第5話 シャーロット

 小都市トリゼツィアにおいて、子爵令嬢と言えばシャーロット・エッジワース嬢のことを指すのが普通だ。トリゼツィアを治めるエッジワース子爵家の四人の子供たちのうちで唯一の女性。現在、十七歳である彼女は年の順で言えば三番目の子にあたる。シャーロットの二人の兄は既に成人しており、長男が領地管理上の要職に就いている一方、次男は若き音楽家として注目を浴びている。残る十五歳の三男はというと、兄たちが通ったの同じ大都市の学校で修業している最中であり、トリゼツィアを離れていた。

 シャーロットお嬢様は一年の大半をエッジワース邸にて過ごしている、というのが街の人々の共通認識である。生来、病弱な体質であって十二歳の頃まではほとんど寝たきりだったと噂されている。自分一人で屋敷内を動け回る程度の状態になった今でも、せいぜいが邸内の庭園でお茶会を開くのが関の山といった具合。基本的に自室に引き籠り、家庭教師の授業を受けるか、読書に励むか、ピアノを弾くかしているのだという。

 彼女は次男が参加するものを含め、街での演奏会へと足を運びはせず、音楽を聴くとすれば専らお屋敷に音楽家たちを招くのだった。それでも一年に一度、トリゼツィアの芸術祭が開催される半月の期間のうちで開催式と閉会式には必ず顔を見せる。芸術を深く愛するゆえであり、その式において街の人たちというのは令嬢が年を経るごとに類まれなる美人に成長しているのを知るのであった。


 フランカも先々月にあった芸術祭の開会式で、遠目からシャーロット嬢を見た。

 おろせば腰まである長さの金色の髪が見事に結われ、その碧い瞳は病弱を感じさせずに研ぎ澄まされた知性があり、そして色白の肌は陽光を受けて輝いているようだった。洗練されたデザインのドレスもまた彼女の美を引き立てていたが、あれは公国中でも五本指に入るデザイナーが仕立てたドレスなのだと街の人たちが噂していたのをフランカは耳にした。


 その深窓のご令嬢たるシャーロットが舞双姫に強い関心があり、ガヴィーノが所属しているイフリートのような会を率いている。それはにわかに信じ難かった。舞双姫に興味があることまでは納得できる。公国中で流行している娯楽であるし、部屋に籠りがちだという彼女がそれにのめりこむというのは想像できる範囲内だ。

 しかしだからと言って、子爵家に出入りするような人間たちで満足せずに、街の子供たちを相手取るに至った経緯がフランカにはわからない。

 したがってフランカはガヴィーノの言葉を疑いつつ、シャーロットが関わっている背景の説明を求めた。だが、ガヴィーノもまた半信半疑の様子であった。シャーロット率いる舞双姫愛好会・ローレライについては、すべてイフリートのリーダーである少年から聞いた話なのだという。


「そのリーダーもここの学校の人なんでしょう? たとえば子爵家が懇意にしている家の子供なの?」


 フランカはひとまず現実的な接点を考えて、ガヴィーノに訊ねた。


「ああ。家具職人の息子だ。家具と言っても、トリゼツィアに住む平民がおいそれと買える代物は売っていないがな」

「貴族御用達の家具職人ってことね」

「そのとおりだ。子爵家がこの地に来た時からの付き合いで、子爵家にある家具の多くがそこが作ったものらしい」

「なるほどね。読めたわ。今度のシャーロットお嬢様の成人に合わせて、記念の家具を造ることにでもなったんじゃない?」


 造駒師ダリオがまさに令嬢のために駒を造っている最中であるのと同じことだ。フランカの言葉を受けてガヴィーノは肯く。


(お父さんが引き受けた仕事……てっきりご令嬢の好みとは無関係で室内の飾りの一つとして贈るものだと思っていたわ。でも、よくよく考えてみればわざわざ何人かの職人を候補として選出し、競わせる形をとっているのは、それだけ舞双姫の駒と盤がご令嬢にとって特別だからなのね)

 

 依頼の詳細をダリオが実の娘相手であってもみだりに話さなかったことで、シャーロットが舞双姫に熱を上げているのを今この時になってわかるフランカだった。


「俺にはよくわからんが、ご令嬢の部屋の間取りであったり、他の家具との調和だったりがあるんで、実際に子爵家を訪れたらしい」

「子供も一緒に?」

「無理を言ってな。あいつは、ご令嬢に首ったけだから」

「首ったけ? まぁ、あれだけ美人なら一目惚れするのも充分あり得るわね」

「そういうことだ。それであいつが言うには、ちょっとばかしご令嬢と仲良くなって、対舞する仲になったそうだ」


 まるで恋物語の導入部分ね、とフランカは思った。家具職人の息子と貴族令嬢の禁じられた恋。彼らの恋は実らず、令嬢がどこかの貴族と結婚することになって、その祝いのための家具を彼が作るのだろう。


(そしてその家具には仕掛けがあって、彼の秘められた想いが……いやいや、何を考えているんだ私は。空想に耽ってもしょうがないわ)


 フランカはふと横を見る。そこにはまだ耳を塞ぎ、目を閉じているガヴィーノの妹がいた。まだこのままでいないといけないのか、とその顔には不安が浮かんでいる。それからフランカは掛け時計を確認する。そろそろ授業が始まる。


「詳しい話は後で、ええと、つまり入会試験の時にでも。試験って誰かと対舞すればいいんでしょう?」

「リーダーとだ」


 一度は断ったはずのフランカが試験に乗り気であることに、ガヴィーノはなじりはしなかった。むしろ心変わりするのを予期していたふうでもある。フランカの平民にしては品のいい言葉遣いや佇まいからして、貴族への憧れを感じ取ったのかもしれない。


「ねぇ、もしも私がリーダーに勝ってしまったら?」


 フランカが半分本気でそう訊ねると、ガヴィーノはぷっと笑った。初めて目にするガヴィーノの笑った顔はフランカの気を良くするものではなかった。とはいえ、イフリートで三番手の彼にたった今負けた者の台詞としては滑稽だったのも事実だ。


「あいつは別格だよ。この俺が精霊抜きでやられるんだからな」

「へぇ、まるで姫士ね」


 アリアに精霊抜きであっという間に負かされたのを思い出してフランカは言う。ちなみに後日、逆に姫と勇士と四大精霊のみのアリアと対舞したが、やはり負けてしまった。たとえばフランカの操る火精がそこらの壁に貼りつくトカゲなら、アリアのそれは業火を吐き散らす火竜だった。


「けっこう本気でその道を目指しているみたいだ。家具職人は年の離れた兄が継ぐっていうんで、職人とは関係ないここに通っているわけだしな」


 もしかするとトリゼツィアに独自の姫士連盟を発足させる野望があって、イフリートはその足掛かりなのかもしれない、フランカはそう思ったがガヴィーノ妹がそろそろ堪えられなくなっているので話をやめた。

 そうして三日後にイフリートの入会試験を受けるのを約束してガヴィーノと別れたのだった。


 さっそくその日のレッスンにて、フランカはアリアにイフリートとローレライのことを報告した。果たしてアリアは「楽しそうだね」と目を輝かせた。


「試験の日までにフランカが強くなって、そのリーダーの子をこてんぱんにできるだけの力をつけたのならイフリートの新しいリーダーになるわけだ」

「子供の中で威張るのは私の柄じゃないけれどね。もちろん、それと勝負は別よ。やるからには勝つつもりで挑むわ」

「その意気さ。それじゃ、まずはそのガヴィーノ君との対舞を振り返ってみよう」


 フランカはガヴィーノ妹がつけてくれた姫譜をアリアに渡す。兄に任されることが多いのか、彼女は姫譜付けがフランカと比べてスムーズだった。アリアが言うには慣れれば対舞後にまとめて記憶を頼りにつけられるというのだが、フランカはまだ相手に断りを入れて一手ごとに記録している。なかには待ち時間に苛々してしまう手合いがおり、そういう時は途中で正確な記録を諦めていた。


「まずはフランカ自身の反省を聞こうか」

「方針としては、あっちが風精を積極的に動かす陣形できたから、こっちは地精を中心に組み立てていこうとしたの」


 それはアリア以外との対舞を初めてから、アリアがフランカに課したレッスンの一つだった。すなわち、まずは相手の出方をうかがい、とくに四大精霊のいずれを最も攻撃的に動かしているのかを見極めた後、それに対応する精霊で迎撃してみるというものだ。舞双姫における精霊の相性に関しては諸説あるが、アリアがフランカに教えた対応関係は最も単純な火と水、風と地である。

 舞双姫の初心者が陥りやすい愚策の一つが、四大精霊のうちで三つ以上を攻撃に用いる舞い方だ。他の駒と比べて動かし方に幅のある精霊駒はその分、攻めの陣形においても大きな効果を持つ。しかしそれは姫を守るうえでも同様。それを忘れて、自陣を疎かにしていると攻めているつもりが、いつの間にか攻められ、気がつけば姫が刺される展開になっている、これが典型的な愚策である。

 基礎部分を教えた後、アリアはフランカに、相手に応じた陣形の展開を課題として実践させていたのだった。それはフランカがアリアに会うまでにしてきた舞い方とは大きく異なる。それまでのフランカは自分のペースだけで進めたがり、いかに相手の舞い方に左右されずに理想的な陣形展開をできるかばかりを考えていたのである。そしてそれはほとんど常に失敗に終わっていた。ようするにフランカにはその場しのぎではなく、適当な守り方が必要だったのだ。


「フランカ、このときの守護塔はどうしてこっちではないんだい?」

「え? あ、そっちに動かすのもありなんだ。えっと、じゃあ、ここをこうして……」

「この局面では月の魔女をそのままにして、水精で受けるべきだろうね」

「あっ! そうか!」

「それから、相手の飛槍がここまで進めてきたのは、君の勇士が……」


 アリアとの感想戦にはいつも驚きがあった。

 フランカがそう感じるのはアリアが巧みな手を次から次へと思いついてそれを教授してくれるからではない。彼女がフランカに意図を問いかけながらも、フランカがその対舞の時に何をどう考え、駒を動かしたのかをフランカ以上に把握しているのにびっくりしていたのだ。そしてこれは相手側の動きについても言えた。

 少なくともフランカは姫譜を読んでも単純に駒の軌跡を辿るばかりで、それら一手一手が示す戦略と戦術、そしてミスの質について適切な評価はできなかった。「そんな簡単にできたら、姫士の私の面目がないよ」とアリアは笑った。


「ねぇ、フランカ。せっかくそういう試験があるなら、今日は君にとっておきの戦術を授けよう」


 感想戦が一段落して、アリアが提案する。盤上と姫譜とにらめっこしていたフランカが顔を勢いよく上げてアリアを見つめた。


「ほんと?」

「ああ。けど、わかっているよね」

「必勝法は存在しない。でしょう?」

「そのとおり。必ずうまくいく保証はない。ただ、この二週間で守りのコツはわかってくれたみたいだね」

「うん。相手が途中から動かすのが遅くなったり、嘘みたいなミスをしたりってのが最近はある気がする。そういうの、今まで私の側だけだったのに」


 事実、フランカの勝利パターンとして最も多いのは、相手の露骨なミスを見逃さずにその隙を突いた効果的な舞いによる攻めだ。逆にガヴィーノ戦では相手側の無理のない緻密な攻めの戦法を受け切れなかった。


「今から君に教えるのは、中級者以上でも対処を誤れば痛手を喰らってしまう反撃型の戦法だ」

「反撃型……?」

「そうさ。その名も狐火返しカウンター・ブレイズ


 子供みたいに笑うアリアにつられて笑うフランカだったが、その戦法の具体像は頭に浮かんでこなかった。

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