第7話 胃が痛いサラリーマンとミックスサンド②

「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」


 とととと、と縞猫が器用に後ろ足で立ってこちらに近寄ってきた。

 ねこである。誰がどう見たって、ねこだ。

 え、なんでねこが、接客? 歩いてる? 喋ってないか?

 竹下はメガネを外し、シャツで拭いてからかけ直し、もう一度まじまじと目の前の店員を見た。

 やっぱりねこだった。


「…………あの」

「はい。なんでしょう?」

「…………いや。なんでもないです」


 竹下はねこの店員に問いかけようとし、しかし何と問いかけていいかわからず、結局口を閉ざした。にこにこするねこを踏まないように気をつけながら店内を横切り、席に着く。

 店にはすでに客がいた。

 一人はスパゲティ・ナポリタンを食べながら、合間にしきりにかかってくるスマホをタップしては「なんじゃワレェ!」と言いつつも電話相手に丁寧に応対する老人で、もう一人は灰皿の上にタバコの吸い殻を山のように作り上げている青年だ。

 老人の方は見た目からして引退した職人であることが窺えた。足袋を履き、黒いダボダボのニッカポッカを着用して、長袖のシャツを羽織っている。口調は荒々しく、基本的に巻き舌だ。そんな一見ガラの悪そうな老人であるが、会話の内容を聞いている限り親切であることが伺えた。強めの喋り方だが、よくよく耳を傾けると後輩思いのようである。

 竹下は、どちらかというと青年の方が気になった。

 二十代前半に見える青年は、おそらく大学生。Tシャツの上にカーディガンを羽織り、チノパンを履いている細身の青年だ。見た目だけで言えば爽やかな好青年。しかし今時の若者はタバコなど吸わないと思っていたのだが、青年は恐ろしいペースでタバコをスパスパ吸い、灰皿に大量の灰を落とし、吸い殻でゴミの山を築き上げている。「ALWAYS三丁目の夕日」もびっくりの喫煙具合である。

 この店は客ごとタイムスリップしてきたのだろうか、と竹下はぼんやり考えた。


「ご注文はお決まりですか?」

「はえっ!?」


 思考に耽っている竹下の前ににゅっと縞模様のふわふわした腕が伸びてきて、テーブルにお冷やを置いた。見ると、先ほどのねこ店員である。

 竹下は慌ててメニュー表を掴むと、開いて読み始める。メニュー表はちょっとベタベタしていた。


「えっと、では、ミックスサンドとホットコーヒーを」

「かしこまりました」


 ねこ店員は伝票に注文を書き付けると、去って行った。後ろ姿を見送って、竹下は再びまんじりともしない時間を送る。

 通話を終えた職人の老人はスパゲティ・ナポリタンをガツガツと食べ、大学生はタバコを吸う合間にアイスコーヒーを飲んでいる。灰皿からいっぱいになった吸い殻がこぼれ落ちそうであった。


「お待たせいたしました、ミックスサンドとホットコーヒーです」


 程なくして運ばれてきたのは、薄いサンドイッチとカップに注がれた湯気の立つコーヒーだ。

 竹下はまず、ミックスサンドから取り掛かることにした。

 卵サンドが三つにツナサンドが三つ。

 卵サンドから食べよう。皿から持ち上げて齧り付く。潰した茹で卵とマヨネーズが絶妙なバランスで混ぜられた一品である。

 ツナサンドにはみじん切りにした玉ねぎと胡椒とが、やはりマヨネーズで和えられている。ピリッとした胡椒と玉ねぎの辛味がアクセントになっている。

 この、十二枚切りの食パンに挟まれたシンプルな具材。一見すると「薄っ!」と言いたくなるようなサンドイッチが竹下にはたまらなく魅力的だった。

 だいたい、竹下に言わせれば、最近のサンドイッチというのはどこもかしこも変にこだわり過ぎている。

 これでもかと具材が詰め込まれている、切った時の断面が可愛らしいという、分厚過ぎてどう食べればいいのか困る「萌え断サンド!」とか、具材をパンの上に乗せただけの「オープンサンド!」とか、あれは一体何なんだ。オープンサンドって、もうサンドすらされてないじゃないか。サンドイッチと名乗っていい代物ではない。

 竹下は心の中で流行のサンドイッチについてあれこれツッコミをいれながら、昔ながらのミックスサンドを平らげると、コーヒーに口をつけた。

 大学生がこさえた店内に充満するタバコの臭いに負けない、香りの良い口当たりのまろやかなコーヒーだった。

 背もたれに背を預けてしばしくつろぐ。シーンとした店内では、三者三様に思い思いのひと時を過ごしていた。

 しばらくそうしてから、竹下は重い腰を上げて席を立つ。名残惜しいが、そろそろ会社に戻らねば。戻ったところで山積みになっているだろうタスクを想像すると、また胃がシクシクと痛み出す。

 気配を察した店員が奥からやって来た。やはり、ねこであった。

 会計を済ませ、「ご馳走様でした」と言って店を去ろうとした時、店員が声をかけてきた。


「この東京というのも、案外いい街ですよ」


 思いもよらない言葉である。竹下は足を止め、振り返り、会計台の椅子の上に二本足で立つ縞猫を見た。ねこの顔は穏やかである。竹下は懐疑的な返事をした。


「そうですかね」

「そうですよ。捨てたもんじゃないと思います」

「でも僕は、たまにどうしようもなく息苦しくなって疲れるんです」

「人間ですから、そういう時もあるでしょう。息抜きして、また頑張れそうになったら頑張ればいいんです」

「頑張れそうじゃなかったらどうすればいいんですか」

「そうですねぇ」


 ねこは肉球を顎に乗せ、難しそうな顔をした。難しそうな顔をするねこというのを、竹下は生まれて初めて見た。ねこというのはいつだって、自由気ままに生きているものだと思っていた。

 ねこはぽん、と両手を叩くとカウンターの下に潜ってゴソゴソして、ひょいと顔を出した。


「はい、どうぞ。サービスです」

「……クッキー?」

「ええ。特製シナモンクッキーですよ」


 OPP袋に入っているのは二つの丸いクッキーであった。


「疲れた時にお召し上がりください。どうしようもなくなったら、またお越しください。店はいつでも、ここにありますから」

 その言葉が竹下の心に染み渡り、胃の中にすとんと落ちていった。

 またお越しください。いつでも、ここにあるから。

 独り身の竹下を温かい言葉で歓迎してくれる人(?)に出会えたのは、久々である。

 いつだって竹下には、容赦のないトゲトゲした言葉か、オブラートに包んだ理不尽な要求しか降ってこないのだ。

 竹下はもらったクッキーをぎゅっと握り、顔を上げた。


「また来てもいいですか」

「もちろんですよ。またのご来店を、お待ちしております」


 竹下はその言葉に頷くと、外に出た。

 相変わらずの雨模様である。

 竹下はポケットにクッキーをそっとしまうと、黒い傘を差して、オフィスに向かって歩き出した。

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