ラスト・オブ・ザ・エッジ

ヤタ

1−1

 両手で握った刀を上段に構え、そのまま静止する。

 風。頬を撫で、首の後ろで結んだ髪をなびかせる夏の爽やかな風を感じながら、踏み込み、刀を振り下ろす。陽光を浴びる刀身が閃いた。その勢いのまま身体を捻り、横に薙ぎ、斜め下から斬り上げ、最後に鋭く踏みだして、突き。視線の先で切っ先が完全に静止している。問題はない。朝がた降りはじめた雨はもう止んでいたが、地面はまだぬかるんでいる。だが、それに足をとられることなく、型を繰りだせている。草の匂いを感じながら、上段に戻り、もう一度、同じ動きをする。

 呼吸。気合。踏みだす足の勢いを腰の回転に乗せ、刀を振り、返し、突き、今度は、最後にその場で身体を一回転させながらの、袈裟斬り。汗が弾けた。いつのまにか、顔から汗が噴き出している。

 大きく息を吐いて、腰の左に差した鞘に納刀する。風が吹いた。型稽古で火照った身体に清涼の流れが心地いい。だが、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。

 私は、誰に対するわけでもなく、姿勢を正し、一礼をして、レンガ造りの大きな屋敷のわきにある小屋に向かった。

 そこが、私にあたえられたすみかであった。



 せまい部屋のなかは、とてもシンプルだった。もともと綺麗好きで、収集癖もないため、室内にはベッドにタンス、机と椅子のセットしかない。

 机の上に刀を置いて、帯を緩め、袴を脱ぎ、タンスから取りだしたタオルで身体を拭いていく。最後に顔をぬぐい、鏡をのぞくと、二十二歳の女の顔があった。眉の高さで切り揃えられた前髪、鋭い眼つき。鍛錬のあとなので頬が紅潮しているが、問題ない。いつもの自分の顔がそこにあった。

 着崩した着物を直し、袴を上げ、帯をきつく締め、そこに刀を差した。ずしりとした重さが左の腰に生まれる。いまはもう慣れたその重さに、安心さえあった。

 ドアがノックされた。

 こちらがアクションを起こすまえに、いきなりドアが開けられる。そこにいたのはいかつい顔の中年男性だった。ウェーブのかかった茶色の髪を長く伸ばし、ひたいの真ん中で前髪をわけている。その奥にある琥珀色の眼には静かな光があった。口のまわりに生やした立派なひげには白いものがまじっており、顔に刻まれた深いしわとあいまって、威厳さと落ち着きを醸しだしている。六十二歳に見えないほどの立派な体格で仕立てのいいスーツを着こなし、黒のシルクハットをかぶったその姿は、貴族の伯爵のようでもあった。

「出かけるぞ。ついてこい」

 静かだが、有無を言わせぬ低い声で彼は命令した。そう、命令、したのだ。

 男は、この街でも有数の商人であり、裏の権力者でもあった。名前はクラウス・アリフレード。魔王討伐作戦において火器を供給し、多大な貢献をしたことで名前を上げた成功者である。

 クラウスは、こちらがうなずくまえに、すでに背中を向けて歩きはじめた。

「わかりました」

 小さくうなずき、その大きな背中に続いた。

 私は、彼のボディーガードであり、番犬でもあった。屋敷のわきに、はなれを与えられたのも犬小屋のようなものでしかない。夏の陽射しのなか、剪定された植木がならぶ庭を歩きながら、腰にさげた刀の柄に手をやる。平和な世界で、戦うことしか知らない人間が生活するには、その腕だけで生きていくには、このようなあつかいでも文句はない。鍛えた身体も、磨いた技も、戦う相手がいなければ無用のものなのだ。

 手のひらを頭上にかかげると、指のあいだからまぶしい陽光がもれた。

 きょうも暑い日だった。

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