庭師のパカーラに村の教会への伝言をまかせると、午後には神父が屋敷を訪ねて来て、ヘルマンシュタットの聖フーベルトゥス女子修道会へ遣いを出したと知らされた。人狼狩りがこちらへ到着するのに、最短で四日はかかるだろうとのことだ。

「これでひと安心ね」

 今夜もカタリンとシュテファンは、地下のワイン貯蔵庫で逢い引きしていた。シャーンドルと寝室が分かれたおかげで抜け出しやすくなった。イロナをさっさと寝かしつければいいだけだ。

 室内にはサンダの遺体が置いてあるので、臭いは正直かなり気になるが、そこはガマンするしかない。いっそのことシュテファンの部屋という手もあったが、万が一ということもある。用心に越したことはない。

 とはいえ、ふたりとも心なしかいつもより興奮していた。死の気配を感じることによって、生物としての本能がかき立てられるためだろうか。すなわち、子孫を残すという欲求が。

「カタリン、私がこわくないのかい? もし私が人狼だったらどうする?」

「バカなこと言わないで。そんなことあるわけないじゃない。あなたは昨晩もわたくしと、ここでこうしていたのだから。この屋敷にいる男たちのなかで、ただ一人あなただけが、人狼ではないとはっきりしているのよ。むしろ、一番安心できる相手だわ」

「……ひょっとして、旦那様のことを疑っているのかい?」

「どうかしら。少なくとも、同じベッドで寝たいとは思わないわ。あちらから言い出してくれてよかった」

「旦那様、ファルカシュ、トデラシ……三人のうち誰が人狼なんだろう……?」

「三人? ヤーノシュは?」

「いやいや、坊ちゃまを男あつかいするのは、さすがに無理があると思うよ。まだ昨日の件を気にしているのかい?」

「だって」

「あれが人狼になったせいだとでも? まさか。何度も言ったけど、あのくらい男の子なら普通だよ。考えすぎさ」

「だといいのだけれど……」

 シャーンドルにも似たようなことを言われたが、カタリンはどうにも嫌悪感をぬぐい切れずにいた。そういう意味では、昨夜の時点で双子の寝室を分けておいて、ちょうどよかった。もし同じままだったら、落ち着いて不倫も満喫できなかっただろう。ヤーノシュが訪ねてきても絶対カギを開けるなと、イロナには口を酸っぱくして言い聞かせてある。

「ああ、シュテファン、シュテファンっ。そこ、そこぉ――いいっ、いい、もっとぉ――」


 トデラシはシュテファンの部屋のドアを、しつこく何度もノックした。けれどもまったく反応がない。もう寝てしまったようだ。いつもならまだ起きている時間のはずだが。

「あの野郎、ちゃんと仕事しろってんだ。もしかして人狼にビビってんのか?」

 銀食器は時間が経つと黒ずんでしまうため、こまめに磨いて輝きを保つのは執事の大事な役目だ。食材の種類によってはよけい黒ずみやすくなる。今日の朝食に出した卵などはその最たる例だ。トデラシが何となく気になって確認してみたら、案の定黒ずんだまま放置されていた。そのため親切心で忠告してやろうと思ったが、とんだ無駄骨だ。

 とはいえ、これでシュテファンが評価を落とそうと、トデラシの知ったことではない。気持ちを切り替えて、彼はべつの部屋へ向かった。陽気に鼻歌を口ずさみながら。

 ドアをノックすると、こちらはすぐに出てきた。シュテファンのせいで遅れてしまったので、たぬき寝入りを使われたらどうしようかと思ったが、殊勝な心がけだ。

「よぉドロッチャ先生。いい夜だな」

「トデラシ、さん……」

 マリチカがサンダの部屋をピッキングしていた件について、トデラシはシャーンドルとカタリンに報告せず、ゲスな目的のために用いた。ドロッチャを脅迫したのだ。幼い子供の戯言に唯々諾々と従い、あのようなことをしでかすようでは、イロナの侍女候補として不適格と判断されてもしかたないだろう。そうなれば、母親として彼女の立場まであやうくなりかねない。実際はどうあれ、そう信じ込むようトデラシが誘導した。

「ほら、さっさと服を脱いでください」

「おいおい、場末の娼婦だってもうちょっと焦らすぜ。風情ってもんがわかってねえな」

「今さら愛をささやいてもらえるとでも? 正直言って、失望しました。あれだけ熱心に求婚しておいて、結局はカラダが目的だったなんて」

「いやいや、結婚したいのは嘘じゃない。けど、それとこれとは話が別ってだけでね。しょせん男なんてそういう生き物だよ。アンタの死んだ旦那と同じさ」

「……いいえ。彼はそんな人じゃありませんでした。誠実で、純粋で、私を心から愛してくれて……。使用人の仕事にも誇りを持っていました。あなたのような卑劣な人間とは何もかも違います」

「誠実? 純粋? 使用人の誇り? 主人の娘に手を出すクソッタレが?」トデラシは腹を抱えて笑った。

 激昂したドロッチャは、トデラシのほおを手で張った。その目には涙が浮かんでいる。

 するとトデラシは容赦なく殴り返した。ただし顔ではなく腹を。服で隠れる場所でなければ目立つ。

 痛みにもだえるドロッチャをベッドに押し倒して、トデラシはあざけるようにその唇を奪った。


 クララは寝つきがいいほうだ。けれども、今夜はなかなか眠れそうになかった。目を閉じると、まぶたの裏にサンダの無惨な死体が浮かんできてしまうのだ。

「……そうだ、オナニーしよう」

 サンダが生前酔って口を滑らせたのだが、眠れない夜は五回連続で絶頂するといいらしい。気がついたら朝になっているという。興奮してよけい眠れなくなるのではと疑念をいだいていたが、それを確かめる絶好の機会だ。

 左手の指を股間に伸ばす。利き手は右なのだが、感覚が鈍いほうで触れたほうが、ひとに触られているような気がする。もっとも、何度もくり返したことで慣れてしまい、むしろ指づかいが巧みになってしまったが。ふだんは膣で指を抽挿する派だが、それだと達するまで時間がかかるので、今回は手軽に絶頂するためクリトリスをいじる。空いた右手で乳首も同時に。まわりに聞こえないよう声を押し殺しながら。

「……ん……はぁ……あっ、あっ」

 指の動きがどんどん早くなる。機械仕掛けのように規則正しく動く。まるでこの肉体が、自慰をするためだけに神の手で造られたかのよう。

 そろそろ一回目の絶頂を迎えそうだ。強烈な快感の波が迫っているのがわかる。来る、来る――。

 とそのとき、ふいに誰かがドアをノックした。おどろきでクララの指が硬直して止まる。

 まさか、声がもれ聞こえてしまったのだろうか。それで苦情を言いに? いや、ちゃんとガマンできていたはずだ。

 寝たフリでやりすごそうか。絶頂寸前で邪魔をされたので、カラダがうずいてしかたない。早く続きがしたくてたまらない。快感を求めて、指がけいれんするように震える。

「クララ、起きてる? 起きてるならここを開けて」

 その呼び声にクララは奇妙に思いつつも、ベッドから起きてドアを開けた。

「よかった起きてた」

「イロナお嬢様、どうかなさいましたか?」

「あのね、クララ……怒らないって約束してくれる?」

「……いいですよ」

 何をやらかしたのか知らないが、子供を叱るのは自分の仕事ではない。内容いかんでカタリンに告げ口するだけだ。もっとも、自慰を妨害されたことについては怒り狂いたい気分だが。

「えっとね、おなかがすいて目が覚めちゃってね、何かつまみ食いしようと思って厨房に行ったら、たまたま卵を見つけたから、今朝食べたのならわたしでも作れるかなって。そしたら、ちょっと失敗しちゃって」

 そう言って、イロナは左手のひらを開いて見せた。するとそこに、軽いやけどが出来ていた。

 クララはあきれてため息をついた。子供というのは時折、大人が想像もつかないようなまねをする。しかたがないのでイロナを部屋へと招き入れ、水差しから洗面器へ注いだ水に左手を漬けさせた。

「そのまま待っていてください。薬と包帯を取って来ます」

「ええっ! そんなおおげさな手当てしたら、お母さまに絶対バレちゃうじゃない」

「その程度なら朝には治ってますよ。――って、今夜から奥様が同じ部屋で寝ているのでしたね」

 軽症ではあるようだし、患部を冷やすだけでもおそらく問題ないだろう。とはいえ、夜中に厨房へ忍び込んで勝手に火を使ったなんて、いくらなんでも報告しないわけにはいかない。

「とにかく、あたしが戻るまでちゃんと冷やしててください。いいですね」

「はーい」

 クララは包帯と薬を取りに行ってから、念のため厨房の様子を見に来た。火の始末をちゃんとしたか確認するためだ。使った調理器具等も出しっぱなしかもしれない。

 けれども予想に反し、厨房はきれいな状態だった。洗い物も残されていない。やけどの痛みをこらえながら、わざわざ片づけたのだろうか。奇妙に思いつつも、クララは自室へ戻った。

「お待たせいたしました。さあ、手を出してください」

 イロナはやけどの手当てを受けながら、「クララ、ねえクララ。わたしね、名案を思いついたの。わたし、この部屋で寝ればいいんじゃないかしら。そうすればやけどのこと、お母さまにバレる心配ないでしょ」

「ダメです」クララは即答した。

 冗談ではない。早く自慰の続きがしたいというのに、イロナが同じ部屋にいたらできないではないか。手当てが終わったらさっさと自室に帰ってほしい。

「えー、なんで? サンダはいっしょに寝てくれたよ」

「同じメイドでもサンダはサンダ、あたしはあたしです。……ていうかそれ、いつの話ですか?」

「昨日の夜。嵐がやむまで添い寝してくれたわ」

 つまりサンダが人狼に殺される直前まで、イロナも彼女の部屋にいたわけだ。嵐が去った時点で、空には満月が浮かんでいたはずだから、実際かなり危ういところだったろう。

 しかしそれが事実だとすれば、もしかして人狼の正体を目撃しているのではないか。

「……あのですね、昨夜サンダの部屋から自室へ戻るとき、ほかに誰か見かけませんでしたか?」

「見たけど」

「ほ、本当ですかっ」クララはイロナの両肩を強くつかみ、「教えてください。いったい誰がサンダを――いえ、やっぱり言わなくていいです」

 クララはわれに返った。そんなことを知ってどうするというのだ。むやみに人狼を特定しないようにと、シャーンドルにも念押しされたではないか。

 イロナから名前を聞き出して、それで本人を問い詰めたとして、もし本当に人狼だったらどうするのか。サンダのカタキを取るとでも言うのか。返り討ちに遭うかもしれないのに。ただの同僚のために、そこまでする義理はない。彼女に対して特別な感情などないのだ。

「なんでなんで? 教えてあげるからここで寝させてよ」

「興味ありません。とにかく、いっしょに寝るのはナシです。ほら、さっさと自分の部屋に戻ってください」

 不満げなイロナをムリヤリ閉め出して、クララはふたたびベッドへ潜り込んだ。これでよかったのだ。自分はサンダのことなんて何とも思っていないのだから。気を取り直して、ふたたび股ぐらに手を伸ばす。

 だが数秒も経たないうちに、またもやドアがノックされた。イロナはまだあきらめていないらしい。クララは無視しようとしたが、何度もしつこくたたかれて、一向にやむ気配がない。

 さすがにガマンできなくなって、クララはベッドから跳ね起きドアを開けた。「お嬢様、いいかげんに――」

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