第22話「指名依頼」
ディオナが三級傭兵となったことで、ようやく俺も彼女に合わせて依頼を選ぶということをしなくてもよくなった。そんなわけで少し型の荷が降りたような気がしながらも、彼女に三級傭兵としての働き方を教えながら依頼をこなして行く日々を続けていた。
そんなある日、いつものように組合のカウンターへやって来た時、奥の事務所で作業をしていたリリが待ち構えていたかのように飛び出してきた。
「ディオナちゃん! 待ってたよ!」
「うわわっ!? わ、ワタシか?」
いつもリリが話しかけてくるのは俺の方が多い。ディオナもまさか自分に用があるとは思わなかったのか、驚いた様子で彼女を迎えた。
リリは猫の耳を小刻みに震わせながら、ディオナの手を握り隣のカウンターへと案内する。普段俺たちが依頼を探すところではなく、仕切りで囲まれた特別な席だ。
「俺もついて行っていいのか?」
「もちろん。むしろ一緒に話を聞いてって」
戸惑うディオナを置いたまま、俺はリリの要件を察して頷く。間仕切りのついた狭いカウンターに入って、勧められるまま椅子に腰を下ろす。そうしている間に、リリがお茶を持ってきてくれた。
椅子もお茶も、普段の業務でわざわざ出してくれることはない。それだけに、今回の話が特別なものであることをディオナも察してきたようだった。
「アラン、いったい何がどうなってるの?」
「そのへんはリリから説明があるさ」
少し弱気になっているディオナが面白くてあえてはぐらかす。彼女は口をへの字に曲げてしまったが、ちょうどその時リリが書類の束を持ってカウンターの向かいに座った。
「それじゃあ、早速」
リリはそう言って、束の中から取り出した紙を俺たちの前に置く。
「もったいぶるものでもないから単刀直入に言うと、ディオナちゃんに指名依頼が出てるわ」
「指名依頼?」
リリの言葉をそのまま繰り返すディオナ。一応、指名依頼についても軽く説明はしていたはずなのだが、すっかり頭から抜けてしまっているらしい。
「指名依頼っていうのは、依頼主がぜひあの傭兵に頼みたいって特別に持ち込んでくる依頼のことよ。依頼主がその傭兵のことを信頼している証だし、傭兵としては実績の証明になるわ」
指名依頼が舞い込んでくるのは、三級傭兵になってからの大きな変化のひとつだ。三級ともなれば一角の傭兵であると認められ、それぞれの得手不得手も見えてくる。依頼主は絶対に成功させたい仕事のため、数ある傭兵たちのなかから適した人材を選び取り、手数料を払って指名依頼にするのだ。
組合も指名依頼の扱いは慎重だ。依頼内容が指名された傭兵の手に余ると考えれば受注を拒否するし、受注したならば確実に遂行できるように全力でバックアップする。指名したのに失敗しました、では組合の看板に傷が付くから必死なのだ。
「しかし、ディオナはまだ三級に上がって間もない。指名依頼を受けるほどの実績はあるのか?」
「三級傭兵一日目だろうが一万年目だろうが指名依頼を受ける可能性はあるわよ。依頼主が見つけて、組合が了承すれば、誰でもね」
暗に俺のことを貶しながら、リリはヒゲを揺らす。たしかにディオナも三級傭兵なので、可能性もあるにはあるのだが。やはりこれほど早く依頼が飛んでくるという話は聞いたことがない。
「依頼主は?」
組合も依頼主の信用調査や依頼内容の妥当性の精査などはしっかりと行っているはずだ。それでも不信感が拭えず尋ねると、リリは俺たちの前にある紙を見るように促した。
普段の依頼書よりもいくらか上等な紙を捲る。そして、そこに記されていた依頼者の氏名を見て思わず目を見張った。
「アラン、なんて書いてあるんだ?」
ディオナはその格式張った文字が読めず、首を傾げる。彼女も共通語は完全に扱えるようになっていたが、まだこの文字は読めないだろう。というより、傭兵の中にもこの名前を読めるものはそう居ない。けれど、アルクシエラに住む者ならば、幾度となく目にしてきているはずだ。
「エイリアル・デュセア・ボルトーラ・ヴァン・アルクシエラ」
リリがちらりとこちらを見る。
金のインクで記された、複雑な文字。それは一部の階級の間でしか使われない、特別な文字。
「この町を治める貴族連中のトップ、アルクシエラ辺境伯家現当主、エイリアル公だ」
まさかそんな大物が出てくるとは予想だにしていなかった。本当に間違いはないのかとリリに目を向けるが、彼女も頷く。相手が相手だけに、彼女たちも徹底的に精査したはずだ。その上で、本物であると認めた。
お隣に版図を置く帝国との境を守る王国の砦、アルクシエラを治める辺境伯家は王家にも一目置かれている大貴族だ。その現当主ともなれば俺たちなど一生縁のない存在であるはずだった。
「どうしてこんな大物が?」
「分からないわよ。理由を聞いても“この傭兵に頼みたいのだ”っていう一点張りで。それ以上根掘り葉掘り聞くわけにもいかないし」
いかに公平中立を謳っている組合といえど、絶大な力を持つ大貴族に真正面から歯向かうほどの愚か者ではない。エイリアル公ほどの天上人となると、口ごたえするだけでこの組合が吹き飛ぶおそれがあるのだから。
「依頼内容は……」
ページをめくり、本題の依頼について確認しようとする。
「おい」
「私だってこれが特例中の特例ってことは分かってるわよ」
俺の反応を事前に予測して、リリは勘弁してくれと項垂れる。
本来ならば依頼の詳細な内容について記されているはずのところには、ただ一言だけ。“詳しい話は対面にて”としか書かれていない。それの意味するところは、“四の五の言わずにさっさと来い”ということだ。
「なんの冗談だよ」
「全然冗談じゃないわよ。組合がいくら貰ってると思ってるの」
「金の亡者め」
「信用の証よ」
何往復か皮肉の応酬を繰り返したのち、こんなところで言い争っていても仕方がないと諦める。
「アラン、結局、どういうことなんだ? ワタシはどうしたらいいんだ?」
ただ一人、この依頼を指名されたディオナだけが狼狽えている。俺とリリの様子を見て、これがただ事ではないと分かったようだ。
どう説明したものか悩みつつ、俺は彼女にも分かりやすいように伝える。
「この町で一番偉い人からの依頼が来たんだ。どうにも気乗りしないが、受けないわけにもいかない。これから、その人に会いにいかないとならん」
「えええっ!?」
なんとかこの仕事の厄介さが伝わったのか、ディオナも俺たちに少し遅れて驚きの声をあげる。
「わ、ワタシ、貴族と喋っていいのか!?」
「本来はダメなんだよ。しかし、向こうが来いって言ってるのを無視するほうがやばいだろ」
「うわあああっ」
「お、落ち着けってぐえっ!?」
ディオナは理解の範疇を超えたようで間仕切りを蹴倒す勢いで取り乱す。慌てて落ち着かせようとするが、最近は彼女の方が力が強い。下手に近づいてしまって、勢いよく吹き飛ばされてしまった。
「アラン!? ご、ごめん」
「いや、大丈夫だから……」
なんとか受け身を取ったが、床に背中を打ちつけるとそれなりに痛い。体についた土埃を払いながら、よろよろと立ち上がる。
「あ、アラン……」
「うん?」
その時、妙に緊張したリリの声が届く。気が付けば、騒がしかった組合の中がしんと静まり返っている。荒くれ達が押し黙って、壁際へと身を寄せているのだ。
「キミが噂のオーガの傭兵か。聞いていたとおり、逞しい体をしている」
頭上に響く玲瓏な声。およそ酒飲みばかりでがなり声の響く傭兵には似つかわしくないもの。その直後、ガシャガシャと慌ただしい足音がいくつも飛び込んでくる。傭兵のものではない。厳重に全身甲冑で武装した騎士たちのものだ。
それが何を意味するのかを察して、ゆっくりと頭を上げる。
「そして、キミがその育ての親だね。アラン――」
「アルクシエラ辺境伯様!」
不興を覚悟で思わず声を上げる。周囲の騎士達が兜の隙間から剣呑な視線を向けてくる。
屈強な護衛に守られた、この町の最高権力者。シンプルでありつつもその価値の高さが一目で分かる青いドレスを身に纏い、腰には銀のレイピアを下げている。
ゆるくウェーブした輝くような金髪に、アルクシエラの者を示す切れ長な青い瞳。
彼女こそがこの町の頂点に立つ王国屈指の大貴族、アルクシエラ辺境伯家の現当主、エイリアル・デュセア・ボルトーラ・ヴァン・アルクシエラその人であった。
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