第7話 チャレンジ

 フランカに敗れたレベッカが意気消沈していたのは三十秒にも満たない時間だった。それはフランカが勝利の余韻に浸るのには不十分な時間であり、アリアから教わった戦法を限りなく理想に近い形で運用できた事実をただ喜んでいた。


「もう一回よ!」


 レベッカが目を爛々とさせる。エラルドが席を立って、そんな彼女の肩にぽんと手を置き「そりゃないぜ」と言った。ゆっくりとレベッカがエラルドを見上げる。


「次は僕の番だ。文句は言わせない。それが終わったら、いくらでもやれよ。彼女はもうイフリートの一員だからな。そうだろ」


 圧のかかったトーン。

 エラルドがレベッカとフランカを交互に視線を合わせて笑う。レベッカは口を開き、何か言いかけて、しかしやめた。そして下唇を噛むと、肩に置かれたエラルドの手をぎゅっと掴み、それから離した。席を立ち、エラルドが座っていた席にどかっと腰掛け、足を組む。

 フランカはそのときになって、エラルドが自分の舞双姫の腕前を認めて、イフリートへの入会を許可したのだと気づいた。実感は大してなかったものの、嬉しさはあった。アリアのような大人からの賛辞とはまた違う、四つ上の上級生からのそうした評価はフランカを昂ぶらせた。

 それはそうと、姫譜をとっていない対舞で、すぐに別の相手との連戦というのはフランカにとって望ましくなかった。アリアが勧めているように、一舞ごとの的確な分析をしてこそ、舞双姫の腕は向上する。漫然と舞い続けても何も見えてこない。

 そんなわけでフランカは目の前に座ったエラルドに、休憩を要求しようと試みた。だが、結果としてそれは願い出ることすらできなかった。エラルドがフランカに向けている眼差しが、レベッカとは違う色を持ち、そこにレベッカほどの力強さや敵対心はないにもかかわらず、自分を逃がしてくれないのだと悟ったからだ。


(せめてもっと年が近いか、同じ、あるいは私のほうが上だったらな。少し疲れたから休憩を挟みましょう、だなんて悠々と口にできるのに)


 どうやら今日は倉庫に他に誰も来ない様子だった。対舞が始まっていないのに緊張感がある静けさの中で、フランカとエラルドが駒を初期配置に戻し終えた。フランカの気持ちが落ち着く。

 フランカは続けて黒の駒を指揮することになる。どちらが先手となるのか、フランカがそれを訊ねようとした矢先、エラルドが彼の陣営から四大精霊を取り除き、盤外に並べた。


「勘違いしないでくれよ」


 そう言ったエラルドの口許に笑みはない。


「僕なりに考えての選択だ。たった今、レベッカを負かしたきみの実力を侮っているわけじゃない。ただ、こうするのが、ええと、僕にとって最善だと思ったんだ」

「僕、ではなく?」 

「まあね」


 拒否権はないみたいだ、フランカはそう思ってそれ以上は何も言わなかった。そうして精霊抜きのエラルドと連戦のフランカの対舞が開始された。


 互いの三十手目が済んだ頃。


(油断はない。大きなミスだって。それなのに……)


 明らかにエラルドが優勢だった。

 アリアとは初日のレッスン以外でも、精霊抜きでの勝負をしており、それゆえに初めから精霊抜きの相手がどのようにして攻守を行うかはそれなりに経験として知っている。そうした自負があるフランカだ。しかし、そうであってなお、エラルドの守りを崩せず、そしてエラルドの攻めに、対処しきれないでいる。攻めと守りのどちらともがフランカと比べて少ない駒でされているはずなのに、盤上ではそれを感じさせないのだ。


(精霊がいない分、他の駒がそれらの役割を担って陣を築かないといけない。理屈としてはそう。でも普通はできない。駒の動かし方が増えるわけじゃないんだから。この人の駒の動き……私の手が読まれているんだ、たぶん)


 レベッカとの対舞、それをエラルドが傍らで観ていたからといって、フランカのとる戦法のすべてが見透かせるはずはない。エラルドとフランカの最初の数手すなわちプロローグをとってみても、それはレベッカとの対舞とは異なっている。

 フランカの舞い方に弱点があるのだ。

 レベッカが「教本通り」などと揶揄したとおり、フランカの駒の動かし方は比較的素直と言える。この場合の素直というのはつまり、何を狙いとした動きなのかが読みやすいということだ。相手が初心者か、それに毛の生えた程度に過ぎないのなら、読まれたところで陣形を組むのを阻止されないし、その裏をかかれもしない。なぜならそうした相手が見えているのはせいぜい数手先の盤面だからだ。対策するための駒の動きは間に合わない。

 つまり最速で狙い通りの陣を組むフランカの素直な舞い方は相手が初心者以上中級者未満であれば、強みにもなり得る。

 エラルドにとってはどうか。それはやはり弱点となる。

 なぜなら彼はかなり先の手まで読むのだから。読んだ上での駒の動かし方になる。もちろん、推理や予想の類ではない。彼が作りたい盤面に相手を導くことを含めての「読み」なのだ。

 

 そして今回に関してフランカの手がかなり先まで読まれやすくなっているのには他の要因もある――――そのことにフランカが気づいたのは、終盤になってからだった。

 

(そうか。、なんだ)


 心理的作用という観点はフランカも持っていた。エラルドが精霊駒を取り除いた意図の一つは油断を誘うためだという推測があったわけだ。言い換えれば、精霊抜きの相手だからといって油断してはいけない、とフランカは意識していた。アリアはレッスンの度に「焦ってはダメ。思考を途切れさせてはいけないんだ」と言っている。


(通常、精霊によってカバーされている範囲、そこを馬鹿正直に攻めたのが失敗だったんだ!)


 強力な精霊駒が相手側にいないのだから、本来、攻め方も守り方も自由度は増すはずである。けれどもフランカは無自覚に自由を自分で奪っていた。いつもは精霊駒がにらみを利かせている箇所のうちで最も手薄になっているポイントを足掛かりにする戦法は、エラルドからしたら極めて読みやすかった。

 その意味では、フランカの自滅だとも言える。彼女に、より高度な戦術と洗練された思考が可能であったのなら、こうはならなかった。あたかもエラルドに舞い方を選んでもらう形となったために、攻めも守りも容易くされてしまったのだ。


 それから舞が進み、果たしてエラルドが「女神よ、微笑んで」と宣言する。フランカは姫を逃がす手を考えるも、それは数手先の未来で潰えた。ゆえにフランカは投了したのだった。


(アリアが、思考を途切れさせないように言うのはこういう状況も想定してのことだったんだ。精霊駒がいないから攻めるのであれば当然ここからって、深く考えずに駒を動かしていた……目に見えない囮、思考の誘導だったのね)

 

 舞い方について、アリアがフランカ自身で導き出してほしかった答えの一つを、フランカはアリアのいないこの場でついに手にするのだった。

 勝敗が決した盤上をじっと眺めるフランカ、その瞳に探究心の光を見つけたエラルドはしばらく声をかけずにいた。

 

「さぁ、それじゃあたしのリベンジよ」


 沈黙を破ったのはレベッカだった。フランカは顔を上げ、レベッカを見据えて「はい、お願いします!」と明朗に頼んだ。その態度にレベッカは渋い表情になったが、エラルドに席を譲られてそれに従った。


「フランカ。駒を戻しながらでいいから聞いてくれ。ローレライとの対舞のことだ」

「エラルド! 今じゃなくてもいいでしょ!」

「いいや、今だよ。だって、ほら、情熱的な目をしているだろ」

「はぁ? まさかこんな年下の子に惚れたんじゃないでしょうね!」

「なんでもかんでもそういう尺度に持っていくなよ」

「あの、エラルド……さん。それでローレライの対舞の件というのは」


 既にほとんどの駒は初期の配置に戻っている。レベッカはテーブルを指でトントントンと叩き、苛立ちを二人に示していた。


「勝負は三週間後の休日、街のとあるカフェの二階にて。お嬢様が一室を貸切にしてくれるそうだ」

「五体五とは聞きました」

「ああ。きみもその一人さ」

「エラルド、本気なの!? あたしにまぐれ勝ちして、精霊抜きのあなたと善戦したからって、どちらともたった一回よ! 他の会員だって黙っていない!」

「ふむ。勝負の日までに会員との数をこなしてでもいいが、そうだな、こういうのはどうだ。レベッカ、きみが今日飽きるまでフランカと対舞して、その実力を認めてくれたのなら他の会員にもそれを教える。きみの言うことならみんな信じるさ」


 正確には、ナンバーツーで気が強く、色男のエラルドに近づく女の子たちを子爵令嬢含めて目の敵にしているあのレベッカが、新人のフランカを高く評価したのなら、他の会員も文句は言うまいということである。


「はっ! いいわ。あと十回舞って、十回ともあたしが勝ったら追放だからね」

「なんでそうなるんだ。まぁ……大丈夫か。そうだろ、フランカ」


 不意に気さくに名前を呼ばれ、反射的に首を縦に振るフランカだった。レベッカの目が怖い。


「えっと、相手はシャーロット嬢以外も全員が貴族なんですか」

「いいや、メイドの他に商家の娘もいる。全員、綺麗な女の子らしいぜ」

「はぁ」


 気の抜けた返事をしたフランカに対し、レベッカはテーブルをドンッと拳で打つ。


「エ・ラ・ル・ド~!」

「ま、待てよ。シャーロットお嬢様がそう言ったんだ」

「……。レベッカさん、気を悪くしないでくださいね」

「もう手遅れよ!」

「いえ、そっちの話ではなく」


 フランカは彼女の陣営の精霊駒を取り除いた。その手の動きに、まるで信じられないものを見たという顔のレベッカ。エラルドも息を呑む。


「あんた、なんの冗談?」

「ハンデではないですよ。これは、えっと……挑戦です」


 他に適当な表現がフランカの頭に思い浮かばなかった。

 エラルドが自分にしたことを、その意図を本人に確かめないうちから、フランカはレベッカの舞い方を読めるかどうか試したくなったのだ。精霊を敢えて抜かしたことでレベッカの動きがクリアになるのか、戦法を掴みやすくなるのかを実戦で検証したくなった。


(無謀? そうかもしれない。でも、なんでだろう。今とっても、胸の奥から力がどんどん湧いてきている感じがするの――――)


 フランカは笑った。

 それはレベッカを侮蔑する種のものではなかった。その笑みはむしろレベッカの敵意を削いだ。レベッカとエラルドの両者がフランカという年下の少女の純真さ、舞双姫へのひたむきさをその時ありありと感じた。


 その後、レベッカが帰る時間になるまで六の対舞が行われた。フランカはそのすべてを精霊抜きで挑んだが、戦績は五勝一敗であった。最後の対舞で、集中力の切れたフランカのミスでレベッカが勝利を得た。レベッカの面持ちはひとつも満足していなかったが、エラルドに促されてその日はそれで解散となったのだった。

 エラルドは後半の三舞を自主的に記録していた。姫譜の写しをフランカは受け取った。


「勝負の日までに、きみに追い抜かれないように頑張らないとな」


 帰り際、そう口にしたエラルドの顔色は本気を物語っていた。

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