重厚な門を通り抜けて、コリンダはいよいよ修道院の敷地内へと足を踏み入れた。

「それじゃあ、私はまた書庫に篭もるから。シスター・イロナ、報告書は早めに提出してくれたまえ。君はいつも遅いからね。せめて次の任務へ出るまでには間に合わせてくれよ」

「……善処します」

「コリンダ。何か困ったことがあったら、いつでも私を頼ってくれていいぞ」

「あのね……今、頼っていい?」

「残念ながらそれはムリだ」

 塀のなかでくり広げられている光景を目にして、コリンダは唖然となった。全員の肌が青いのも壮観だが、問題はそこではない。

 井戸から水を汲んで運んでいる少女がいた。桶を両腕に一杯ずつ、横に持ち上げている。上半身裸で、二の腕にそれぞれナイフが取りつけられており、腕を下げれば脇の下に刃が刺さってしまうだろう。

 砂利で満たされた鉢に、手刀を延々と突き入れている少女がいた。手首まで深く沈めている。顔は脂汗まみれで、苦悶の表情にゆがんでいる。

 仰向けに寝転がって、腹の上にスイカを落とされている少女がいた。何度もくり返し腹に落とされ、そのたびにカエルの鳴き声じみたうめき声を上げている。

 ほかにもさまざまな鍛錬が行われており、どれも不可解かつ過酷で筆舌に尽くしがたい。

 コリンダはまわれ右して、来た道を戻ろうとした。

 門はすでに閉まっていた。

「もうイヤ……おうち帰る……」

「心配しなくても大丈夫ですよコリンダ。ああいう鍛練は、ある程度身体が仕上がってからの話ですから」

「シスター・イロナ、それじゃあ何のなぐさめにもなっていないよ」

「……イロナもアレ、全部やったの?」

「もちろんです。アレら以外もふくめて全三十五の課程を修了し、ようやく修道女を名乗れるのですから。それまでは見習いの修練女です」

「帰りたい……」

「まあ、その、がんばりたまえ」ユディカはコリンダを見捨て、今度こそ立ち去った。

「ほら、行きますよ。まずは院長にあいさつします」

 なかばイロナにひきずられるような形で、コリンダは鍛練を続ける者たちのあいだを通り抜けていく。どうやら修道女と修練女の違いは尼僧服の色らしい。修道女がイロナと同じ灰色で、修練女は白色のようだ。何人かの修練女が好奇心もあらわにコリンダへ視線を向け、指導する修道女によそ見を叱られている。

 建物に近づいたところで、それまでとは雰囲気の異なる一団を見かけた。全員白服の修練女だが、年齢が比較的高めだ。二人組になって向かい合い、右半身に構えてたがいの右腕を交差させている。

 腕を押し合っていたかと思うと、片方が瞬時に相手の腕をつかんで引き寄せ、左拳を顔面に打ち込もうとする。すると相手は左手でさばきつつ、つかまれていた右腕を振り払って反撃しようとし、さらに相手はそれに応じ――そういうやり取りが徐々に速度を上げながら延々と続いていく。やがて勝負がついたかと思えば、ふたたびもとの姿勢に戻って同じことのくりかえし。つかんだり殴ったりばかりではなく、蹴ったり転ばせたり、変幻自在だ。素人目に見ても、非常に高度な攻防だとわかる。

「あれは接触法です」

「接触法?」

「皮膚感覚を利用して、相手の動きを読む技法です。今は鍛練なので、たがいの腕が触れた状態から始めていますが、実戦ではこちらの攻撃を敵が受けたり、逆にこちらが敵の攻撃を受けた瞬間に、敵が力を掛けている方向や、次の動作のタイミングなどを感じ取り、それを利用して攻めへ転じます。熟達者であれば、目をつぶった状態でも敵の動きが読めるようになりますよ」

「えー、ウソだぁ」

「ウソではありませ――」

 突如、接触法の修練をしていた修道女のうち三名が、イロナに襲いかかって来た。

 イロナはコリンダを安全な場所へ突き飛ばし、右ステップで一人目の右ジャブをかわすと同時にジャブ、ストレート。二人目のサイドキックをライン外しでかわしつつ前へ踏み込み、右フックで相手の意識を引きつけ、時間差で右の爪先をみぞおちに突き刺す。そして三人目がくり出した怒涛の連打を、なんと目を閉じたまま片腕だけですべてさばき切り、右拳を相手の胸に押し当てた瞬間、相手はうしろへ吹っ飛んで建物の壁に激突した。

 この間、わずか数秒に過ぎない。

「ほら、ウソじゃなかったでしょう?」

「――す、すごぉい! 目をつぶってたのもそうだけど、最後のどうやったの? ただ拳を当てただけなのに」

「浸透勁で体内に炸裂させる力を、相手を押すことに使えばこうなります。ところで今の一瞬で、わたしが目を閉じていたことによく気がつきましたね」

「エッ? ……いや、えっと、たまたまだよ! そう、たまたま」

 危ないところだった。うかつなことを言おうものなら、マーシャルアーツの才能があると思われかねない。非戦闘員への道が着実に遠のいてしまう。

「……まあいいでしょう。それよりも」イロナは地面に倒れている三人を一瞥した。「やはり知らない顔ですね。ガブリエラ、彼女らは何者ですか?」

 三人に交ざって接触法の鍛錬をしていた修練女に問いかけたが、彼女はしどろもどろになって要領を得ない。何か口止めされているように見える。

「そいつらはアタシが連れて来たんだ」

 その声に振り向くと、建物のなかから一人の修道女が姿を現した。これまで見た者たちと比べ、明らかに年かさだ。かなり若々しく見えるものの、顔にはしわが刻まれている。

「げえっ、シスター・エーディト!」そう叫んだイロナの顔は、もともと青かったのがさらに蒼白になっていた。

「おいおい、敬愛する師匠に対してげえはないだろう、げえは」

「ななな、なんでこここにっ? アーヘンにいるはず――ま、まさか左遷?」

「失礼な。修道会全体のマーシャルアーツ熟練度底上げのために、総長の指示で各支部を巡回することになったんだよ。ついでに修練女同士の交流も兼ねてな」

「そ、そうだったんですかぁ。……コリンダ、こちらはシスターエーディト。マーシャルアーツ・マイスターで、わたしの先生です。現在はプロイセンにある聖フーベルトゥス女子修道会の総本山、アーヘン女子修道院で修練長を務めておられます」

「はじめまして、コリンダです」

「ああ、よろしく。これから二週間、アタシがビシバシ鍛えてやるからな。覚悟しとけ」

 コリンダは震えあがった。先ほどの地獄のような鍛練を平然と眺めていたイロナが、これほどまでにおびえているのだ。いったいどんな目に遭わされるのか、想像するだにおそろしい。

「さて、それじゃあイロナ、ひさしぶりに稽古をつけてやろう」

「けっこうです」イロナは即答した。「貴重な二週間は、どうぞ未熟な修練女たちに使ってあげてください」

「そう遠慮するな。おまえにけしかけた三人は、アーヘンの修練女でも特に優秀なヤツらだ。戦闘力にかぎって言えば、並みの修道女にも引け取らん。それが相手にならないってことは、スパーリング相手にも事欠いてるだろう。腕がなまっちまうぞ」

「いえ、本当にけっこうですので。さあコリンダ、早く院長にあいさつを済ませましょう。ほかにも今日じゅうに済ませておきたいことがたくさんあります。早くしないと夕食の時間に間に合いませんよ」

 イロナは心底嫌がっている様子だ。コリンダの手を引いて、強引にエーディトの脇を通り過ぎようとする。

「アラニュ・ヤーノシュの足取りをつかんだ」

 だがその言葉を聞いたとたん、イロナは歩みを止めた。

「ヤーノシュはどこに?」

「知りたきゃかかって来い」

「……しかたありませんね。コリンダ、危ないから離れていてください」

「えっ? なに、どういうこと? ヤーノシュって誰?」

「あなたには関係ありません」

 両者は向かい合い、奇妙な動きをした。まず身体の前で手のひらを重ねた状態でお辞儀、次に右手を握り拳に、左手を開いたまま胸の前で合わせる。そのまま両手を右脇にひねりながら移動させ、爪先を上げたまま右足を一歩前に出す。両手を正面に戻しながら左足を前に一歩、右かかとを下ろしつつ左足は爪先立ち。左拳を握りながら両手を手前に伸ばして手の甲をつける。左足で一歩下がり、両拳を手前にぐるりと返して指側を上に。右足を下げて左足とそろえながら、同時に両肘をうしろへを引いて、脇の下に腕をつけた。まるでダンスを踊っているかのように息の合った動き。

「よろしくお願いします」

 そうして最終的に右半身の構えへ移行し、戦いの火ぶたが切って落とされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る