第5章 神樹
第34話 隠れていた自分
ふつりと、カナンの声は途絶えた。
魔法陣だけがぼうっと浮き上がる闇のなかに、わたしとクォーツだけが取り残される。
沈黙が足にへばりついたみたいに、すぐには身体を動かすことができなかった。
その場に立ち尽くしてしまうわたしとは反対に、クォーツはすぐに一歩を踏み出した。あいだでまっすぐ、ロープのように伸びた腕を、ぼんやり見つめてしまう。
「オードリー」
呼びかけられて、乾いた目が瞬きを思い出す。
「とりあえず、この男を外に運ぶぞ。せっかく助けてやったのに、このまま放っておいたらまたあの根っこの養分にされかねないからな」
「え、ええ……」
ひびわれてみっともない相槌になってしまったので、咳払いで喉を湿らせてから、「そのほうがいいわね」と改めて言いなおした。
クリフォードさんはまぶたを閉じたまま、いまも意識が戻らないようだった。
クォーツが両腕で引き起こしたので、廊下に続く鉄扉はわたしが開ける。もしかしたら再び鍵がかけられてしまっているかもと案じたけれど、さいわい扉は難なく開いた。わざわざそんな妨害をするまでもなく、わたしたちに選べる道などないということなのか。
冷えた石の床に直接寝かせるのがかわいそうで、マントを敷いてあげると、代わりにクォーツのマントが
「……生きてる、わよね」
下半身を失った彼の姿は、目にするだけで心臓が引きちぎられるような痛みを覚える。
血の気がなく、伏せられたまつげすら微動だにしないことに不安は募るけれど、胸はちゃんと上下していて、呼吸もとくに異常はなさそうに思えた。傷口の血も止まっている。
そうは言ってもわたしたちには、このままこのひとを放っておいて大丈夫なのかどうか、判断ができない。そのための知識も技術も、当然だけれど、身につけてはいない。
それはお医者さまの領分で、診察も治療も、わたしたちの手に負えるものではない。
——とっくに課題の範疇なんか越えていて、アカデミーはもうずっと遠くだった。
わたしたちを利用しようとする明確な敵がいて、目の前には深刻な怪我人もいて、こんなの学生二人でどうにかできる状況ではない。
そんなこと、わかりきっていた。
それなのに目を背けて、彼と一緒なら怖いものなしだと、クォーツの手を握りしめて。
カナンが並べ立てた言葉は、どれも共感できないものばかりだったけれど、最後の一言はわたしの深いところに鋭利に突き刺さった。
「……ごめんなさいクォーツ」
「謝られる心当たりがない」
クォーツは怪訝そうに片眉を上げる。
「黒の森に入ったところから、もうわたしたちだけでは対処しきれない問題になっているかもって、わかってはいたの。……それなのにわたし、誰にも助けを求めなかった」
「俺が教授嫌いなこと、知ってたからだろ。そうじゃなかったら、あんたは真っ先にあいつらに相談していた」
信じきった声色でそうなだめられる。
うつむいた頭が重たい。
くちびるを噛んで、ゆっくりと首をふる。
「……《絆の門》、クォーツのマントに刻んだ魔法あったでしょ。あれと同じものを、わたしのためにおばあちゃんが刻んでくれたハンカチを、わたしわざと家に置いてきたの」
「それは、あのひとを巻き込まないようにっていう、あんたの愛情だろ。なんだよ、あんな男の言葉にびびるなんて、らしくない」
わたしの肩が強張っていくほど、クォーツはことさらやわらかい声を出してくれる。
「大丈夫だって。そう心配しなくたって、いざとなったら俺の魔法で——」
「あなたの魔法を正しく導くのが、わたしの役割でしょう。でも、いまのわたしではそれができない」
カナンの望むままに神樹の封印を解けば、まず間違いなくわたしたちは殺される。
わたしでは解けないことがわかっても、結果は同じだろう。
「どうしたらこの状況から抜け出せるのか、わからない……なにも思いつかないの……」
知らず握りしめていたこぶしが、みっともなく震える。悔しくて、恥ずかしくて、なによりクォーツに申し訳なくて頬が熱くなる。
「……あのね、わたし、ただの優等生だわ。同い年の子のなかでとりわけ計算が速くて、教科書の内容に詳しいだけ。でもね、杖が使えないというだけで、ほかに同じだけ勉強ができる子の何倍もすごいと言われるの」
ちょっとの頑張りでも、過大に評価される。彼らにとって、すごいのはたぶん、わたしじゃない。……そんなふうに、まっすぐに褒め言葉を受け取れないいやな自分。
そのくせ、頑張らなくなったら誰からも見放されてしまうのではないかと、必要以上に優等生ぶって見せるおくびょうな自分。
「先生たちにも、おばあちゃんにも頼らなかったのは、ただわたしに頼る勇気がなかっただけの話よ。魔臓が小さいから過大に評価されているだけで、わたしにそれほどの力はないんだって、なによりわたし自身が認めたくなかった。そんな見栄であなたを危険に巻き込んでしまったのだもの……謝ったって、許されることじゃないと思うけれど……」
目の下をクォーツの人差し指がかすめた。
まるで涙を拭われたような仕草だったけれど、わたしの頬はまだ乾いていたはずだ。
クォーツの手はそれから、凍えるように丸まっていたわたしの両手にそれぞれおりて、さっきわたしの肩に自分のマントをはおらせたときのように優しく包みこんだ。しみる熱に思わずゆるんだ隙間からするりと侵入して、指が絡んで、肌の隔たりすら惜しむみたいにぴったりと手のひらを合わせられる。
そのままぐっと真下に引っぱられて、その場にしゃがみこむよううながされる。
「……ばかなこと言うって笑ってやりたいけど、なんか、俺自身に言うみたいで複雑だな」
こつり、額どうしがぶつかって、クォーツの表情は前髪の向こうに見られなくなった。
わかるよ、それ。と
吐息が言う。
「月並みな共感とかじゃなくて、本当に」
右手が導かれて、彼のお腹に触れる。
手のひらに、少し駆け足な鼓動が伝わる。
「周りに人がいると、身体が透けて、魔臓だけになったような感覚になる。視線が俺を通り抜けて、こいつに引き寄せられていく。それで好き勝手言われるのがわずらわしくて、憎くて、取り除いてやりたいって思うくせに、都合よくこの魔力に頼ってる。……あんたみたいに、魔臓に頼らないやりようだってあるのに、そんなこと考えもしなかった」
深く、クォーツは息を吸った。
どく、どく、と。
熱い血の流れる振動。
「……うつむくと、植え付けられた魔臓だけが浮かんでいる。誰よりも俺が、自分のことをそういう目で見てたって気づかされた」
「クォーツ……」
「大人が嫌いだよ。とくに教授が。あいつら、まっすぐものを見ようとするだろ。俺がいかに空っぽか見透かされそうで、ぞわぞわするんだ。そんな理由で、俺はあいつらを頼れなかった。そのせいであんたをこんな危険に巻き込んだんだから、おあいこだろ」
額のぬくもりが離れる。
先に立ち上がったクォーツが、わたしを引っぱり起こした。
「助けを呼ぼう。教授でもなんでも。こんなのもう、俺たちだけじゃどうしようもない」
どこかふっきれた口調で、そう言い切る。
「
「……名案と言いたいところだけれど、ここがアカデミーからどのくらい離れた場所なのかわからない以上、下手をすれば数日は待ちぼうけすることになるわ。
「でも、それしか連絡の取りようがないだろ。神樹のためにあんたが必要なら、あの男だってそう簡単には手を出してこないはずだ。数日くらい待ってくれるんじゃないか」
「数日と経たず、あなたを人質に封印を解かされる未来がみえるわ」
それにカナンが黙って
どうしよう……どうすればいい?
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