【完結】レディオーガは世間知らず〜悪徳商人に騙されて奴隷堕ちした挙句片腕を無くしたオーガの女の子を拾って育てたら最強の傭兵になりました〜

ベニサンゴ

第1話「隻腕の捨て奴隷」

 片腕の潰れた少女と出会ったのは、雨の降りしきる寒い日のことだった。

 いつものように近場の森で終わるような小さな依頼を片付けて、少ない儲けを懐にしまいこみ、濡れたブーツで借家へと向かっている途中だった。

 俺のような稼ぎの少ない傭兵が暮らす街など、そう上品な土地柄ではない。路傍には物乞いたちがボロ切れに包まって震えていた。暗い物陰には虎視眈々とこちらの荷物を狙う物取りの子供が潜んでいるから、背中の槍を見せつけて歩かねばならない。

 いつもなら面倒ごとに巻き込まれないよう足早に駆け抜ける通りでふと足を止めてしまったのは、ジャラリと鎖の擦れる音が聞こえたからだ。

 雨避けに被っていた外套のフードを押し上げ、周囲を見渡す。人目を避けるような路地裏の奥まった所に彼女がいた。


「女?」


 野垂れ死ぬ女などそう珍しくもない。それでも思わず声を上げてしまったのは、年若い少女だったからだ。血相は悪く、痩せこけて、白い髪も荒れたままになっている。それでも、その隙間から見える顔立ちは整って見えた。

 どうしてこんな少女が危険も多い地域の路地奥で壁に背を預けて座り込んでいるのか。その理由は程なくして分かった。


「奴隷か」


 少女の細い首に痛々しい黒い鉄の輪。拘束の魔法が刻まれた、奴隷を捕らえるための枷だ。白い前髪の向こうから覗く深紅の瞳は虚ろな闇を映している。まだ若いというのに、悪徳な商人にでも捕らえられてしまったのだろう。


「おや、この奴隷に興味があるんですかい?」


 少し注目しすぎてしまった。気がつくと路地の闇から怪しい風貌の男が現れていた。目深に被った帽子で顔を半分隠し、口元にニヤついた笑みを浮かべている。彼の声を聞いた瞬間、座り込んでいた少女がわずかに肩を跳ね上げたのが見えた。


「オーガ族の娘です。以前は鉱山で労働をしていたくらい、屈強で賢い奴ですよ。ただしまあ――」


 奴隷商人は少女の首輪に繋がる鎖を引き上げる。呻き声も上げず従順に立ち上がる少女の、右袖がふらふらと揺れていた。


「右腕が……」

「落盤事故です。それで潰れましてね。コイツがオーガじゃなけりゃ、もう死んでます」


 男の枯れ枝のような手が少女の前髪を分ける。その下から現れたのは、薄く赤色に滲んだ二つの突起。オーガ族に特有のツノだった。

 野蛮で粗暴なオーガ族。人間族を凌駕する膂力を持ち、腕が落とされても生き延びるほどの強靭な生命力を宿す。反面、短絡的で単純な性格をしていて、魔法的な才能にも恵まれない。簡単に言ってしまえば、力の強い馬鹿だ。鉱山で働かせる奴隷には最適なのだろう。


「片腕はないですが、簡単な仕事ならできるでしょう。口と手も使えますよ、噛みちぎられなければですがね」


 卑下た笑いを交えながら奴隷商人が言う。聞いてもいないのに、顔立ちは可愛らしい

が生娘だと説明する。オーガ族を奴隷化してもその力強さは変わらない。無理に迫れば無傷では済まないのだろう。

 延々と続く商人の説明を聞き流しながら、鬼の少女を見つめる。右腕を失い、傷口も腐りかけている。目に気力はなく、心も鈍ってしまっている。傷だらけの肌が、これまでの凄惨な扱いを雄弁に物語っていた。

 オーガ族は珍しい。大抵は山奥に小さな村を作り、そこで一生を終える種族なのだ。そのため町の常識にも疎く、人を疑うということを知らない。生来の単純短絡な性格もあって、彼女は騙されたのだろう。親切にされて、着いて行った先が鉱山だったというわけだ。

 片腕の少女を見つめる。


「お前も、将来がないんだな」


 つい口からそんな言葉が溢れでた。

 俺もまた、三十を手前にしてうだつが上がらない傭兵だ。今後衰えていくばかりの未来では、輝かしい未来など見通せるはずもない。


「コイツ、幾らだ?」

「えっ?」


 値段を尋ねてみると、奴隷商人は間の抜けた声を返す。散々売り文句を掛けてきたくせに、実際に売れるとは思わなかったのだろう。慌てて考え、随分と高い金額を示してきた。

 俺はそれを鼻で笑い、立ち去ろうとする。

 途端に奴隷商人は手を伸ばし、俺の腕に縋り付く。


「ま、待ってくれ! そうだ、半額……いや、その半分でいい!」

「随分と安くしてくれるんだな」

「俺だっていつまでも雨ん中にいたくねぇや。これ以上買い手が付かねぇんなら捨てて帰ろうと思ってたところなんだ」

「それなら、もう少し待ってみようか」

「勘弁してくれよ」


 懇願する奴隷商人が示した金額は、最初に出してきたものを考えればタダ同然のものだった。この金額なら、俺の一日の稼ぎだけでも十分買えてしまう。

 扱いに困っていたのは本当のことらしく、商人は「さっさと買ってくれ」と投げやりに言った。


「分かった、買おう」


 商人が歓喜する。少女の方を見るも、状況が分かっていないのか表情に変化はない。まるでこの雨の寒さで凍りついてしまったかのようだ。

 金を渡し、首輪の所有権を書き換える。俺に鎖を押し付けると、商人はさっさと路地の奥へと走り去ってしまった。


「さて……」


 二人取り残された俺たち。鎖から手を離し、懐をまさぐる。隠していた硬貨何枚かを少女に握らせる。首輪に触れて設定したばかりのワードを口にすれば、呆気なくそれは外れた。


「これだけありゃあ、どこへとも行けるだろ。今度は妙な輩に捕まるんじゃないぞ」


 そう言って、踵を返す。

 奴隷の身分から救ってやったとか、そんな自惚れたことは考えない。将来性のない俺と違って、彼女はまだ未来を歩む余地があるはずだ。奴隷商人の言ったように、片腕でも仕事はできる。


「……おい」


 歩き始めるとすぐに、ペタペタと頼りない足音がする。後ろを振り返ると、少女が立っていた。俺の渡した金を握り締め、裸足で後ろをついてきていた。


「別に俺に従う必要はない。もう解放したんだから、宿に泊まるなり町を出るなりすればいい」


 赤い目が俺を真っ直ぐ見上げている。口は硬く結ばれていて、一言も発さない。

 けれど俺は罵詈雑言の非難を受けているような気がして、わしゃわしゃと頭を掻き毟った。


「雨が上がるまではウチを貸してやるよ」


 そう言って歩き出す。すぐにペタペタという足音が付いてくる。片腕がないからか、おぼつかない足取りだ。


「ええい、世話の焼ける奴だな」


 俺は振り返り、彼女の前にしゃがみ込む。わずかに戸惑いの色を瞳に浮かべた少女の左手を引っ張り、背中に乗せる。そのまま立ち上がり、再び歩き出す。

 最初は強張っていた彼女の体が、そのうち柔らかくなる。俺に身を委ね、左手で肩を掴んでくる。彼女を落とさないように、槍の穂先で頬を裂かないように気をつけながら、俺は足早に家を目指す。


「お前、名前は? そもそも喋れるのか?」


 道すがら問い掛ける。声が出せないのなら、話せるのかも疑わしい。何かそういうものが原因で、オーガの里から追い出された可能性もある。そうであれば、彼女は帰る場所すらない孤独の身となる。


「――ディオナ」

「おっ、喋れるんじゃないか」


 ポツリと耳元で囁かれた言葉。それが彼女の名前なのだろう。


「俺の名前はアラン。さっきまでディオナの主人だった、ただの傭兵だよ」


 ディオナが小さく頷くのを肌で感じる。「アラン、アラン」と舌の上で言葉を転がす。別に覚えなくてもいいが、彼女は何度も繰り返していた。


「アラン」


 ディオナが俺に向かって呼び掛けてくる。

 軒下から軒下へ雨を避けながら歩きながら振り返るとディオナの赤い瞳が間近にあって、思わず肩が揺れる。彼女を石畳に落とさないように気をつけながら「なんだ」と返す。


「アラン。ガッコーは、どこにある?」


 おぼつかない共通語でディオナが問い掛けてきた。ガッコー、学校。


「お前、学校に行きたいのか?」


 こくり、と彼女が頷く。

 その返答に驚きを隠せない。オーガ族は世俗に疎い、端的に言えば馬鹿な種族だ。そんな彼女の口から学校という言葉が出てくるとは思いもしなかった。


「オーガは賢くないから、ディオナは賢くなる。そのために、学校にいく」


 先ほどまでの無言は何だったのかと、ディオナは次々と言葉を紡ぐ。そこには強い使命感と覚悟が見て取れた。だからこそ、心が締め付けられる。


「学校は、ディオナには行けない」

「そうなの……?」


 衝撃を受けたような声。何やらひどいことをしているような気持ちになるが、それでも俺は頷く。

 学校は金持ちの通うところだ。入学金を払い、学費を払い、教科書や制服を買わねばならない。ディオナに渡した小銭では到底足りない金額だ。


「ワタシは、ガッコーに行かないといけないのに……」


 ディオナは戸惑う。予定が狂ってしまったとでも言いたげだ。


「学校に行くには、金が無いだろ」

「それなら、稼ぐ」

「どうやって?」

「……分からない」


 俺の背中の上で、ディオナはしょんぼりと力を無くす。本当にこんなやつがオーガ族なのかと疑ってしまうほど弱々しい。

 オーガ族は数こそ少ないものの、傭兵として大成している者もいる。その力で巨大な武器を振るい、様々な戦場で武勲を轟かせ、数多の大魔獣を打ち倒してきた。背中で戸惑い泣きそうになっているこの少女が、本当にそれと同じ種族なのか。


「――俺は傭兵だ」


 家路を辿りながら、背中の少女に向かって話しかける。


「頼まれて、金を払ってもらえるなら、何だってやる」

「……?」


 ここから下り坂の俺とは違って、ディオナはまだ高みへ登る可能性が残っている。腕を一本失ったところで、全てが終わるわけではない。


「俺がお前に、傭兵としての生き方を教えてやってもいい。そこで稼いで、その後で学校にでも何にでも行けばいい」

「アラン……」


 彼女も俺が何を言おうとしているのか分かったらしい。

 ディオナが手を伸ばす。開かれたてのひらから、数枚の硬貨が零れ落ちる。俺はそれを受け止め、彼女の赤い瞳を覗き込む。


「ワタシ、アランに依頼する。ワタシを傭兵にして」

「承った」


 傭兵と少女の間で契約が取り交わされる。

 千セロット硬貨三枚と引き換えに、俺は割に合わない依頼を引き受けた。

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