ようこそロケットベーカリーへ ~殺し屋パン屋おじさん、初めての恋をする~

ハマハマ

第1話「Open《開店》」


 今朝も早くから粉をねている。


 正確に言えば粉を捏ねているのは私ではなく、私自慢の粉捏ね機――縦型ミキサー君が捏ねてくれているのだ。


 知り合いの知り合いから比較的お求め易いお値段で譲り受けた割りには優れもので、アタッチメントを変えることでパン生地捏ねだけでなく様々なものを混ぜる――攪拌することが可能だ。


 やや音がうるさい事だけが玉にきずだが、そんな事は縦型ミキサー君の優秀さの前では痘痕あばたもエクボ、彼の魅力を霞ませるものではない。

 以前に他所よそで手捏ねオンリーでパン屋をやっていた時の苦労を思い起こせば、このうるささですら天上の音楽の様に軽やかとさえ――


「ごめんなさい! 遅くなっちゃいました!」


 開店まであと五分、店舗入り口から届いた声はまさに天上の音楽。

 縦型ミキサー君のような似非えせ天上の音楽ではない。彼女の口から出た言葉はそれだけで天使が奏でる旋律。


 私は縦型ミキサー君のから逃げる様に厨房からカウンターへ出て、毎朝最も大事にしているルーティンをこなす。


「大丈夫、ギリギリ開店前です」

「ほんと? 良かった!」


 そう言って華が咲いた様な笑顔を私に向けてくれる彼女。


 ――あぁ、心が……いや、汚れきった私の全てが浄化される……


「ほんとだ五分前! じゃ大急ぎでお店のまえ掃いてきますね!」

「それも大丈夫、掃いておきましたからゆっくり準備して下さい」


「店長……素敵! ほんと出来る男って感じ!」


 華やかな笑顔――! 二発目! 

 もうダメだ――っ! 結婚したい!

 彼女を私のお嫁さんにしたい――!


「じゃお言葉に甘えて着替えてきますね!」


 私と入れ違う形で厨房の奥のバックヤードへ向かう彼女の後姿を見送るまでがルーティンだ。


 彼女――カオルさんの笑顔を浴びる、それが最も大事にしている毎朝のルーティン。


 今朝も最高だった。

 これで今日も元気にパンを焼く事ができる。


 余韻に浸る私を呼びつけるように縦型ミキサーくんのタイマーが作動し騒音を止め、今度はピーピーと別の騒音を発する。


 よし仕事に戻るかと厨房へ足を向けたその時、店舗入り口のドアベルがからんころんと音を立てる。

 チラリと時計に目をやれば、確かに開店時間を示すジャスト九時。


「いらっしゃいま――――なんだオマエか」

「なんだとはひでぇ言い草じゃねえの。俺だって今日は客よ、きゃーく


 彼の名は喜多キタ

 私より五つも下だが、さらに実年齢より五つ六つは若く見える綺麗なハンサム。さらにワイシャツに淡いクリーム色のベストを合わせたキザな装い。腹の立つ男前だ。


 縦型ミキサーくんの手配や店舗の準備に一役も二役も買ってくれた男ではあるものの――まぁ、なんだ。一言では言い表せられない付き合いの男だ。


「おっ、今日はもうベーコンエピあんじゃん。旨いよなオメエのエピ、硬くってさ」


 私自慢の縦型ミキサーくんは本来リーンなパン――ハード系パン――には向かないのだが、そこはとは言え私だってプロのパン屋さん。

 低速中心で捏ねる事で対応が可能だ。


 なによりスパイラルミキサーまでウチに置くなどもってのほか、百歩譲って予算はともかくスペース的にそんな余裕はないのが実情なのだ。


 けれどそんな事をこの男に言ったところでどうにもならない。だから言わない。


「ほらこれレジしてくれ。今夜また家のほう行くからよ、カオルちゃんの尻ばっか見てねえでちゃんとパン焼けよゲンゾウ」

「……ばっ――バカ言うな! 私はそんな――」


 なにを破廉恥なっ! 私はそんな――そんな事は考えたこともない! ――こともない!


「あら喜多さん、いらっしゃいませ。今日は早いんですね」


 ドキぃっ――!

 まさか喜多の軽口を聞かれてしまった――!?


 わたわたと慌てたせいで受け取ったトレイからトングが滑り落ちたが、それをカオルさんが「ほっ!」と掛け声ひとつと共に華麗にキャッチ。


「もう店長ったら、何をそんなに慌ててるんですか」


 コロコロと笑ってそう言い、私の手からトレイも取り上げ速やかにベーコンエピを袋に入れてレジを打つカオルさん。


「はい、お待たせしました」

「ありがとカオルちゃん。やっぱカオルちゃんのレジの方がパンが旨くなる気がするぜ」


「もう喜多さんったら。あたしレジ打っただけだしホントはもっと若い子が良いんじゃないんですかー?」


 もうすぐ四十になる私より七つ若い三十二。

 確かにめちゃくちゃ若いとは言い難いが、珍しく喜多の意見に激しく同意だ。

 カオルさんのレジの方が間違いなくパンも旨くなろうと言うものだ。


「ほら店長! 呼んでますよ、どんどんパン焼いてくれなくっちゃ!」


「……こ――ころちゃん? 誰?」

「あ……」


 喜多に対して、しまった、という顔で照れるカオルさん……堪らん……


「……その、縦型ミキサーちゃんの……あだ名なの……」

「お――おお! 俺が連れてきたあいつ! 腹んとこコロンとしてるもんな! 俺ぁてっきり――げふんっ! げふっ! ごほんうほうほ……わりぃ、せちまった」


 ばか喜多が。なにを口走りそうになってやがる。


 ……それはそれとして。

 縦型ミキサーの形が分かる人がどれほどいるのか分からないが、中央の生地を捏ねるボウルは確かにコロンとしている。たとえコロンとしていなかったとしてもだ、カオルさんがコロちゃんと名付けたのであればアレはもうコロちゃん。それで良い。


 しかし喜多よ。早く帰れ。

 オマエはボロが出そうだし、出さなかったとしてもカオルさんと二人っきりにしたくない。だから厨房に戻れない。パンが捏ねられない。早く帰れ。


 幸いな事にからんころんとドアベルが鳴り、本日二人目の来店をきっかけに喜多は退散し、私も厨房へと戻った。


「いらっしゃいませ、おはようございまーす!」


 カオルさんのいらっしゃいませには、おはようかこんにちはがくっつく。

 それがまた実に良い。



 カオルさんを雇う事になった経緯の披露は少し先になるだろう。


 けれど私がここで『ロケットベーカリー』という名のパン屋をやっている理由――それについては今夜、喜多が来てもう一足のについての打ち合わせを始めれば、自ずと明らかになるだろう。

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