皐月  朔  端午の節句

菖蒲湯しょうぶゆ


 クサブキさんは首をかしげる。


「私には、なじみのないものですね」


 5月の新月の夜。端午の節句は過ぎてしまったが、せっかくなので二人で何かしたいと思い、私は結界に菖蒲の葉を持ち込んでいた。


「端午の節句と言えば、薬玉くすだまを贈りあったり、したものですが」

「くすだま」


 私の頭の中に、ひもを引っ張るとパカンと開き、おめでとうございます、と垂れ幕と紙吹雪が飛び出す球体が浮かぶ。


麝香じゃこうやらの香を入れた袋に菖蒲しょうぶよもぎをあしらい、五色の糸を垂らしたものですが……」


 そこまで言って、クサブキさんはくすくすと笑う。


「それにしてもアマネ殿、私が鬼と知っての仕打ちですか。端午の節句は、邪をはらうものでしょう」


 そういわれれば、その通りだ。

 私は慌てて菖蒲をクサブキさんから遠ざける。


「大丈夫ですよ」

 クサブキさんはくすくすと笑い続けている。

「他のあやかしに対してはどうかは存じませんが、私には、まじないの類は効きません」

 菖蒲の葉を手に取り、香りを楽しむように目を細める。


 そうなのだ。この人の生活スタイルも行動も、人間として違和感があまりにもないので、私は時々、彼が鬼であることを忘れそうになる。角ですら見慣れて存在を無視してしまうとは、自分の順応性が恐ろしくなる。


「……いいえ、私は、鬼ですよ」


 彼の声音が急に冷えたものになったので、私はぎくりとする。


「……生類しょうるいたちの住まいへ、行きましょうか」


 手を引かれて、熱帯から寒冷地と取り揃った、テーマパークのようなエリアへいざなわれる。


「……ご覧になっていて、に思われるところは、ありませんか」


 私は首をかしげる。

 夜行性のカピバラは、私たちの姿を見るといそいそと寄って来る。アルパカは膝を折って、ペンギンは思い切り寝そべって眠っていた。ナマケモノは、相変わらず木にぶら下がっている。


「そうですか。人から見ると、変わりないのですね」

 クサブキさんはつぶやく。


「この者たちはもはや、は必要ありません」

「え」

 私は驚いてクサブキさんを振り向いた。


「私の放つ邪気により、すでに外界の生類しょうるいとは違うものに、成り果てたのです」


 もう一度、まじまじと動物たちを見る。私の目からは、全く、変わったところは見当たらない。

 クサブキさんの目が、動物たちを順に見る。


「ここにいる生類しょうるいどもは、元の性質たちが良かったのか、くさとしての性質たちなのか、人に害をなすようなあやかしではありませんが」


 クサブキさんは私を振り向いた。


「アマネ殿。私がこの地に封じられた所以ゆえんは、私が行った悪行のせいもありますが、主にはこの邪気にあります」

 クサブキさんの声は静かだったが、ほんの少し、痛みが混じっているようだった。


「私がとどまった地には、邪気によりあやかしが集い、また、新たに生まれてしまうのです。そのため、私はかつて生業なりわいを共にした同輩たちに、討ち果たさんと追われていました」

 クサブキさんは息をつく。


「ある術者の力によってこの地に封じられ、自由を奪われる代わりに、私は、それらの追手より逃れられていたのです。この壁の中にりさえすれば、私の邪気により、あやかし蔓延はびこることはない」

 

 クサブキさんの瞳が、静かに私を見つめる。


「私のこれまでのけんからは、契りを交わさなければ、人に対して、この邪気が障りを起こすことはないとは存じますが」

 そこで、彼は息を吸った。


「もしも、あなたに異変が起こることがあれば、……その時は、お別れです」

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