーだ」
「喫茶店で冷コー飲むからいらない」
「レイコー? そんなメニューありましたっけ」
「……お前もか。お前も冷コーを知らないのか。このエセ人類め」
「そこまで言う!?」
大吉が冷ややかな目をして毒づいてくるので、愛は目を剥いて叫んだ。この人の地雷が全くわからない。
「冷コーって言えば冷たいコーヒーのことに決まってるだろ」
「あぁ、アイスコーヒーですね」
「都会かぶれめ」
「どーせ私は岡山出身ですよ!!」
「岡山って西日本だろ、なんで冷コー知らないんだ」
そんなことを言われても、知らないものは知らない。
愛は大吉の理不尽な物言いに構わないことにした。あっという間に日本橋にたどり着くと、大吉は店に続く小道の前で立ち止まる。
「じゃ。もう絡まれんなよ」
「はい、ありがとうございました」
大吉は愛に背を向けると喫茶店の中へと吸い込まれていく。愛は学校に向かって一人、歩き出した。
真夏の日本橋には、夏の風物詩である蝉の声すら聞こえなかった。
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おまたせしました、連載再開です。
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