第3話 レッスン

 舞双姫のレッスンはフランカたち二人が出逢った翌日から始まった。天候に恵まれていれば、花畑で行い、そうでなければアリアが宿泊している部屋を使うことにした。

 フランカの家は、父ダリオが子爵令嬢へと贈る駒と盤一式を造っている真っ最中であるから、親しくない人間を下手にあげるわけにはいかない。依頼主相手にさえ、愛想のいい対応とは言い難いダリオだ。かねてより彼の人間関係は限定された狭いものだった。

 フランカとしては、いずれ隙をみてアリアのことは話そうと思っている。たとえば、レッスンを通じて舞双姫の腕前がそれなりになった時にでも。


 その日は前日以上の快晴で、午前中に店で買ったのか、アリアはブラウスとスカート姿だった。デザインはトリゼツィアの街ではごく平凡なもの。長身と端正な顔立ちのおかげで、見慣れた衣服でも違ったふうにフランカの目に映った。よく似合っている、フランカは素直にそう感じた。

 そして昼下がりのぽかぽかとした陽気の中、アリアが彼女の持ってきた舞双姫盤と駒とを準備し始めた。


「さぁ、フランカ。一度舞ってみようか」

「そうね。それがいいと思う」


 互いの実力を把握するためにも、二人はさっそく対舞(対局と同義)することにした。姫士たちの舞においては、戦績が上位の者が白色の駒を率いるがアリアは特に気に留めていないようで、フランカに白駒を使わせた。

 一手、二手、三手……最初の対舞は淡々と進んだ。フランカはまだ例の本に会っていなかった頃、友達との対舞において相手の駒の動きにいちいち心を乱され、そして自分の立てた作戦というのが上手くいかないと、やきもきして眉根を寄せたものだった。今の彼女にそうした反応が一切なくなったわけではない。ただ、なるべく表に出さぬよう努めている。感情的になっては、攻めるべき道を攻められず、守れるべき駒も守れないというのを頭ではわかっているのである。それは淑女らしくもない。

 そうは言っても、フランカは対舞が進行するにつれ、自分の駒が減っていくことに、焦燥ともどかしさを感じずにはいられなかった。


(もうとらせはしない。こんな簡単に負けたくないんだから!)


 アリアが組んだ陣形をまったく崩せずにいたフランカだった。そんな彼女がアリアにせめて一矢報いてやろうと決意を固めたまさにその直後、アリアはその対舞のうちで初めて微笑んだ。それまでずっとフランカの駒を動かす手つきと駒への眼差し、その他の表情全般をよくよく観察していたアリアが。


「女神よ、微笑んで」

 

 アリアが言う。彼女の黒の水精がフランカの姫を狙う。

 舞双姫において、その語句が相手の最重要駒である姫に迫る際に発声するものだった。これにも多少の地域差があり「女神が笑う」や「女神は私に微笑む」などのバリエーションが存在する。そしてこの発声自体はルールで強制されているのではなく、あくまでマナーだ。現にフランカはかつて、友達に何も言われないまま姫をとられた経験がある。


「ま、負けました」


 アリアの言葉を受けて姫の逃げ道を探したフランカであったが、しかしその時点で既に詰みであった。水精以外の、つい今しがたまで配置の意味合いを理解していなかったアリアの駒たちが姫を逃がさないようにしているのを、ようやっとフランカは理解した。そして絶望的な気持ちとなった。


「そんな顔しないでよ、フランカ。可愛い顔が台無しだよ?」

「ううっ、アリアってば容赦ないのね」

「それはまぁ、私が強いのもあるけれどさ」

「私が弱いって言いたいのね?」

「そのとおり」


 すがすがしい面持ちでアリアが肯定するものだから、フランカはそれ以上、恨み言を口にする気がなくなった。そして舞が終わったばかりの盤上を眺めてみた。


「ええと、何がどう悪かったのか教えてくれる? アリア先生」

「先生と呼ばれるのはくすぐったいなぁ。うーん、フランカの場合、一舞ごとに局面ごとの良し悪しを検討する段階ではないかな」

「そ、そんな」

「もう少し強くなってからね。そうだ、姫譜をとりつつしてもいいかも」


 姫譜というのは対舞の記録のことだ。記録用紙の書式は複数あるが、アリアが書きやすく読みやすいものを持っているという。


「さて。フランカは姫以外の駒で特に大切な駒ってどれだと思う?」


 駒を初期状態に並べ直してから、アリアが訊ねた。


「もちろん、四大精霊だよね。だって、他と比べていろんな動きができて、ありとあらゆる陣形の要になるでしょう?」


 二列目に並ぶ地精・水精・風精・火精。それらはアリアの駒では華美であったり派手であったりする装飾はない。それぞれの区別がはっきりとつくのを一番に考えた設計だ。フランカの知る限り、この精霊駒のいずれかを最も好む人間は多い。


 地精の造形は茸や樹木、それに花といった植物が一般的で、次点で石像。クマやモグラというのもフランカは目にしたことがある。

 水精の造形は人魚か、そうでなければサメやクジラのような大型の海洋生物を模した駒が多い。フランカの記憶に残る変わり種は珊瑚礁だ。

 風精の造形は羽根を生やした少女が普通で、それ以外だと蝶か鳥。羽根や翼を持つのが特徴の駒だと言える。

 そして火精の造形はトカゲか竜。炎そのものを模した駒も過去に見た覚えがフランカにあった。


「精霊を制するものが、勝負を制するって聞くよ」

「そうだね。間違ってはいないと思うよ。じゃあ、試しに私が精霊抜きで舞ってみよう」

「えっ。たとえ精霊抜きでも勝てる自信があるってこと?」

「ふふっ、拗ねちゃダメだよ。もっと強気で挑んできなよ、フランカ。今の対舞の間は、なんだか我慢しているふうだったよ? 君らしくないんじゃない?」


 フランカはわざとらしく咳払いをする。

 図星ではあったが、いくら負けん気が強くたって、それが盤面を左右するとは信じられない。むしろフランカの数少ない経験からすれば、無謀な作戦を敢行して駒を失うだけだ。冷静にかつ優雅に。フランカが望む舞というのはそういうものだ。


「やってみる」


 ひとまずアリアの助言を受け入れておくことにしたフランカ。今の対舞では、四つのうち三つはとられずに最後まで盤上に残っていた自分の四大精霊を、いかに巧みに操るかを落ち着いて考えなければならない……。

 一方で、その精霊駒を抜きにしてアリアがどんなふうに舞うのかが気になるのも確かだ。舞双姫においては四列目に二つだけ配置する「灯」以外の駒は、持ち駒とはならないのだから、アリアは最初から最後まで精霊抜きで舞わねばならないのだ。


「嘘……」


 対舞を開始して手を進めていくと、フランカは顔を青ざめさせて呟いてた。

 アリアは最初の対舞においては、フランカの出方をうかがうように、守りから入った。それはむしろ受けと表現すべき陣形であるのがフランカでもわかったほどだ。それが今、精霊の加護などないはずのアリアたちの駒がフランカの駒を次々にとり、陣営を蹂躙しているのだった。


(なぜ強力な駒がない状況でこうも攻めることができるの? ううん、私はどうして守れないの?)


 そうして気がつけば、フランカの四大精霊は皆、アリアにとられてしまっていた。言わずもがな、精霊ではない駒たちによって。


「降参する?」

「うっ。い、嫌。最後までやる」

「あと八手ほどで詰むけど」

「えっ」


 アリアの宣言は現実となった。

 フランカは唇を噛みしめ、終局した盤上を見つめる。何がいけなかったのだろうと、考えてみてもわからない。よくわからないままに、アリアはフランカの姫に止めを刺したのだった。


「あのね、フランカ。私は意地悪したいんじゃなくて、えっと、精霊なしでも舞い方はいくらでもあるんだって示したくてさ」


 勝者はおろおろとしていた。泣かれたらどうしよう、とアリアは不安がる。昨日会ったばかりの年下の友人に嫌われるのは望むところではなく、かといってちょうどいい手加減もできない不器用な姫士がそこにいた。


「わかったわ、嫌ってほど」

「ん?」

「私が弱いんだってのが。だから、ちゃんと教えてよ。ここまで力の差を見せつけられると、へこむ」

「いやぁ、私だってフランカぐらいの年の時は全然勝てなかったものだけどね」

「昔話はいいから。もうっ、アリア先生の馬鹿! 大人げない!」


 感情をぽんっと爆発させて、負けず嫌いのフランカが頬を膨らませて怒る。それを前にして、アリアは笑うのをこらえた。

 これはこれで可愛い顔をしているじゃないかと思った。けれど、それを口にしたら、いっそう怒られてしまうだろうなぁとやめておいたのだった。

 そうして今度は、アリアが咳払いをして場を仕切り直す。


「じゃあ、ここからがレッスン本番ということで。フランカはプロローグについてどれだけ知っている?」

「あれでしょ、最初の数手のこと」

「ずいぶんと、ざっくりした説明だね。序盤の構築という意味では会っているけどね。本当にフランカはこれまで、舞双姫に真剣には打ち込んでいなかったんだ」

「まあね」


 負けず嫌いを悪いふうにこじらせていたフランカだった。

 実は対舞してきた数自体が、たとえば学校の友達たちと比較するとかなり少ない。過去に何度か続けて負けた際に、少しは勉強して必勝法なるものを見つけようとしたものの、それでもあっさり負けてしまうと、対舞するのが億劫になってしまった。表面的には、面倒だからと対舞を断ることの多くなった彼女であるが、それが敗北への恐れに因む態度であるのも知っていた。ただ直視してこなかっただけだ。

 姫士でないなら、いくら弱くたってかまわない。所詮は娯楽。子供のうちに身につけるべき能力は他にごまんとある。こうした正論を鎧として少女は傷つかぬよう生きてきていた。


「こんな私に、一から教えてくれる? お願い、アリア先生」


 そのフランカが殊勝にも素直にアリアに向かって教えを乞う。それはフランカにとってアリアが二倍以上生きている大人で姫士であるから、というのみではない。アリアが醸し出している不思議な雰囲気が少女をやる気にさせていた。


(そうよ。これが私の物語であるのなら、アリアとの出逢いはいわば運命。舞双姫を教わって、あのいつも鼻水を垂らした太っちょや、そばかす娘をぎゃふんと言わせてやるんだから!)


 学校では舞双姫以外なら大体が要領よくできるフランカは、舞双姫が得意な子には彼女の不得意をなじられることもあった。とはいえ、露骨に不仲な相手はいない。


「わかったよ。じゃあ、プロローグのいくつか実際の形を見ていこうか」

「ええ、よろしくてよ」


 突然のお嬢様めいた口調にアリアはぽかんとして、それから失笑した。フランカは恥ずかしくなって、髪を指でくるっと巻いていじると「か、形から入ったの」と言い訳をしてみるのだった。

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