第7話:地下牢と邪教の使徒

「おお……なんだこれ……」


 祠の地下に降りた騎士の目に飛び込んできたのは、思いもよらない光景だった。

 少し開けた場所の中央にあるのは、石造りの祭壇だろうか?

 円形に組み上げられた石段の中央に何やら大きな杯のような物が据え付けられている。

 辺りには明らかに血のついた祭事用の道具らしき物が散らばっていた。

 周囲の壁面には、二つの竜の首の絵がぐるりと囲むように描かれている。

 ちょうど入り口の反対側に一箇所だけある開口部を、その竜の口が挟むような形だ。

 開口部から、まだ奥へと続く道があった。

 魔法がかかっているのか、薄暗くはあるが一定の明るさは保たれている。


「おまえら! みんな無事か!?」

「この声! イチル兄ちゃん!?」

「にいちゃ帰ってきた!」


 少年の声に応えるように、奥から複数名の子供の声が聞こえてくる。


「フェリ姉も一緒だぞ!」

「みんなー、もう大丈夫だよー」

「フェリ姉も!?」

「ほんとに!? やったぁ!」


 さらにフェリシアが一緒に居ると聞いた時の子供たちの反応は明らかに高揚していた。

 だが、まだ今は油断できる状態ではない。

 このどこかに邪教徒の連中が潜んでいるかもしれないのだ。

 今のところは、子供たちの声だけで、他の気配は感じられないが……。

 騎士は警戒しつつも、少年とフェリシアを伴い、開口部の方へと進む。


「ふむ、やはり中に連中はらんようじゃのう」


 遅れて最後に入ってきたレミィに、突然後ろから声をかけられた。


「ひゃぁ!」

「うわっ! で、お嬢様! 脅かさないでくださいよっ!」

「にひひ♪」


 フェリシアと騎士は、なかなかいいリアクションを見せた。

 イタズラが成功したからか、レミィは満足げに笑みを浮かべていた。

 少年もつられて笑っている。


「うむ、まぁとりあえず、子供らを皆解放してやらねばのう」


 レミィは、少年とフェリシアを促すようにしながら、奥へと道を進む。

 奥行きはたいして無く、すぐに行き止まりに辿り着いた。

 その壁面には、双頭の竜がひび割れた水晶を握る意匠が浮き彫りになっている。

 道の両サイドには、牢獄のように鉄格子で閉ざされた小部屋がいくつもあった。

 小部屋には、2〜3人ずつ子供たちが隔離されているようだ。

 よく見ると、その首には金属でできた枷のようなものがかけられていた。

 どの小部屋にも厳重に鍵がかかっており、簡単に助け出せるようには見えない。


「くそっ! 鍵どっかに無いのかよぉ……」


 目の前に在りながら、助け出せないかもしれないと焦る少年。

 だが、その少年の懸念は、一気に払拭される。


「鍵がなければ、ここを開ければ良いのじゃ」


 レミィは、まるで粘土細工のように、鉄格子を捻じ曲げて隙間を開けた。


「え……、えっ!?」

「うむ……これくらい開けば充分通れるかのう」


 その場にいた騎士以外の誰もが唖然とする。

 もちろん騎士も驚いてはいたが、心の準備ができていた分、衝撃は小さかった。


「この鉄格子が曲がりますか……そうですか」


 改めて、その竜の力というものの恐ろしさを再認識する。


「レミィ様は力がお強いのですね」

「いやいやいやフェリ姉……力が強いとか……そういうレベルの話、これ!?」


 少年はもちろん、牢を開けてもらった子供たちも反応に困っている。

 レミィは、次々と各小部屋の鉄格子を捻じ曲げ、開いていった。


「これで全員出られるはずなのじゃ」


 一仕事終えたとばかりに、レミィは開口部から全体を見るように仁王立ちする。

 そのまま祭壇のあった部屋に背を向ける形で、皆の様子を眺めていた。

 まだ現実を受け入れられていない子供たちも、恐る恐る小部屋から顔を出し始める。


「イチル兄ちゃん……助けにきてくれた……んだよな?」

「え? ああ……そうだよ! もちろんだ!」

「フェリ姉〜! おかえりぃ〜」

「よしよし、怖かったねー」


 牢を抜け出した子供たちは、フェリシアの元へと一斉に駆け寄ってきた。

 この地下の薄暗い光の中では、子供たちの細かい表情までは見て取れない。

 だが、明らかに安堵している様子は窺えた。

 あとは、この子供たちを無事に騎士たちの待つ拠点まで送り届けるだけだ。

 そこからは、領主と話をつけるまで一旦東の村で保護してもらうのが一番だろう。


「あれ? おまえら誰だ?」

「えっと、私たちは……」


 と、少年が、子供たちの中に見かけない仲間がいることに気がついた。

 その子らの服装も傷んではいるが、元はそれなりの衣服を身に纏っていたようだ。


「おまえら、孤児院には居なかったよな?」

「あの、私たちは奉仕活動のために……司教様に引き取っていただいた……その……」


 その言葉を言い終える前に、祭壇の方から低い男の声が聞こえた。


「親に売却された子供たちですよ」


 明らかに、ここにいる自分たち以外の何者かの声。

 騎士は、即座に後ろに子供たちを庇いながら身構える。

 フェリシアも、近くの子供たちを抱きしめ、覆い隠すようにして身を屈めた。

 その声を一番近くで聞いていたレミィは、驚いた様子もなくゆっくりと振り返る。

 そこには黒い司祭服を着た細身の男。

 そしてその両脇に法衣のフードを目深に被った信者らしき者が二人立っていた。


「親を騙して連れてきた……の間違いではないのかえ?」

「何を言い出すかと思えば。過剰に繁殖した家畜を、善意で間引いて……あげ……」


 振り返ったレミィの姿を見た司祭服の男は、そこで一瞬言葉に詰まる。


「……これはこれは、司教様に最高のお土産ができそうですな」


 レミィの正体に気づいたというわけではなさそうだ。

 どちらかといえば、単純に容姿を見て下卑た妄想に至ったのだろう。

 その表情を見れば一目瞭然である。


「傷つけずに確保なさい! 後ろの子たちは、あとで私がしっかり躾けてあげます」


 司祭服の男が声をかけると、両脇に控えていた信者が一斉に襲いかかる。


「殿下!」


 狭い開口部にレミィが立っているため、攻撃はレミィ一人に集中することになる。

 騎士は選抜された際に命じられた言葉を思い出していた。


 ──まず孤児たちの安全が最優先なのじゃ。何が起きてもそれを忘れるでない。


 一時の感情や妙な出世欲、承認欲求に惑わされて、余計なことをすべきではない。

 頭ではわかっていたが、割り切れてはいなかった。

 言われたことだけを忠実に実践するためには、強靭な精神力が必要なのだ。

 自分がなんとか……と心が揺らぎかけたその時、背後から思いもよらない声が上がる。


「レミィ様を信じましょう! レミィ様は……全員無事に助け出すと仰っていました!」


 そう叫ぶフェリシアは、まっすぐな目でレミィの背中を見ていた。

 ついさっき出会ったばかりの人物を、どうしてそこまで信用できるのか。

 それを信用させるだけのカリスマ性がレミィにあった……と言えばそうなのだろう。

 単にフェリシア自身がそういった面で素直な心の持ち主だったのかもしれない。

 だが、その言葉で、帝国の若き騎士は鋼の意志を取り戻し防御に徹することができた。


「うむ、わらわを信じた貴様の行動、正しい判断なのじゃ!」


 レミィは背を向けたまま、使命を忘れて飛び出してこなかった騎士を称賛した。

 その刹那、信者が仕掛けた暗器が騎士の盾を何度も打ち据える。

 同時にレミィは、右側から飛びかかってきた信者の顔面をその手で掴んだ。

 小さい手で無理に大きなものを掴めば、当然指はそこに食い込む形になるわけで……。


「いえぁびっ!」


 掴まれた信者は、聞いたこともないような悲鳴を上げる。

 そしてそのまま、横をすり抜けようとしたもう一人の信者に向かって叩きつけた。

 バキッと何かが割れたような音が周囲に鳴り響く。

 叩きつけられた側の信者は、後ずさりながらもなんとか持ち堪えたようだ。

 だが最初に掴まれた信者は、そのままそこに崩れ落ち、動かなくなった。

 右手についた血を舐めながら、レミィは司祭服の男を一瞥する。


「なんなのですかこの小娘は……」


 一瞬の出来事に、司祭服の男もさすがに引く。

 その妖しい笑みを浮かべるレミィを見て、即座にヤバい奴だと判断したようだ。


「おのれっ! ──我に加護を、戒めの鎖、束縛の輪バインド・リング──」


 どこまで通じるかを考えている暇はなかった。

 なんとか動きを封じようと、司祭服の男は、自分にとって最高位の魔法を行使する。

 呪文の詠唱が終わると、黒い影のような輪が数本、レミィを囲うように現れた。

 そしてその輪は、内側に締め付けるよう収束する。


「これで動きは止まりました! 速やかに確保なさい!」


 体勢を立て直したもう一人の信者は、その声に従いレミィに近づいていく。

 魔法で拘束された相手であれば、例えそれが大男でも簡単に捕縛できるだろう。

 そう、あくまで魔法の効果が想定どおり発揮されていればの話だ。


「どうしました!? 早く捕えなさい!」


 急かす司祭服の男に対し、信者は振り返って助けを乞うような目で訴えかける。

 レミィは、血に染まる右手を前に出し、向かってくるよう信者を挑発していた。


「なっ!? 効いてないっ!?」


 魔法で拘束された者は、物理的な拘束とは違い、指ひとつ動かすことはできない。

 本来は全身が麻痺し、姿勢を保つこともままならないはずなのだ。


「つまらん小細工はわらわには通用せんのじゃ。覚悟を決めてお縄につくがよい」


 絡みついていた影の輪は、枯れた草のように萎れて、足元へと消えていく。


「これは……私は司教様に報告します! 撤退するまで、足止めしておきなさい!」


 司祭服の男は信者に命令を出すと、そのまま一目散に逃げ出した。


 ──なるほどのう、予言書に書いておったのは、ここまでの出来事なのかえ。


 と、僅かな瞬間、思案していたレミィの背後から、騎士の声が響いた。


「殿下! 追ってください! 一人だけなら自分でも対処できます!」

「わ、私も子供たちを守れるよう頑張りますので! レミィ様、行ってください!」


 騎士ばかりか、フェリシアまでもが立ち上がって後押しをする。

 その気になれば、この信者もついでに無力化することはできるのだが……。


「うむ、ここは貴様らに任せたのじゃ!」


 敢えてそうはせず、レミィは信者の横を駆け抜けて、司祭のあとを追った。

 行かせまいと手を伸ばす信者を、踏み込んできた騎士が盾で突き飛ばす。


「お前の相手は、俺だ!」

「私は、相手しません!」


 騎士の覚悟と、フェリシアの宣言が、部屋の中で高らかに鳴り響いた。

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